19日目午前-19
ノーチェたちが自宅に戻ってくると、小枝たちの姿は無かった。その代わりにカイネとアンジェラが食卓で勉強をしていて、彼女たちが小枝たちから言伝てを任されていたようである。
「昨日、野に放した魔物たちを回収してくるって言ってました」
「今日は自由にしてて良いって言ってたよ?あと、お昼までには戻るってさ?」
「自由……」
ノーチェはその言葉を聞いて困惑した。自由と言われて何をすれば良いのか、分からなかったのだ。
エカテリーナはすでに普段の業務に戻っており、一緒にどこかへ遊びに行くというのは難しそうだった。カイネとアンジェラも勉強中で、遊びに行ける様子ではなかったようである。
そんな中で、ノーチェは、ある事に気付く。
「…………」かきかき[キラお姉ちゃんは?]
キラは普段、カイネとアンジェラの教師役を務めているはずだった。特に午前中は、カイネとアンジェラを連れて、町の中を歩いて回り、町の人々の回診を行うというのが日課になっていたのである。
しかし、家の中にカイネとアンジェラだけがいて、キラがいないということは、今日の日課は行われないということを意味していた。では一体、キラはどこに行ったというのか……。
ノーチェが黒板に疑問を書いて問いかけると、カイネたちは揃って返答を口にする。
「「迷宮です」」
その返答を聞いたノーチェは、なるほど、と納得した。昨日、ブレスベルゲンの近くに出来た凄まじい高さの塔型の迷宮。そこから持ち帰った魔石や鉱石を、キラは昨日から自室に籠もって、観察し続けていたのである。
今日はその延長戦。キラは追加で魔石や鉱石を採取するために、迷宮へと潜りに——いや登りに行っているようである。
「……ノーチェも行ってくる」
特にやることも無く暇だったノーチェは、キラの様子を見に行くことにしたようだ。そんな彼女の宣言に、カイネとアンジェラは強い興味を惹かれたものの、自分たちにはやらなければならない使命があると心に決めていたためか、どうにか思いとどまって、勉強へと戻ることにしたようである。
◇
そしてノーチェは一人、迷宮へとやってきた。本来なら、6歳児にしか見えないノーチェが迷宮に近付くなど危険極まりない行為でしかないはずなのだが、迷宮の下層には既にドラゴンたちが巣くっていたためか、あるいはノーチェの強さ(?)を皆が理解していたためか、誰も彼女のことを止めることなく——、
「……ここが迷宮……」
——ノーチェは難なく、ドラゴンたちの居住区がある迷宮1階、2階を越えて、迷宮3階までやってくることに成功する。
1階から2階層目までは石造りの神殿、といった雰囲気が漂っていたようだが、3階層目からは大きな洞窟といった雰囲気が広がっていた。灯りがまったく無いはずなのに、ぼんやりと壁が光っているのか、洞窟の奥の方まで見渡すことができ、まさにダンジョンといえるような光景が広がっていたようである。
ノーチェがその光景に目を丸くしていると、彼女の後ろから人化したドラゴンのテンソルが追いかけてくる。本格的な迷宮が始まる3階層へと入ろうとしているノーチェに気付いて、彼女のことが心配になったらしい。
「夜狐の娘……ノーチェよ。其方、迷宮に挑むのかの?」
「…………」かきかき[キラお姉ちゃんのところに行ってみたい]
「ふむ。しかし、一人では危険ではないか?あの御仁なら一人で何でも出来そうだが、其方一人では流石に危険だと思うのだ」
「…………」
ノーチェはテンソルの忠告を聞いて考える。……自分一人だけでも迷宮の中を安全に探索出来るか否かを。
彼女は狐である。普段、群れることはなく、大抵のことは自分一人で片付けるような生き方をしてきた。彼女にとって孤独感とは、人が感じるよりもずっと小さな感覚であり、ゆえに、今日のように小枝たちに置いていかれたとしても、ショックを受けるような事はなかった。
しかし、孤独に耐えられることと、迷宮の中で安全に活動し続けられることとは、また別物であることもちゃんと理解していた。彼女は、自身が弱いことを理解して、自ら騎士たちの訓練に参加したいと言い出したくらいなのだ。
「……テンソルに付いてきて欲しい」
ノーチェの口から、自然とそんな言葉が漏れる。今、ブレスベルゲンにいる者たちの中で、最も強いのはテンソルだったからだ。他にスミスという選択肢も無くはなかったが、彼はいまごろ騎士団の訓練で忙しいはずなので、やはりテンソルが適任だと思えたようだ。
対するテンソルは、暇というわけではない。引っ越してからまだ2日目。やることはたくさん残っていたのだ。
しかし、3階以上の迷宮がどうなっているのか、テンソルとしても興味があって、機会があれば踏み込んでみたいと考えていたようである。これがその機会ではないのか……。そう考えたテンソルは、引っ越しの片付けなど明日でもできるか、と考えたらしく——、
「しかたない。小娘に一人、迷宮を歩かせたとなれば、年長者たる古龍の名が傷つくゆえ、我も一緒に行こうではないか。それに其方が迷宮に魅入られて、迷宮の魔物と化さないとも言えぬからのう」
——彼女はそう言って、ノーチェの前を歩き始めた。
自分の身長とあまり変わらないテンソルのその後ろ姿に、ノーチェは色々と言いたいことがあったようである。しかし、せっかく付いてきてくれるというので、余計な事は言わず……。2人は人の姿のまま、迷宮3階層目へと足を踏み出したのである。




