4日目-15
グレーテルの心臓が停止してから10秒後。小枝は何を思ったのか、この世界に持ってきた食事を加熱して、炭化させてしまっていた。とはいえ、彼女の目的は、食事を炭にすることではない。食事に含まれていた水分——それも純水を確保することにあったようだ。
食事から蒸発した水分量は、およそ500ml。小枝は蒸発した水蒸気を重力制御システムで捕まえると、それを物体の温度を自由に変えられるシステム——相転移システムを用いて冷却し、液体へと変えた。その上で、水の中に、現代世界から持ってきた調味料の一つである食塩を加えて……。生理食塩水を作り出した。
それをグレーテルの心臓内へと押し込むように投与する。
「(処置として十分に足りているとは言い難いですが……そこはグレーテルさんの生命力と、回復薬に賭けるしかありません。というか、この回復薬は、一体どんな原理で生体組織を修復しているのでしょうね?)」
と、小枝が回復薬に疑問を覚えた——そんな時だった。
トクン……
グレーテルの心臓が再び動き始める。
「(……!よかった……。とりあえずは、これでいいでしょう)」
グレーテルの心臓が力強く動いて、止まる気配が無い事を確認してから……。小枝はグレーテルの胸から手を抜くと、そこに回復薬を塗り込んだ。するとグレーテルの傷口が蠢いて、数秒後には胸の穴が塞がっていく。
「本当にハイテクですね……」
果たして、現代世界にあるナノマシンを使ったとして、ここまで高速に回復するだろうか……。小枝はそんなことを考えながら、同時にこんなことも考えていた。
「(……さて、グレーテルさんのことを、どうすれば良いでしょう?)」
まだ容態の安定しないグレーテルのことを森の中に放置するわけにもいかず、かといって町に連れ帰ったところで彼女に居場所は無く、だからといって現代世界に連れ帰るというのもリスクが大きすぎる……。
しかし、せっかく助けたグレーテルの容態を考えると、すぐに答えは出たようである。消去法的に、選択肢は一つしか残らなかったのだ。
「……姉様、ごめんなさい!」
ブゥン……
小枝はグレーテルを連れて、現代世界に戻ることにしたのである。そこなら姉のキラがいるので、確実にグレーテルを助けられると判断したようだ。
◇
「姉様!」
現代世界の検疫室(?)に戻ってくるや否や、小枝はどこに向けるでもなく声を上げた。すると姉のキラは部屋の中にいなかったものの、小枝のその声を聞いて、近くにあった自宅から急いで走ってきたようだ。
「……小枝?帰ってきt——」
検疫室にやってきたキラは、内部の光景を見て閉口した。それもそのはず。小枝が見ず知らずの女性を抱えていたからだ。それも、全身血まみれの。
「……それ、ワイバーンじゃない……」
「いやいや、今そこを残念がる場合じゃありませんよ!姉様!この人が死にそうなので、ここに置いておいてあげて欲しいのです!」
「……小枝」
「私たちの住まう土地に人間を入れてはいけないというのは分かっています。ですが、どうしても手が動いてしまって……。どこか似ているんですよ。この人の性格とワルツの性格が……」
「……小枝」
「……やはり、ダメなのですか?ガーディアンの掟を破ってはならないと仰るのですか?」
静かに自分へと語りかけようとしてくる姉に、小枝は縋るような視線を向けた。
対するキラは、というと……。小枝の予想とは大きく異なることを考えていたようである。
「……この人、研究の対象にしても良い?」キラキラ
「えっ……」
「……この人、異世界人。すごく興味がある」
「あっ……そういえばそうでしたね……。グレーテルさん、この世界の人間じゃありませんでした」
「……もう一度聞く。研究してもいい?」キラキラ
「人体実験とかしなければ……いえ、少しくらいならお姉様の自由にして頂いて結構です。あ、でも少しですよ?本当に少しだけですからね?あと、できればこの薬を使って傷とかを治してあげてもらえますか?」
「……超回復薬?」きゅぴーん
「そうです。胸の傷とか、手足の傷とか、コレで塞いだんです。すごい効き目なので、これも研究の対象になると思います!」
「……分かった。すぐに取りかかる」きりっ
そう口にした途端、まるで変身モノの特撮映像のように、キラは一瞬で着替えてしまった。彼女がいま身につけているのは白衣。どうやら身体の座標と重なるように異相空間から白衣を取り出して、そのまま顕現させたらしい。
それからキラは、作業台にグレーテルを運んで、ワキワキと両手の指を動かした後で、ふと後ろを振り返って妹に問いかける。
「……小枝は戻るの?」
「えぇ、今、向こうではスタンピード……えっと、魔物の暴走が起こっているので、その原因を探らなくてはいけないのです」
「……楽しそう」
「……今にも死人が出そうなので、果たして楽しいと言って良いのかは迷ってしまうところですが……決して楽しくなくはありません」
「……そう」
キラは短く相づちを打つと、まるで興味を失ったように、小枝に背を向けた。どうやら本格的にグレーテルの検査兼治療を行うつもりらしい。
「では姉様、行ってきます。帰りは……また朝ごろに戻ってこようと思います」
「……分かった。気を付けて」
「はい」
ブゥン……
そして小枝は、グレーテルを姉に任せて、再び異世界へと旅立ったのである。そこで起こっているスタンピードの原因を——グレーテルを意識不明の重体に陥れることになった現象の原因を突き止めるために……。