20日目午前-08
「ようするに、リンカーンさんが、昔と同じように家で美味しくご飯を食べられれば良いのよね?」
「えっ?あっ、はい……」
要約されたグレーテルの言葉に、レリアが頷く。これがもしも背の低いテンソルの言葉なら、彼女は耳を貸さなかったかも知れないが、一見して自身よりも遙かに年上に見えるグレーテルの言葉なら受け入れられるらしい。
「なら……」
グレーテルはそう口にすると、カウンター裏にある戸棚から、大きな瓶を取り出した。そしてそれをカウンターに持ってくると、薬包紙を丁寧に折って、その中に瓶の中身をサラサラと開け始めた。
一方、テンソルは瓶の中身が何なのか知らされていなかった。一応、瓶には『○○酸』と描かれていたようだが、現代世界の知識が無い彼女には到底理解出来ない代物だったのである。ゆえに彼女は問いかけた。
「のう、グレーテルよ。それは何なのだ?なにやら見るからに危なそうな白い粉のようだが……」
「ひうっ?!」
危ない粉というテンソルの指摘を聞いた途端、レリアの眼に恐怖の色が浮かぶ。彼女にとってグレーテルの薬屋は、父親(の味覚)を奪った敵の根城そのもの。そして何より、薄暗い部屋の中で、小さく笑みを浮かべながら薬を扱うグレーテルの姿は、レリアにとって——、
「(ま、魔女?!)」
——恐ろしい魔女のように見えていたようだ。売り子(?)のテンソルの頭と腰から、人間には生えていないはずの角や尻尾が生えていた事も、レリアの恐怖を加速させる一因になっていたようである。
グレーテルの姿を見たレリアは、思わず口から"魔女"という言葉を口にしてしまいそうになっていた。しかし、咄嗟に両手で口を押さえて、どうにかその単語を飲み込むことに成功する。もしもこの敵陣のド真ん中でその言葉を口にしてしまったなら、どんな扱いを受けるか分からない……。眠そうに欠伸をしながら薬を包み込むグレーテルを前に、レリアはそんな懸念を抱きつつ、震える足をどうにか押さえ込んだ。
グレーテルが薬を包み終わるまで、どれほどの時間が掛かったのか、頭が真っ白になっていたレリアにはよく分からなかった。とにかく、隙を見て逃げよう……。彼女がそんな事を考えていると、グレーテルが薬の入った包みを指で摘まんで、それをレリアに渡してくる。
「はい、アミノ酸混合物。具体的にはグルタミン酸が主体だから、野菜スープとかに隠し味で入れるのが望ましいわ?……って言っても分からないわよね。簡単に言うと、入れるだけで料理が美味しくなる粉よ?」
「ふむ、なるほど。聞けば聞くほど危けn——」ガッ!「ふべっ?!」
「……テンソル?この家から追い出されたいのかしら?」にこぉ
「……!」ふるふる
と、グレーテルによって鷲づかみされた顔を、必死になって振るテンソル。そのときのグレーテルの振る舞いは、一挙手一投足のどれを見ても、絵に描いた魔女そのもので、レリアの恐怖を最大限に引き上げてしまったようである。結果、レリアは、直前にグレーテルから渡されていた薬の包みを握りしめると、後ろを振り向くことなく薬屋を駆け出していった。
「……万引きかの?」
「んー……元々、ただで渡すつもりだったし、どこの子なのか分かってるから別に良いわ?」
「まぁ、グレーテルがそう言うのなら別に良いが……あやつ、せっかく渡した薬を捨てたりせんかの?」
「それはない……って信じたいわね……」
慌てて飛び出していった少女の後ろ姿を見て、眼を細めるグレーテル。
それから彼女はカウンターに腰を下ろして、次の来客を待つのだが……。幸い、レリアほどに厄介な客は来なかったようである。




