第10話 叔父
ナンディナには初日は私の護衛として最低限覚えておいて欲しい知識を、ナンディナに割り当てた部屋でひたすら覚えてもらうことにした。貴族の相関図や権力図だけでも最低限覚えてもらわなければ私の護衛はつとまらない。
「覚えはどう?」
「貴族の方々の関係は複雑ですから。少々難儀している様子でした。」
「まあ、そうよね。むしろ貴方が全て把握していたことの方がおかしいのだもの。」
私の髪を結うクロッシュの顔を鏡越しに見やるが、相変わらずの無表情だった。私付きのメイドは先日解雇したばかりなので、私のヘアアレンジもクロッシュの役目になっている。
「いかがでしょうか?」
そう言って後ろから結い上げられた髪を鏡で見せてくるクロッシュに頷いてみせる。
「叔父様がそろそろ来る筈だから、先に応接室で準備をしておいて。私はもう少ししたら行くわ。」
「御意。」
礼をして部屋から出ていくクロッシュを見送ると、壁に備え付けられた私の五倍はある鏡の前に立つ。今日のドレスは黒いマーメイドドレスでスカートの半分は大きな黒いフリルが段重ねになっている。金と白の刺繍が施された少し大人っぽい一着だ。選んだ時は無意識だったが、少し背伸びをしたドレスが未だに想いを捨てきれない私をそのまま表しているようで、今からでも変えようかという思いが湧き上がってきた。
しかし、その考えも控えめなノックの音で遮られた。
「主、王弟殿下がいらっしゃいました。」
「すぐ行くわ。」
クロッシュの声で気を引き締め、応接室へと向かう。そして、いつものように来客を告げる声が響く前にクロッシュが扉を開けた。
「やあ、リア、元気にしていたかい?」
「ええ、叔父様もお元気でしたか?」
「ああ、なんとかね。」
開いた扉から入ってきた叔父は相変わらず30歳という年齢を一切感じさせない美貌だった。ミルクティー色の髪に深い青紫のタンザナイトのような瞳。隣国の皇女を誑かしたその容姿は最後に会った一年前から全く衰えておらず、むしろ大人の魅力というようなものが増していた。
お互いの体調を気遣う会話をしながら、叔父をソファへと案内する。叔父が腰かけたのを見て、私も向かいのソファに腰掛けると、クロッシュがティーカップへ紅茶を注いだ。
「そちらの二人が今年私のメイドになる方々?」
「ああ、二人共僕の姪でね。その方がリアも安心だろう?」
叔父の言葉で後ろに控えていた少女達が礼をする。恐らく叔父の婚約者の家の者だろう。
「ええ、お気遣い有難うございます。」
「気に入ったら、リアの侍女にしても良いんだよ?」
「有難い提案ですが、遠慮しておきますわ。」
「まだ僕の側につく気にはならない?」
穏やかな物腰と柔らかい笑顔で騙される者も多いが、叔父は公爵家に目をつけられながらもこの年齢まで五体満足で生き抜いている。この叔父の素質をリウムも受け継いだのだろう。一切の感情を伺わせない笑顔はまさに瓜二つだ。
溜息をついて、私の後ろに控えているクロッシュに命令を出す。
「クロッシュ、その二人をナンディナのところへ案内して。二人は貴族の関係には詳しいでしょうし、本で覚えるよりも人に教えて貰った方が覚えやすいでしょうから。」
「御意。」
クロッシュが二人を引き連れ、廊下へと繋がる扉が閉まる音をじっと待っていると、ティーカップを片手にした叔父は困ったように微笑んだ。
「あの護衛を気に入ったようだと聞いていたから、あの二人なら大丈夫かと期待したんだが、駄目だったか。」
「ええ、少し早い誕生日プレゼント有難うございました、叔父様。お陰で安眠出来るようになりましたわ。」
「確かに以前会った時よりも大分顔色が良くなったね。」
以前叔父に会ったのは一年前の私の誕生日なのだから、前回会った時の私の顔色なんて覚えていないと思うのだが、その言葉は飲み込んだ。
「そういえば、帝国の皇女を誑かされたとお聞きしましたわ。相変わらずですわね。」
「人聞きの悪いことを言わないでくれよ。別に僕は何もしていないよ。向こうの御姫様が随分と慕ってくれてね。」
「私みたいに?」
私の一言でも叔父の笑顔は崩れない。以前はその笑顔を見る度に嬉しさのあまり胸が苦しくなったが、今は違う理由で苦しかった。
「兎に角、向こうの皇女もきっと並々ならぬ思いを込めてあの首輪を贈られたんでしょうから、そういったものを簡単に人に差し上げないほうが身の為ですよ。女は執念深い生き物ですから。」
「ああ、義姉上でそれは実感しているから大丈夫だよ。」
瞳の色といい、女性を誑かす技量といい、叔父を見ているとどうしてもリウムの顔がチラつく。
「最近リウムも叔父様の悪い影響を受け始めているんですから、もう少し気をつけてください。リウムは叔父様を尊敬しすぎているところがあるんですから。」
「そうそう、最近はリウムと良く話すようになったんだって?」
「それ程でもありません。廊下で少し立ち話をする程度です。」
「でも、前はリウムを避けていただろう?リウムがかなり落ち込んでいてね、僕に相談しに来たりしていたから、仲直りしたようで良かったよ。」
「別に喧嘩をしていた訳ではありませんから。叔父様はリウムとは良く会っているのですか?」
「ああ、リウムは僕の側につくことを決心してくれたからね。色々と相談したりしているよ。」
私には会いに来ないことを遠回しに非難したつもりが手酷いしっぺ返しを食らった。
「…成程、そうですか。ところで例のものは?」
「勿論、持ってきているよ。」
そう言って叔父は上着の内ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。少し身を乗り出して受け取ると、指先が触れ、思わず体が跳ねそうになって、無理矢理それを抑え込む。
広げた紙にはずらっと貴族の名前が羅列されている。呼び鈴の魔具を鳴らしてクロッシュが来るのを待っていると、叔父は興味深げに私の顔を見た。
「本当に気に入ったんだね。」
「ええ、優秀ですし、何より絶対に私を殺しませんから。」
「絶対に死なないの間違いだろう?」
微笑みながらティーカップを口に運ぶ叔父の姿は一枚の絵画のようで、けれど吐き出される言葉は相変わらず私の心を的確に突いてくる。一年前のあの日から私の前で取り繕うのは止めたのだろう。本来なら喜ぶべきところだが、私はこの人のことを何も知らなかったのだとただただ突きつけられるだけだった。
叔父に負けじと微笑んで、まるで顔を逸らしたら負けだとでもいうかのように見つめ返した。
「お呼びで。」
「これを。」
足音一つ立てずに戻ってきたクロッシュに手にもっていた紙を手渡す。クロッシュはそれを恭しく受け取ると、一分程見つめ私に返してきた。
「お書きするものをお持ち致しますか?」
「ええ、お願い。」
部屋の隅の棚に向かって歩いていくクロッシュの背を見ながら、紅茶を一口、口に含んだ。ダージリンのすっきりとした味わいが喉を抜けていく。
「相変わらず深夜の勉強会かい?」
「ええ、私は物覚えが悪いので。」
「あの護衛は特別だろう。今ので本当に覚えたのかい?だとしたら、本当に優秀だね。」
「今頃欲しがっても差し上げませんよ。」
「彼はリア以外には仕えないよ。一応僕も勧誘したんだが、袖に振られてしまった。」
「叔父様は何故クロッシュが私に忠誠を誓うのか、知っているのですか。」
「気になるのかい?」
「私のものですから。」
「そうだな、リアが僕の側についてくれるなら教えてあげるよ。」
絶対に私が提案に乗らないと分かっていて言ってくるのだから、教える気がないのだろう。諦めてもう一口紅茶を口に運ぶと、クロッシュが羽ペンと紙をもってきた。
カップをソーサーに戻し、紙に貴族の名前をひたすら書き写す。
「新しい暗号か。」
「ええ、以前のものはそろそろ公爵家も解読するでしょうから。」
こういった知られては困る内容は暗号で書き留めることにしている。残念ながら私はクロッシュのような暗記力を持ち合わせていないので、書き留めて地道に覚えるしかない。
「随分と増えましたね。」
「うん、ほら最近はリウムの尽力もあったから大分増えたよ。まあ、元々公爵家を良く思わないものは多いからね。第一王子に対抗できるリウムがこちらに加わったことで正式にこちらにつく決心をつけてくれた家が多く出たんだ。」
叔父はそう言うと、笑顔を消し、真剣な顔つきで私の顔を見つめた。
「リア、本当にこちらにつく気はないか?」
叔父のその言葉に胸の中で様々な感情が渦となって押し寄せる。怒り、嫉妬、悲しみ、後悔、絶望。けれど、それらを抑えて無理矢理笑顔をつくり、口を開く。
「そんな強さが、私にあったら、こんな結末にはならなかったわ。」
結局、私の口から出た負け惜しみのようなその言葉も少し震えていた。
トリカブト(Aconitum)
美しい輝き 厭世家 敵意
書いたものが消えた時の絶望と虚無感が半端ないですね…。今度からちゃんと途中で保存します…。