4日目-20
時間は少しだけ遡る。
森の中を進む小枝は、その光景を前に、眉を顰めていた。ブレスベルゲンに近付けば近付くほど、魔物の密度が加速度的に増えていき、終いには、まるで魔物の洪水のような様相を呈してきたからだ。
その結果、この世界の冒険者というものがどれほどの強さを持った者たちなのか知らなかった小枝は、ふとこんなことを考える。
「(これ、冒険者の方々だけでどうにかなる量の魔物なのでしょうか?)」
大量の魔物を前に不安に駆られつつ、森を抜けると……。その先で冒険者たちが、魔物に対処すべく、バリケードや塹壕を作っている姿が見えてくる。その辺に生えている適当な木を伐って、それらを地面に挿して……。その隙間から、細長い槍を出したり、あるいは魔法など撃ちを出したりするなどして、バリケードの内側から安全に魔物たち攻撃する腹づもりだったようだ。
しかし、小枝の表情は冴えない。
「(あれはバリケードを越えられない人間相手なら、ある程度は効果を発揮すると思いますが……)」
と、小枝がバリケードの強度を考えていると——、
バキバキッ……ズドォォォォン!!
——案の定、バリケードは、魔物の体当たりを受けて、跡形無く粉々に砕け散ってしまった。
「(あー、言わんこっちゃ無い……)」
バリケードが吹き飛ばされてから数ミリ秒間、小枝はどうするかを悩んだ。ゆっくりと流れる時間の中で彼女が悩んでいたのは、敢えて言うまでもなく、冒険者たちを助けるかどうか、である。
このまま冒険者たちを放置した場合、およそおよそ20ミリ秒後には、魔物によって吹き飛ばされたバリケードによって、冒険者たちが怪我を負い、100ミリ秒後には、魔物たちに跳ね飛ばされて命を落とすだろう事は明白だった。……自身の力を知られるというリスクを負ってまで彼らの事を助けるべきか。あるいは、この世界のことだと割り切って、見て見ぬふりを突き通すか……。
元はと言えば、このスタンピードは、単なる魔物の暴走ではなく、隣国ガベスタン王国からの攻撃なのである。つまりこのスタンピードは、この世界に生きる人々同士の戦争。本来なら、現代世界出身の小枝が口を挟んで良いものでは無かった。
なら、見殺しにするのかというと、そう単純な話ではないというのもまた事実。小枝は既に、衝動的に、魔女グレーテルを助けてしまっているである。……そう、彼女は、人々の事を見捨てることが、性格的に難しかったのだ。
「(異世界の人々同士のいざこざですし、論理的に考えるなら、手を貸さない方が良いのでしょう。えぇ、そうしましょう。私は機械。どう考えても、この件は、無視すべき事柄です)」
そんなことを考えて、小枝は見て見ぬふりを決め込もうとするのだが——、
ズドォォォォン!!
「……もう、助けられるのに助けないとか、そんな人間らしくないこと、出来るわけ無いじゃないですか!」
——結局、重力制御システムを展開して、人々と魔物との衝突の衝撃を、最小限に食い止めることにしたようである。
その結果、冒険者たちの身体からは大部分の質量が失われて、まるで木の葉のように宙を舞うことになった。彼らの身体に掛かる衝撃は、その例え通りに、魔物が木の葉に体当たりをする程度のもので、衝突の衝撃によって命を落とす者は、誰一人としていなかったようだ。
「(もう、この世界に来てから後悔ばかりですね……。まぁ、良いです。毒喰らわば皿まで!次はどうしましょう?)」
その場にいた冒険者たちの取りあえずの安全は確保したものの、これからどうすれば良いのか……。宙を舞う冒険者たちの姿に眼を細めながら、小枝は次なる行動について考えを巡らせた。
「(異相空間に引っ張り込んで……そのうち、適当な場所に放り投げておきますかね)」
小枝は0.3秒でそう判断すると、あまりの恐怖に意識を失った冒険者たちを異相空間へと放り込んだ。
そして彼女は次に犠牲者が出るだろう場所へと急行する。
ドゴォォォォン!!
そこでも冒険者たちは、逃げること無く、魔物の濁流に呑み込まれかけて……。小枝が救出することになる。
「(馬鹿なのでしょうか?死ぬことは分かっていますよね?なぜ皆さん、逃げないのでしょうか?)」
そんな疑問を感じながらも、小枝は次々に冒険者たちを救出し続けた。
ズドォォォォン!!
「…………」
バゴォォォォン!!
「…………はぁ」
4箇所目の救出を行ったところで、小枝は大きな溜息を吐く。冒険者たちは誰1人として逃げようとせず、皆、最期の瞬間まで、諦めずに魔物を倒そうとしていたのだ。例えるなら、まるで、大切な者を守るために死を覚悟した兵士のように……。
「……分かりません」
キュィィィィン……
不意に、小枝の周囲を、甲高い音が包み込む。
「……なぜ、自分の機能が停止してしまうかも知れないというのに、立ち向かうのです?」
ギィィィィィン!!
金属が滑るような甲高い音が、暴力的な音へと変わっていく。それと共に、小枝を包み込む空気が、蜃気楼のようにゆらゆらと歪み始めた。
「それが人間だから……なのですか?」
ズゴゴゴゴゴゴ!!
甲高い音は既に人の耳には聞こえないほどの高い音となって消え去り、その代わりに、地面を揺るがすほどの低周波が、小枝を中心に広がっていく。
それは小枝の機動装甲から吹き出したジェットが引き起こした振動。虚空に突然現れた2つの巨大なノズルから吹き出す爆風が作り出した風の音だった。
その音に、魔物たちは動きを止めた。しかしそれは、小枝を新たな標的として認識したからというわけではない。聞いたことの無い圧倒的、高圧的、暴力的な音——否、衝撃を無視できなくなったのだ。
そんな爆音を前に彼らが感じていたのは恐怖。生物として抗うことの出来ない何か巨大な力が、小枝を中心に吹き出している事を直感的に察したのである。
立ち止まって自分に視線を向けてくる魔物たちに対し、瞳を炎のように赤く輝かせた小枝は——、
「……貴方たちなら分かりますか?人間とは何なのかを。それが分からないのなら……貴方たちに用はありません。私の前から消え去りなさい!」
——そう言って、右手を横に薙いだ。
こうしてすべての音が消えたのである。その場にあったすべての音を、小枝の機動装甲のエンジン音が喰らい尽くしたからだ。