19日目午後-10
帰ってきたノーチェは、機嫌が良かったようである。これからも小枝と共に行動し続けられることが決まって、嬉しかったのだ。
そんなノーチェに手伝って貰いながら、小枝は夕食の準備を進めていた訳だが、その内心では未だ悩んでいたようである。……果たして、ノーチェの事を、危険な王城に連れていっても良いだろうか、と。
その悩みは、ノーチェの見た目が幼かったことも大きく関係していた。見た目は6歳児。年齢も6歳。ノーチェはどこからどう見ても幼女なのだから。
しかし、彼女の正体は夜狐——ノクセン。狐の魔物である。彼女たちの成長の早さが分からない以上、小枝には単に年齢を判断材料にして、ノーチェの同行を制限することが出来ず……。結果、悩んでしまったというわけだ。
ちょうど、キッチンのカウンターの向こう側で、ノーチェと同じように幼女にしか思えない容姿の——、
「何を作っておるのだ?」キラキラ
——年齢不詳の古龍がブンブンと尻尾を振っていたことも、小枝の判断を揺るがせていた原因と言えるだろう。
「何を作っているように見えますか?」
「んー……分からぬ!ステーキか?!」
小枝が冷蔵庫から取り出してキッチンに置いたのは、昨日、ノーチェが狩った豚肉もといグレートブレスボア(GBB)の肉塊。テンソルの頭の中には、肉塊=ステーキという構図が出来上がっていたらしく、肉を見た彼女は反射的にステーキを作るものだと思ったらしい。
しかし、この日の夕食はステーキではない。朝方、小枝とアルティシアが夕食の話をしていたことを覚えていたノーチェが首を振って黒板を掲げる。
[じゃぶじゃぶ]
「……?何か洗うのか?」
「いえ、じゃぶじゃぶ、ではなく、しゃぶしゃぶです。濁点は付きません」
「?!」がくぜん
「ほう?しゃぶしゃぶ、とな?ステーキとは違うのかの?」
「同じ肉料理ではありますが、まったく違います。まぁ、楽しみにしていて下さい。ノーチェちゃん?先ほど買ってきたお野菜を洗って貰えますか?」
「……わかった!」
木下家に帰ってくる間際、ノーチェと小枝はフェアアベニューにある八百屋の屋台で、しゃぶしゃぶに使えそうな野菜を買ってきていた。ノーチェはバスケットの中から野菜を取り出すと、シンクにそれらを入れて、慣れた手つきで洗い始める。
その様子がテンソルには不思議に見えたらしい。彼女は目を輝かせつつ、小枝に対し問いかけた。
「ほほう?その魔道具(?)からは、無尽蔵に水が出てくるのだな?」
「いえ、電動ポンプで地下水をくみ上げているだけです」
「えっ?で、でんどー……?」
「そうですね……魔道具とは異なりますが、まぁ、似たようなものだと考えて下さい」
と、説明をはぐらかす小枝。その会話を聞いていたノーチェや、カウンターの向こう側にいたカイネとアンジェラたちが、何やら誇らしげに笑みを浮かべていたところを見るに、彼女たちはキッチンの水道がどんな原理で地下水をくみ上げているのか、理解しているようである。
「テンソル様にも、その内、教科書を見せた方が良いのでしょうかね……」
「えっ?きょう——」
「では、いきますね?」スパパンッ
小枝はGBBの肉のスライスを始めた。厚みはちょうど1.5mm、指先から極細のレーザーを出して、目にも留まらぬ早さで肉塊を切断していく。
その際、小枝は、肉にはまったく触れていなかったので、肉はそのままの形状を維持したまま、まな板の上に鎮座しているだけだった。テンソルから見れば、小枝が肉の上で高速に指を揺らしているようにしか見えていなかったに違いない。
「……コエダ様?何をしておるのだ?」
「肉を切っているだけですよ?」
そう言って指を振り終えた小枝がGBBの肉塊に手を触れると、まったく同じ間隔で薄く切れたGBBの肉が、まな板の上でパタリと倒れる。
その様子を見て、ノーチェは——、
「おー!」キラキラ
——と目を輝かせていたようだが、テンソルの方は——、
「……え゛っ」
——何やら唖然とした表情を浮かべていた。どうやら、テンソルの中にも"常識"というものがあって、彼女の頭が、目の前で繰り広げられた現実の理解を拒んでいたようである。
あー、すき焼きを食べたいのう。




