別れ話。
―――どうしてこんな事になってしまったのだろう。切っ掛けはほんの些細なつまづきだった。
「離せ」
男はぶっきらぼうにそう言い放った。
「嫌、離さない」
女は縋るように男の腕を強く握っている。
「いい加減にしろ、無理やりにでもほどくぞ」
男は女の手を払おうと、掴まれたままの腕を振り乱すが、どうにも上手くいかない。女は必死に握りしめ続けている。
「ダメだよ。絶対にダメ」
これだけ言われて、尚、女は諦めようとしない。
「……頼むから、もう離してくれよ、俺の事なんか忘れて普通に生きればいいだろ」
男は辟易した調子でそう言った。女の必死さを、今はもう、悲しくしか感じられない。
「絶対に離さない。貴方と一緒じゃないと生きている意味が無いの。離すくらいなら、ここで私も死ぬから」
そう零した女の眼尻には、涙が溜まっている。今にも堰をきって溢れだしそうだ。
「馬鹿な事言うな。お前が死んで何になる?そもそも死ねば同じ場所に行けるのか?行けたとしても自分から死ぬような女は俺はお断りだ、もういい加減離せよ。お前の相手してるのも限界なんだよ。とっとと何処か行け」
そういうと男は俯いて、もう離せという事も無くなった。二人を風が凪いだ。掴んだ手の力も、そろそろ限界というところだ。残された時間は少ない。束の間の空白の後、女は再び口を開いた。
「私の事、好きじゃなかった?」
「……」
「私と居ても楽しくなかった?」
「……うるさい」
「私は楽しかったよ」
「……今更遅い。俺は楽しくなんてなかった。」
「……好きだよ」
「俺は嫌いだ、簡単に死ぬなんて言うような奴は」
「うん」
女の額には、脂汗が滲んでいる。もう本当に限界なのだろう。
「貴方は、嘘をつくのが下手だから。わかるよ。最後だからって、嫌われようとしてるんでしょ。ダメだよ。私、次になんていかないから」
男は困ったような顔で見上げた。
「……バカ、次に行けよな。こんなふざけた終わりなんだ、格好くらいつけさせろよ」
諦めたような様子で、男は笑った。その笑みを見て、女も微笑んだ。
「俺も好きだ、愛してた」
するりと、繋いでいた手が解けた。二人とも力の限界だったのだろう。男は安らかな顔で谷底へと落ちて行った。
女は一人、残された。いつまでも、谷底を眺めていた。