4日目-6
キィィィィンッ!!
深い森の中に甲高い音が響き渡る。木々の隙間を突き抜けるのは、春の季節らしい穏やかな風、ではなく——、
「この辺りは人がいないので、遠慮すること無く飛ぶことが出来ますよーっ!」
——1人の少女が作り出す暴力的な突風。そう、小枝が、森の木々の隙間を、高速で移動していたのだ。
彼女が飛んでいたのは、以前来たことのある魔女の森の中だった。火炎草が生えている断崖絶壁までは、真っ直ぐに行ったほうが距離的にも短く、歩きやすさ的にも優れていたのだが、歩いて片道6時間の距離をのんびりと歩くほど今の小枝に時間は無く……。人に見られない森の中を高速で進んだ方が早く到着する、と彼女は判断したのだ。
実際、彼女のその予想は正しかった。遠回りしたというのに、片道30分で断崖絶壁に到着したのである。その際の時間の内訳は、町から森までが25分で、森から崖までが5分。下手をすれば、ちょっとコンビニに行ってくるレベルと言えるだろう。
ただ——、
「……もう、森の中を飛ぶのはやめましょう……」
——森の中を颯爽と跳び終わった小枝の表情は、直前とは異なり、あまり優れなかった。実は、木々の間に張っていた大量の蜘蛛の巣に引っかかって、移動の間に全身が蜘蛛の巣まみれになってしまったのである。これまで現代世界でも、この異世界でも、縦横無尽に森の中を飛び回ったことの無かった小枝にとっては、予期しない落とし穴だったようだ。
それから彼女は、全身の温度を上げて、身体に付着した蜘蛛の巣を焼き尽くしてから……。そびえ立つ崖の上を見上げた。
火炎草が採取できるという断崖絶壁は、まるで魔女の森を取り囲むようにして広がっていた。崖の上には木々は無く、ブレスベルゲンの町まで、ほぼ平らな平原が広がっているのだとか。
そのため、町から冒険者たちがやって来る時は、崖の上から来る方が一般的で……。危険なことと言えば、運悪く魔物や盗賊と遭遇するくらいのものだった。その点では、町の周囲だけが活動範囲のFランクとは違って、Eランクらしい難易の上がり方だったと言えるだろう。まぁ、それでも、少し長めのピクニックのようなものであることは否めないが。
ちなみに小枝のように、森の中から崖へと向かった場合は、どれほどの難易度だと言えるのか。少なくとも、Dランクパーティーであるミハイルたちが遭遇した巨大蟻級の魔物たちの相手をすることは確実なはずなので……。巨大蟻たちを相手に立ち振る舞うことの出来るCランク、あるいは移動距離を考えるならBランクにも匹敵するほどの困難さだと言えるだろう。……それもパーティーレベルで挑んだ場合の話で。
しかし、当然、小枝はそんなことなど知るよしも無かった。彼女は、近くで蠢く魔物たちのことなど一切気にすること無く、異相空間に半分身を隠すと……。崖に自生しているという火炎草を探し始めたようだ。
「……ありました!それも、かなり沢山あるようですね」
断崖絶壁のいたるところで、キラキラと瞬く光点が見て、目を輝かせる小枝。そのすべてが火炎草で、どうやら本当に燃えているらしい。
「(たとえ異世界であっても植物は植物なのですから、基本的な組成はセルロースと水のはず……。となると、あの花びらは、化学的に燃えているわけではなくて、火魔法のような現象で炎を作り出しているのでしょう)」
小枝はそんなことを考えながら、アルティシアを襲った男たちが放った火球——火魔法のことを思い出していたようだ。
実際、火炎草は、セルロースなどを燃料にして、空気中の酸素と結合し、燃えている、というわけではなかった。火炎草には土壌から魔力を吸い上げる特徴があり、集めた魔力が花びらから漏れ出して、火魔法として顕現しているのである。
ちなみに、"火炎草"という名前は、冒険者たちの間で呼ばれている通称であり、正式名称ではない。地中から"マナ"と呼ばれる液化した魔力を吸い上げる植物の総称——マナグラス。それが火炎草の正しい名前である。
火炎草はこのマナグラスそのもので、漏れ出た魔力が火魔法として顕現するのが特徴である。しかし、なぜ火魔法が顕現するのかは不明で、場所によっては氷魔法が顕現したり、水魔法が顕現したり……。同じマナグラスでも、土地によって顕現する魔法の効果は異なっていたようだ。
そんなマナグラスに共通して言えることは、内部に濃縮されたマナが蓄積する、ということ。したがって、錬金術師たちには、燃料として扱われており、実験のための必需品として扱われていたようだ。
このマナグラスには変わった特徴があり、花びらから出る魔法の顕現を止めてしまうと、どういうわけか内部に蓄積されているマナも同時に霧散してしまい、ただの草に変化してしまう。火炎草の場合は、花びらに宿る炎を消してしまうとマナが抜けて、価値が無くなってしまう——つまり、ただの雑草と同じになる、というわけである。
「(……なるほど。予想したとおりです)」
小枝は、ギルドで記録した薬草の図鑑の内容を思い出しながら、燃える草が間違いなく火炎草である事を確認してから——、
「(まずは試しに何本か採集して、特性を調べてみましょう)」
——早速、崖を垂直に登って、最初の1本を手に取ったのである。
……なお、言うまでも無いことかも知れないが、崖の上からやって来る一般の冒険者たちにとって、崖を下って火炎草を採取するというのは簡単な事では無い。ゆえに、小枝のように"試しに"採取する、などということはしなかったりする。