夜に飛ぶ鳥を数える
小学五年の夏休みに、何だかよくわからない理由で父方の祖父母の家に泊まりに行くことになったんだけど。
その時の話。
じいさんばあさんの家は岩手のド田舎にあって、基本的には何にもやることがなかった。子供心にもまったくパッとしない場所だった記憶がある。とは言っても、おれは別に田舎が嫌いだったわけじゃない。それどころか、近くに川があったり、カブトムシやクワガタの取れる山の中とか、そんなところだったら文句も言わずに遊びまくってたはずだ。でも、そういう子供のテンションを上げてくれるような田舎じゃなくて、何ていうか、辛気臭いさびれた感じの場所だった。
まわりは竹林で、裏にあるのは古い幼稚園。しかも何年も前に閉鎖してるやつ。それはそれは不気味ったらありゃしなかった。近所もぼろぼろの土壁に囲まれた、土蔵のある大昔の家ばっかり。道も細くて狭いし坂道だらけ。あの辺、ほんとに人って住んでたのかな? どう思い出しても、人気のない家ばっかりだったような。
そういうのもあって、あの夏、じいさんばあさんから遊びに来いって連絡があった時は速攻で断った。ていうか、そもそも普段からあんまりお互い行き来してなかったし。疎遠だったはずなのに、なんであの時の夏に限ってそんなことを言ってきたのか、今でも不思議なんだよなあ。
しかも本当にしつこくて、三日連続で親に電話がかかってきてた。あまりにもしつこいのと、従兄弟のけんちゃんも来るって言うから、とうとう親がうんって返事しちゃって。えー何で行かないといけないのー嫌なんだよねーっておれがダダこねてたら、とうとう母ちゃんにしばかれた。
「あんなじいさんの電話の相手ばっかりしてられないのよ! ほんとにしつこいんだから! あんたも黙って行ってらっしゃい!」
だってさ。ほんと大人って理不尽。
まあでもけんちゃんも来るんだったらいいかなーて思い直して、それこそ出発の一週間前にはもう逆に待ちきれないほどになってたんだけど。子供って単純だよね。
でも、行かなきゃよかった。
今思い出してもゾッとする。
着いてすぐは、なかなか楽しかったんだよな。
久しぶりにけんちゃんに会って、最初は野良犬同士みたいに様子見してたんだけど、あっという間に昔のちびっこギャングに戻ってた。ふたりでケイドロして、狭い道を走り回ったりしてた。幼稚園の塀をよじ登ったり。まあとにかくキャッキャ言って遊んでたわけ。一体何がそんなに楽しかったのか、小一時間ぐらい問い詰めてみたいわ。
でも、いつも夕方になると嫌な感じがしてた。昼間から人っ子ひとりいない開放感が、薄暗くなってきて気味の悪さに変わるんだよね。いつの間にかひぐらしも鳴き出したりして。あれって、ホラーか何かのフラグかよってぐらいに雰囲気抜群。
けんちゃんもおれも、夕方になると、どちらから言うでもなく追いかけるのをやめて、くっつきながら竹林に囲まれた坂道をトボトボ帰る。けっこう深い竹林で、まわりのどこ見ても竹しかない。もちろん、遠くの方も竹だらけ。なのに、何かいるような気配がある。単にサラサラ鳴ってるだけなのに。ある日なんか、けんちゃんが、「あれ? 誰か喋ってる…」なんて言うもんだから、ひとりでダッシュで逃げ出した。じじばばの家に着いたあと、けんちゃん、そういやちょっと泣いてたな。
ああそうだ。
肝心のじいさんばあさんなんだけど。
あれだけ熱心に来い来いって言ってたわりに、大した歓迎ムードでもなかった。いや普通に歓迎はしてくれてたんだけど、別にそこまでの待遇でもない。あれやこれや、特に話しかけてくるでもないし。着いた当初は、一体なんであんなにしつこかったんだろうて不思議に思った。でもけんちゃんはそこまで気になってなかったみたいで、おれもすぐにそんなことは忘れた。遊び相手と空間と、三度の飯さえあれば子供はたいてい満足なわけで。
あと、そうだ。あの風呂。五右衛門風呂だったんだよね。薪でお湯を沸かすやつ。あれはすごい気持ちよかったなあ。薪燃やすのはじいさんがやってくれて、おれらは五右衛門風呂の中でひたすら暴れてるだけでよかったし。まさに田舎の夏の夜って感じだった。
五右衛門風呂に入ったあとは、山菜やら佃煮やら漬物なんかの飯食って、しばらくしたらばあさんがスイカ切ってくれて。テレビなんかないから、そのあとは歯磨いて寝るだけ。もちろん、ゲームも携帯もなし。なかったらなかったで何とかなるもんだし、逆によく眠れるんだよね。ほんと朝までぐっすり。
でも、あの夜はなぜか眠れなかった。
明日には帰るって日の夜、着いてからもう一週間ぐらいは経ってた。
意外と都会でもそうだけど、夏の夜は虫やら何やらがジイジイよく鳴いてる。でも絶対に姿は見えないんだよね。まあ、こっちとしてもあんまり探す気はないんだけど。虫ってグロいじゃん。子供の頃はどうして平気だったんだか、これも今となっては小一時間ぐらい問い詰めたいところだな。
あの夜は、真夜中にふと目が覚めてからどうにもこうにも眠れなくなった。それでひとりで布団を抜け出して、縁側の廊下の突き当りにあるトイレに行ったんだ。そのあと、鳴いてる虫を見つけようと、縁側に座り込んでじいっと真っ暗な庭を見てた。ジイジイやらピロピロやら聞こえてくるものの、やっぱり姿はひとつも見えやしない。中には、ほんとに虫が出してるのか怪しいような野太い鳴き声まで聞こえてくるのに。
何となく意地になってたら余計に眠れなくなったわけなんだけど、ふと気が付くと後ろにじいさんが立ってた。無言で。
目が合ってるのに何も言わない。
いやビビったね。
でも、ちょっとしてじいさんがおれに聞いてきた。
「眠れんのか」
おれはうんと答えた。お前にビビったせいで余計に目が覚めたわとは言えなかった。
するとじいさんが、
「数えるとええ。鳴いてる虫の数でも数えてみい」
なんて言う。
羊みたいなもんかと、おれは素直にわかったと言って数えてみた。
ジイジイ虫が一匹、ピロピロ虫が2匹…とかなんとか。実はちょっとバカらしく思ってたんだけど、そのうちほんとに眠くなってきちゃって。年寄りの知恵ってあんだなーなんてぼんやり思った。
いい具合になってきたから、そろそろ布団に戻るって言うと、じいさんが今度はこんなことを言ってきた。
「まだ眠れんか。眠れんのかおまえ」
いや、もうそこそこ眠たいんだけど。
おれが首を振りつつもぞもぞ答えようとしてると、
「ほな今度は鳥を数えてみい。鳥を数えてみたらええぞ」
だから眠いんだって。
なんて思ってはみたものの、なんか断るのも悪い気がしたので言われた通り数えてみたんだよ。そもそも鳥なんていたっけなんて思いながら。
そしたら、実際に鳥の鳴き声がしてきた。クルクル、クルクルって。
鳩でもいるんだなあ、あいつらはどこにでもいるんだなあなんて、妙に感心した。
すると、そのうちバサバサって音がして、庭に鳩が降りてきた気配もする。
まずは一羽。
バサバサ。次に二羽。
バサバサ。次に三羽。
…あれ?と思った。
そういえば、夜に鳩なんて飛ぶんだっけ?って。
真っ暗な庭を見てみても何もいない。
バサバサ。
また一羽増えた。
でも、やっぱり庭に鳩なんかいない。
これで何羽目だろうって思ってると、急にじいさんが、
「数えた!数えたなおまえ!」
とか叫びだした。
おれはというと、当然、口を開けたままあんぐり。
「夜に飛ぶ鳥を数えたな!数えたぁぁあ!ぎゃーーーあああああああああああ!数えた!数えたぬぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!」
直立不動のまま、目を見開いて絶叫してる。
でも、ものすごく嬉しそうに笑ってるんだよ。にんまりと。
…まあそりゃビビるよね。当たり前の話だけど。
おれは一体何が起きてるのかわけもわからず、一目散にばあさんとけんちゃんが寝てる畳の部屋に駆け込んだ。なんか叫びながら勢いよく障子を開けたと思うんだけど、ふたりとも起きやしない。というか、あのじいさんの絶叫でも起きないとかあり得んのかって話。
仕方がないから、おれはそこらにあった布団を頭からかぶって寝たふりをすることにした。それはもう、あの時ほど完璧な寝たふりは一生できないだろってほどのやつを。
でも、そのあとは静かなもんだった。じいさんの叫び声もしないし、追いかけてくる気配もない。虫の鳴き声だけがしてた。
おれは鳥の声だけは聞かないようになんてビビりつつ、結局いつの間にか眠ってたってわけ。気が付いたらもう朝で、隣の部屋からはばあさんとけんちゃんののんきな話し声が聞こえてきてた。
ああ、夢だったんかーよかったーと思って起きてみたら、じいさんと目が合った。
じいさんが上からおれをのぞきこんでたんだよね。
腰を思いっきり折り曲げながら、目を見開いて。
結局、その日の午前中にはそれぞれの親が迎えに来てさっさと帰ったんだけど。じいさんとは何も話さず、それでおしまい。
あの時以来、あそこには行ってない。もう三十年ぐらい経ってるかなあ。
あれは一体何だったんだろうって話。
いやほんとゾッとする。
今日、仕事から帰ってきたら嫁がこんなことを言ってきた。
「岩手のおじいちゃんから電話があったわよ。この夏休みにひ孫を連れてこっちに遊びに来いって。ねえどうする?」
え???
どうするったっていやいや。
あのじいさん、もうとっくに死んでる。
ばあさんもボケてから施設に入ってて、もう死にかけなんだけど。
一体どこのじじいからだよ。あ、岩手のか。
いやいや、だからもう死んでるんだって。
それに、とおれはふと思った。
今度はけんちゃんももういないんだよなあ。
あのあと、帰り道で事故に遭って、けんちゃんのとこみんな死んじゃったんだよね。
なんかいろんなところが潰れてて。
即死だったって。