18日目午後-21
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我はテンソル。本当はもっと長い名前があるのだが、どうも最近、記憶力が悪いせいか、思い出せぬ。……えっ?歳のせい?そんなことあるわけなかろう。生きるためにはテンソルという名前だけで十分。ほかの使わぬ名前など、どうでも良いのだ。
まぁ、そんなことは置いておいてだ。問題はこの塔型の迷宮だ。我らは確かに地下に広がる大きな迷宮を設計したはずなのだが、あの人間の少年が余計な事をしてくれたおかげで、魔法陣が書き換わって、訳の分からぬモノが出来上がってしまったのだ。
迷宮を作る事だけなら、実のところ誰でも出来る。地面に向かって魔力を浸透させ続ければ、その魔力がいつの間にか、土塊を迷宮へと変えるのだ。問題は、その迷宮がどんな効果を持っておるのか……。通常、迷宮というものは、その内部で魔物——いや動植物を飼って、自らの核を守ろうとする傾向にある。つまり、迷宮の内部に我らの居住地を作るためには、まずは迷宮のその生物洗脳機構とも言うべきもの無効化する必要があるのだ。
ゆえに、我らは、迷宮核を書き換え、我らドラゴンを迷宮の精神制御の対象から外すよう迷宮生成魔法を組み上げたのだ。迷宮生成魔法の9割5分は、その機能を実現するためのもの。のこり5分は、迷宮の内部で生成される各種鉱石や魔石の純度を上げるという機能なのだ。我らドラゴンとて、豊かに生きていくためには、人間どもと交易する必要があるからな。人間どもが欲する高品質の鉱石や魔石が、たったの5分の努力で大量に得られるというのなら、やるべき価値はあると言えよう?
……えっ?人間から富を引き出したくば、紅玉を売れば良い?あれは、我らドラゴンが100年をかけて作り出すマナの結晶ゆえ、ポンポンと作れるものではないのだ。よく、人間どもが、「ドラゴンからすれば100年など一瞬のことだろう?」みたいなことを言うが、そんなわけなかろう。全身が苔むした、どこぞの山ドラゴンみたいに、寝ておるのか、死んでおるのか分からぬような連中なら、100年くらい一瞬の出来事かも知れぬが、我ら空に生きるドラゴンにとっては、100年という時間は無視出来ぬくらい長い時間。丹精込めて作り出した紅玉をそう簡単に人間どもに渡せる訳がないのだ。
ならどうして、コエダ様に渡したのか?それは、その……あれなのだ。えっと……結納品……いや、もう、この話は無しなのだ!無し!
ともかく、我は今、ものすごく、危機的な状況におる。迷宮による精神支配が我の思考を操作しないか、心配でならぬのだ。しかし、ここで我が安全を確認せねば、仲間たちに危険が及ぶのは事実。コエダ様が、我らにこの迷宮に住まうことを望まれておる以上、族長である我が安全を確認せねばならぬのだ。
幸い、我には頼もしい助っ人がおる。このダイカーン殿。たしか二つ名をエカテリーナ……あ、いや、逆か?まぁ、良い。とにかく、このダイカーン殿が側にいてくれるのなら、もしも我が迷宮の精神支配を受けてとち狂ったとしても、どうにかしてくれるであろう。何と言っても、ダイカーン殿は、我が作った迷宮のその核を一撃で破壊してしまったのだからな。きっと、狂ってしまった我のことも……いや、最悪の出来事は、最悪の出来事が起こったときに考えることにしよう。
ところで、一つ疑問がある。先ほどから、このダイカーン殿は、いったい何をしておるのだ?何やら布きれを口に当てたは良いが、ずっと、すぅはぁすぅはぁ、と深呼吸を繰り返しておる。……いや、待つのだ。確か……人間という生き物は、過呼吸という病を患うのだったか?それも、心配事が極限まで高まったときに起こると聞いたことがある。つまり、このダイカーン殿は……今、大きな心配を抱えておる?
……ふむ。なるほど。そうか……。
我の心配が伝わってしまったのだな。これはすまないことをしてしまった。こんな心持ちでは、迷宮からの精神支配を受けるのも道理。もっと気を強く持たねば。
「アルったら、私のハンカチも一緒に洗濯したわね……」すぅはぁ
うん?今、何か聞こえたような……。まぁ良いか。
とにかく今は、迷宮の安全確認なのだ。ダイカーン殿よ。よろしく頼むのだ。
窮地でも平常運転、なのじゃ!




