4日目-16
ブゥン……
「……さーて。どこから手を付けたものでしょう?」
現代世界から戻ってきて、森の中に降り立った小枝は、ゆっくりと周囲を見渡した。
森の中は、魔物が大量に移動したせいか、小さな木や植物などが荒れ果てた姿になっていて……。まるで強い嵐が過ぎ去った後のような無残な姿に変わっていたようである。もちろん、グレーテルの自宅も例外ではない。
そんな森の中を見通す小枝の目には、魔物たちが作り出す体温が画像として浮かび上がっていた。小枝はそれを使って、魔物たちがどこからどこへと向かって移動しているのか、その流れを解析する。
「(まずは、上流に向かって移動してみましょうかね)」
魔物たちが向かう下流——ブレスベルゲンの町の方は、冒険者ギルドが対策を施しているはずなので、そちらは冒険者たちに任せて……。小枝はギルドで宣言した通りにスタンピードの原因を探ろうと、森の中を北東に向かって移動し始めた。魔物が流れてくる上流方向に向かえば、何かあるはずだと考えたのだ。
その際、彼女は、異相空間に姿を隠すのではなく、実体を伴ったままの状態で移動することにした。異相空間にいれば、実空間にある物質との干渉を避けて真っ直ぐに移動できる反面、音や光などの物理的な現象も届かなくなるので、調査をするには不向きだったのだ。
キィィィィン……
小枝は宙に浮かんで、木々の隙間を飛び抜けた。その速度、およそ時速500km。リニアモーターカー並の速度で、木の生い茂る森の中を難なく移動するその姿は、もはや人間どころか、機械ですらも不可能な領域に入りつつあったのだが……。元が空を飛ぶ機動装甲を持つ小枝には、これと言って問題と言えるほどではなかったようである。
そして、5分後。元の地点からおよそ40kmほど離れた地点までやってきた小枝は、そこで速度を落とすと、静かに地面に降り立った。魔物たちの熱源が周囲から消えたのである。
その理由として考えられるのは、2つ。経路を間違えたか、あるいは魔物を移動させた原因に近付いたか……。
しかし、機械である小枝が経路を間違えるわけもなく……。消去法的に、原因は1つしか考えられなかった。
「(……いますね。何でしょう?)」
小枝の温度カメラが、魔物がまったくいない異様な領域を越えた向こう側に、何かしらの熱源を探知する。
しかし、小枝はすぐに近寄ろうとはしない。そこにはこんな理由があった。
「(人……ですね。あるいは人に近い大きさの魔物か……)」
と、いったように、人間らしき熱源が森の奥に確認できたのである。一応、人間アピールのことを忘れていなかった小枝は、相手が何者であれ、自分の正体を悟られたくなかったのだ。
ゆえに、彼女はここに来て、異相空間隠蔽システムを起動した。異相空間からそっと忍び寄って、人らしき熱源が、森の奥で何をしているのかを探ろう、というわけである。
◇
魔女の森の奥深く。隣国のガベスタン王国との国境としてそびえ立つ大きな山脈のその麓。そこでは、黒いローブに身を包んだ怪しげな集団が、森を50m四方に渡って渡り切り開き、そこに巨大な魔方陣を描いていた。
「……魔物たちを森から追い出すスタンピードの"陣"は完成した。別働隊で進行中の作戦も順調だと報告を受けておる。後は計画通り、ここを嗅ぎつけられる前に、明日の朝、この地を発つ。皆の者。証拠を残さぬよう注意せよ!」
「「「はっ!」」」
「解散!」
彼らはガベスタン王国の影の者たち。表立って行動できない王国の"意思"を秘密裏に実行する特殊機関の者たちである。
そんな黒服一行のリーダーと思しき老齢の男は、手下の者たちに指示を出した後、徐々に赤く染まりつつあった空を見上げながら、誰に向けるでもなく毒づいた。
「……まったく惜しい者たちを失ってしまったのう。ブレスベルゲンの女狐め……。スタンピードに喰われるが良いわ!」
そう独り言を口にして、空に向けた視線をすっと細めるこの老齢の男は、数日前まで毎晩のようにブレスベルゲンの領主であるアルティシアのことをストーキング——おっと、暗殺するためにやってきていた暗殺者たちのリーダーである。
彼が毒づいていたのは、町に忍び込ませている斥候から上がってくる情報に、領主のアルティシアが死去した、という情報が無いせいだった。それはつまり、戻ってこない暗殺者たちが、無駄死にしてしまったということに他ならず……。暗殺者たちへと指示を下した者として、無念でならなかったようである。
しかし、国の影に生きる者として、人が数人無くなった程度で、感傷に浸るわけにはいかなかった。彼らにとって人の死とは、統計上の数字。たとえ、それが、親しい部下の数だったとしても、小さな数字に拘る自由を、国の暗部たる彼は持ち合わせていなかったのだ。
ゆえに老齢の男は、空へと向けていた目を瞑って、心の整理を付けた後……。周囲で作業をする部下たちへと視線を下ろして、状況を見守ろうとした。
そこで彼は、とある異変にふと気付く。
「(……?何だあれは……。皆、額に文字が書かれている……?ふざけているのか?)」
黒いローブの隙間から見え隠れする部下たちの顔——特に額の部分に、何やら文字が書かれていたのだ。具体的には"肉"などという意味不明な文字が……。
その時、彼は思い出していた。……つい数分前に行ったばかりの打ち合わせの際、部下たちの額に文字は書かれていただろうか、と。
しかし、彼が思い出す限り、打ち合わせの際には、部下たちの額に文字など書かれていなかった。つまり打ち合わせの後に書かれた、ということになるのだが——、
「……まさかっ?!」くわっ
——そこで彼は、ある答えを思い至る。
「(もしや、儂、皆に嫌われておるんじゃなかろうか……?)」
皆、申し合わせたように額に文字を書いているというのに、自分だけが書いていない。それは自分だけが除け者にされた結果なのではないか……。黒服の者たちのリーダーたる老齢の男は、そんなことを考えたらしい。
「(……この仕事が終わったら、引退するかのう……)」
彼はそんなことを考えて、深く溜息を吐いた。
……なお、言うまでもないことかも知れないが、そんな彼の額にも、いつの間にか大きく"肉"と書かれていて——、
「(……なぁ、あれ、わざとか?)」
「(これ、俺たちも書くべきじゃね?)」
「(んだな……。ボスがやってんだし……)」
——と、彼の部下の者たちも皆が同じ事を考えているとは、本人も部下たちも気付いていなかったのだとか……。
"肉"以外に書く文字が思い付かなかったのじゃ。
"的"でも良かったのじゃが、実際に的にするつもりはないしのう……。
まぁ、かと言って、肉塊にするつもりもないのじゃがの?




