1話
茫漠とした荒地が広がるオイミャコン地区。
嘗て極寒の地と呼ばれた世界は見る影もなく、鋭い岩石が突き刺さるように生え、強い陽射によって生み出される陽炎と灼熱の大地は、まるで腹を空かせた獣の口内を想起させる。
それ故か普段は生き物の気配は全くなく、乾いた熱風だけが吹くのみ。
しかし――今日に限っては違った。
大小二つの影がこの地に同化するように歩んでいた。
見渡す限り同じ風景が続くこの場所だ。かなりの時間歩き続けてきたのだろう。
長らく保たれていた沈黙は、小さい影から発せられた不満の声によって破られる。
「まだかよー、まだ着かないのかよー……」
砂色の目深なフードに全身を覆うほどのマントを纏っているにも関わらず、引き摺るような足取り一つで全身から倦怠感を表している。
「いったい何度その台詞を口にすれば気が済むのですか? もうそろそろですから愚痴をこぼす前にしっかり足を動かして下さい」
溜め息交じりに応えたのは同じ格好をしたもう一つの大きな影だ。ただしこちらは百リットルは入るであろう土色のバックパックを背負っていて足取りもしっかりしている。
すると少年は反抗するように足を止め抗議しだす。
「そろそろだ、そろそろだ言っといて全然着かねーじゃねーか! それにコウエイは歩幅が大きいんだからオレの方が疲れやすいんだよ!」
確かに彼の背丈は百四十にも満たず、対するコウエイと呼ばれた男は百八十近い身長があり、また大人と子供という差も考慮すればその意見は真っ当だろう。
だがそれは彼らには当てはまらない。
「私よりも体力があって荷物も持ってない貴方が『疲れた』などと言いますか。大体港を出て直ぐにダラダラと歩いたのは誰ですか?」
青年は言い終えると同時にマントの下から古びた懐中時計を取り出し、
「きっとアキラが最初から真面目に歩いていてくれたらこの時間にはとっくに! ついていたでしょうねえ」
とひらひらとアキラに見せ付けるように掲げたのち、溜め息と共にしまった。
普段の彼ならもう少し少年に対して言葉を選ぶのだが、長時間の旅で疲労と鬱憤が溜まっているのかどこか大人気ない。
「う~~っ!」
唸るだけで反論のセリフが浮かばないアキラは渋々歩き出すが、憂さを晴らすかのように大地を踏み鳴らすようにのしのしと進んだ。
すると、
「ああもう、そう音を立てて歩かないで下さい!」
コウエイに首根っこを掴まれ阻まれた。
「何しやがる!? 仕方なくこっちがとっとと進んでやりゃー邪魔しやがって!」
「それ自体は良い事ですがそんなに音を立てて歩くと地中で眠っている――」
「だーそうやっていちいちケチ付ける!」
アキラは青年の発言を遮るように猛り立つと乱暴に手を払う。
「もういい! 翌々考えりゃー今日中に着くってーなら、さほど遠くねーんだからチマチマ歩く必要なんかねーんだ。オレだけ先に行くぞ!」
「ままっ、待って下さい、あと少しなんですから急ぐ必要なんてないでしょう!」
突然のやる気に慌てふためくコウエイだが、何処か様子がおかしい。
そんなアキラは心配を余所にピョンピョンと飛び跳ねながら両手足を振って体を解していた。
また何処か高揚しているようにも映る。
「町の前までだからそんな心配すんなって!」
「私が気にしているのはそちらではなく」
頭を抑えながら説得しようとする青年だが時すでに遅し。
少年の足元には亀裂が入り、同時に体からは蒸気が噴き出し、陽炎と相まって周囲を更に歪めていた。
「そんじゃー先に町をブラブラしてっからとっとと来いよ」
別れを告げながら格好良く去り際のポーズを決めようとするアキラだったが、ふと景色がブレている事に気付く。
最初は自身から噴き出る熱気と陽炎によってかと気に留めなかったが、辺り一帯に鳴り響く地鳴りが違うのだと教える。
そして二人が身構えるより早く大地から巨大な熊が現れた。
爆音を轟かせながら出現したソレは、全長十メートルもありそうな巨躯に前足は後ろ足の二倍の太さはあり、また分厚い装甲でも取り付けたかのように厳つい。
暫らく体を震わせ砂などを払った後、スンスンと鼻を動かす。
やがて鼻を二人がいる先へ向け、双眸で完全に捉えると、前足で砕けた地面を薙ぎ払いながらゆっくりと近付き出した。
「あぁ、だから言ったのに……」
「な、なんだよ! コウエイがちゃんと説明しなかったのが悪いんだろ!」
今まで以上に深いため息を吐くコウエイにたじろぐアキラ。
けれども二人はこの異様に大きな熊が現れたことこそ驚いたものの存在していることに気にも留めなかった。
それも当然かもしれない。
なぜならこの地球は二百年も前に自然の摂理は大きく変動してしまったのだから。
きっかけは『星の革命期』と称される一日中隕石が降り注いだのが起因である。
流星群が落下してきたのかと思わせる大事変は、幸い地球が滅亡せずに済んだが大きな爪痕を残した。
地表は抉れ、山々は崩れ、大地は傾き、海は割れ、天候は荒んだ。
それにより自然は嘗ての循環過程を失い、日々異なる状況を見せた。
そのいずれもが猛り狂うように周囲を破壊し、目まぐるしく世界を変化させながら。
しかし、それも時間と流れによって落ち着いた。
より正確に述べるのなら地球が歪んでしまった世界に適応したのだ。
現に真冬の時期でありながら灼熱の地と化しているこの地区が良い例だろう。
そして生物もまた然り。
本来彼らは隕石群や度重なる異常気象という過酷さにより息絶えるのは必然だったはずだ。
――だが、生き残った。
動植物は特別な行いをした訳ではない。
ただ強欲に、貪婪に、慾深に、胴慾に、大慾に、意地汚く、業突張りに、
『生きよう』と足掻き続けた。
そしてその執着は生命に新たな力をもたらした。
劣悪な環境に打ち勝つ強靭な肉体や適応する順応性、果ては異常気象を利用する生物も現れた。
そう。つまり彼らはその意志だけで、通常なら何千・何万年と掛けて遂げる進化を短期間で至って見せたのだ。
その例が、
『グオオオオオオオオオオオ――ッ!』
「あれはシベリアヒグマと言って極度に自分の縄張りを荒らされるのを嫌うのです」
「それを先に言え――っ!」
このシベリアヒグマである。
「ははは、素晴らしい毛並ですね。年中高温の地でも活動できるよう常に毛根から水滴を分泌し体内の熱を逃がしているのですよ。また水滴によって全身が輝いて見えるのでその美しさが艶やかな髪と似ていることから別名キューティクルベアーと――」
「現実逃避して雑学ひけらかしてないでさっさと対処法を教えろー!」
虚ろな目で笑うコウエイを必死に揺さ振るアキラ。
しかし直ぐに二人の意識はヒグマへと戻される。
理由は巨大な前足が天高く掲げら辺りが暗くなったからた。
「ったく……肝心な時に使えねー」
少年は諦めたかのように溜め息を履いた直後、二人はヒグマに押し潰される。
「けどまあ――事前に発動しておいてよかったぜ」
直後、砂塵と蒸気が混ざり合うように舞い、辺りを包んだ。
ここまで読んでいただきありがとうがいます。
至らぬ点が多々あるかと思いますがよろしくお願いします。