第9話 同僚 side クロッシュ
第8話の次の日の朝、リアの寝ている間に行われた二人の護衛の会話です。
扉に近づいてくる足音を耳にし、紅茶の準備をしている手を止め、部屋の入口に向かう。衛兵が来客を告げるよりも早く扉の鍵を開け、開くとそこには今日から同僚になるあの男がいた。
「ナンディナ様、おはようございます。朝からいらっしゃって頂いて申し訳ございません。」
「仕事だからな、お前が謝ることじゃないだろ。改めて今日から短い間だが、第一王女殿下付きの護衛として勤務することになったナンディナだ。宜しく。」
「ご丁寧に有難うございます。改めまして、コロナリィーア様の専属護衛をつとめさせて頂いております、クロッシュと申します。宜しくお願い致します。」
ナンディナは昨日と同じ青空のような笑顔を浮かばせた。ルビーのような瞳にも友好的な感情が宿っている。昨日の試合でかなり好かれたようだった。
「今日から一緒に働くんだし、敬語じゃなくても良いぜ。」
「お心遣い有難うございます。ですが、私はコロナリィ―ア様の護衛ですので、砕けた口調は控えております。」
「そうなのか。じゃあ、俺も敬語を使った方が良いか?」
「いえ、主や客人の前でなければ今の口調で宜しいかと。ナンディナ様はあくまで臨時の護衛ですし、そこまでの要求は致しません。ひとまず、こちらへどうぞ。お部屋にご案内致します。」
そう言ってを応接室に招き入れると、ナンディナは物珍しそうに部屋を見回した。あまり褒められた行動ではないが、初めて入ったら誰もが同じ反応をするだろう。この応接室はメイドが30人ぐらいは寝泊まり出来る広さで、豪華な装飾が施され、調度品も明らかに高価なものだ。しかも、奥の寝室はこの部屋よりも広い。
「ナンディナ様の部屋はこちらになります。」
護衛の部屋は応接室と主の寝室を繋ぐ長い廊下の間に二つある。本来はお気に入りの侍女などの為の部屋なのだが、俺が来る前は主はこの部屋は誰にも使わせず、賊が隠れられないよう厳重に閉鎖していた。
「え、俺ここに寝泊まりするのか?」
「いえ、あくまで日中の間にお使い頂く部屋になります。夜間は騎士団の寄宿舎の方にお戻り頂いて構いません。ただ、私に引き継ぎをして帰られる際には必ずこちらで護衛服を着替えて、私に手渡してからお帰り下さい。」
俺が部屋の使い方を簡単に説明すると、そこでもまたナンディナは興味深げに見回していた。
「お前もこんなに広い部屋を使ってるのか?」
「はい、私は向かいの部屋を頂いています。」
「へえ、王女付きの護衛ってなると良い暮らししてるんだな。」
「…そうですね。では、詳しい仕事内容についてご説明致しますので、ベッドの上の護衛服に着替えたらまた応接室の方へいらしてください。」
「ああ、これか。分かった。」
着替え始めたナンディナを背に扉を閉めて、応接室に向かって廊下を歩く。
昨晩主とリモニウムと話合った結果、ナンディナは信用しても良いのではないかという結論に至った。ナンディナが貴族の権力闘争に関わっている情報はないというリモ二ウムの情報と『三年前から生誕祭の時期はあの騎士団長が私の護衛の指揮を執っていたけれど、特に暗殺などはなかったわ。騎士団長が公爵家と繋がりを持っているとすれば、殺しやすい幼い頃に仕掛けてきていた筈よ。』という主の意見があり、俺もそれに賛成した。それにもしナンディナが主を害そうとしたら、俺が殺せば良いだけだ。
「悪い、待たせた。」
そんなことを考えながら、紅茶を淹れる準備していると、ナンディナが部屋に入ってきた。身につけているのは昨日俺が着ていた白と紫の護衛服だ。この生誕祭の間は警備上の関係でこの護衛服を着用することになった。
「いえ、慣れない頃は着づらい衣装でしょう。」
「ああ、装飾が多いのなんのでちょっと手間取った。」
「この護衛服は私達が主の専属の護衛であるという証です。先程も申し上げましたが、お帰りの際は必ず私に手渡しでの返却を、くれぐれも宜しくお願い致します。」
「了解。」
「有難うございます。では、こちらにおかけください。紅茶をご用意しております。」
俺が目の前のソファを勧めると、ナンディナは特に遠慮することもなく腰をかけた。そして、俺がティーポットから二人分のカップに紅茶を注ぐと、礼を言って口に運ぼうとした。
「お待ちください。カップをソーサーに戻して頂けますでしょうか。」
「え?ああ、分かった。」
もしかしたらと思って鎌をかけたが、矢張り俺の予想は的中した。この男は暗殺とは程遠い世界に生きてきたのだから、仕方のないことなのだが。主の身辺には常に見えない死が満ち溢れている。
「主の護衛をするに当たって何点か注意して頂きたい点がございますので、まずはその注意点から述べさせて頂きます。はじめに今のように出された飲み物や食べ物には手をつけないでください。」
「ああ、成程。毒の予防か。だが、王女様なら兎も角、護衛には毒は盛らないだろう。」
「勿論可能性は低いですが、万が一ということはあります。基本的にはこちらで毒見が済んだものを用意致しますので、それ以外のものには手をつけないようにして頂きたい。」
「了解。でも、毒見したものって言っても大丈夫なのか?その毒見役が毒を入れたりとかは?」
「ご安心を、毒見役は私ですので。」
ナンディナの疑問に少し微笑んで返事を返す。自分も毒の耐性をもつのだから毒見は要らないという主の主張は却下させて貰った。いくら死なないとはいえ、あの少女が苦しんでいる姿を見るのは御免だった。
「成程な、それなら確かに安心だ。他には?」
「この応接室及び護衛の私室、主の寝室には防音の魔具を起動しているので、基本言動は気になされなくて大丈夫です。愚痴でも陰口でもご随意にどうぞ。ですが、その護衛服を着たままこの部屋を一歩出れば貴方は第一王女コロナリィ―ア様の護衛です。言動には十分に注意してください。」
そのままいくつかの注意点を述べ、仕事内容を説明する。と言っても、基本的な護衛の仕事はあまりない。説明も直ぐに済んだ。
「以上で説明は終了になりますが、何かご不明な点などはございましたでしょうか?」
「いや、分かりやすかった。有難う。」
「お褒めに預かり光栄です。主の起床時間までは三時間程ありますので、こちらでお寛ぎください。」
「王女様は随分寝るんだな。」
「主は基本夜型ですので。」
「ふーん。」
暗殺は夜に多いので、必然的に主は夜型だ。俺が来るまではかなり酷い不眠症だったらしく、以前主を尋ねてきた弟君に礼を言われた。毒が効かない、すなわち薬の効きも良くない主には睡眠薬も意味をなさなかったらしく、以前は隈も酷くやつれていたそうだ。確かに俺が初めて会った時よりも顔色も肌艶も良くなっている。
「そういえば、王女様に仕えるのにコツとかあるのか?」
「コツ、ですか。」
「ああ、王女様の護衛は長続きしないって有名だろ?短い間とはいえ、あんまり機嫌を損ねないようにしておきたいと思って。」
「私もまだ一か月程しかお仕えしていないので、助言をさしあげられるような立場ではないのですが…。」
「でも、お前結構な有名人だぞ?『あの王女のお気に入り』だって。」
「それはそれは、過大評価ですよ。」
「そうか?まあ、兎に角王女様の性格でも何でも良いから、何か教えてくれないか?護衛は初めてだから、色々不安でさ。」
「そうですね…。」
少し考えるがあまり思いつかない。いや、主の性格や好みならいくらでも言える。だが、それをそのまま伝えることは、主の今までの苦労を全て無に帰すことに他ならない。主が造り上げてきた『我儘理不尽王女』の像に傷がつく。リモニウムの言うようにその像は主を良い未来には導かないだろう。弟君のように公爵家に立ち向かう方が将来性はある。だが、それを主が望んでいない今、俺はその意思を尊重するべきだ。
たまに考える。主は今までどんな気持ちで生きてきたのだろう。母を殺され、父に顧みられることもなく、侍女や護衛といった自分を守ってくれる筈の存在に命を狙われる。先程まで自分を気遣って紅茶を入れてくれていたメイドが、自分に毒を盛っていたと分かった時。寝室に押し入ってきた賊が、自分の護衛だと分かった時。誰にも心を開けず、開いた相手は自分の命を狙う駒にされ、自分が生きて相手は死んで。
「…。」
「あー、いや、悪い。今のは聞き方が悪かったな。仕えている主の個人的なことは真面目なお前には話しにくいよな。」
黙っていたのを都合良く解釈してくれたのか、ナンディナは申し訳なさげに謝ってきた。
「お気遣い有難うございます。」
ここは有難くその勘違いにのらせてもらうことにした。
「じゃあさ、お前のことを教えてくれよ。俺、お前のことも気になってたんだ。『第一王女の黒い猟犬』。」
「それは…二つ名のようなものですか?随分と大層な名前を付けられたものですね。」
「いや、だって、お前の名前を知ってる人の方が少ないからさ。王城に勤めている人なら大体皆この呼び方だよ。」
「そうなのですか。あまり主以外の方と関わりがないもので。」
俺の発言にナンディナが目を丸くする。
「まじか、いつも王女様の護衛をしてるのか?休日とかは?」
「休日などは特に頂いていないですね。」
「それ、大丈夫なのか?親父を通して休みを貰えるように言ってやろうか?」
「いえ、私もお休みを頂いても特にすることもありませんし、主の護衛は私しかおりませんから。」
「そうは言っても…。あの王女様とずっと一緒にいて疲れたりしないのか?」
返答に困った。我儘理不尽王女に対する返答としては『正直疲れる』が正解なのだろう。だが、主と一緒にいて特に疲れると思ったこともないし、休みが欲しいと思ったこともなかった。むしろこの王城に主を一人にすることの方が余程俺には辛かった。
しかし、周りから見たら俺が無理矢理主に仕えさせられているように見えるのだろう。
だが、それは何も知らないからそう思えるのだ。
「…そのようなことは決して。」
あの少女を欺いて、自分勝手な理由で忠誠を誓って、利用している。
俺の方が余程…。
週五日毎日投稿しようと思っていたのに、少し時間が過ぎてしまったの悔しいです。