17日目午後-16
その同時刻。場面は、王都の中心にそびえ立つ白亜の城。その中でも、町の光景が一望出来る、とある一角へと移る。
ハイリゲナート王国の国王フューリオンは、町から聞こえてきた大きな音に気付いて、王城にある執務室のベランダから、夜闇に包まれつつあった王都の光景を見回していた。しかし、既に暗くなって見えにくくなっていた町の光景を見る限り、何か大きな事件が起こったようには見えず、更に言えば、近衛兵が事件の報告にやってくる事もなかったので……。町を眺めていた彼は、そのうちに、何かを考えこみ始めた様子だった。彼が思い出していたのは昨日の出来事。ブレスベルゲンからやってきた領主アルティシア=ヘンリクセンとの間に生じた事件のことだった。
アルティシアの魔法によって、近衛騎士はもちろんのこと、偶然、王城に居合わせて、運悪くアルティシアに敵意を向けた貴族たちが、片っ端から灰に変えられてしまったのである。近衛騎士の犠牲者は、総勢92名。貴族の犠牲者は8名。ちょうど100名である。なお、怪我人も1名いたようだが、彼の場合は、アルティシアが原因ではなく、"コエダ"と呼ばれた黒い髪の少女によって盛られた毒物により怪我を負ったようだ。
「……はぁ」
フューリオンは、王都の町並みを見下ろしながら溜息を吐いた。その溜息の原因は、今朝の閣僚会議。政府の重鎮たちは、皆、ブレスベルゲンへの侵攻を訴えていたのだが、フューリオン自身は、正直なところ、侵攻には反対だったのである。閣僚たちは、昨日の出来事が、時間を掛けて用意周到に準備されたアルティシアの謀反だ、と声を上げるものの、フューリオンがアルティシアの主張を思い出す限り、そうとは思えず……。アルティシアたちが、いつでも自分など殺害出来たというのに、独立だけ宣言して、目の前から引き上げていったことからも、彼女たちが謀反を目的として王城にやってきたとは思えなかったのだ。王城の牢獄を管理していた近衛騎士団の生き残りが、アルティシアたちに不遇な扱いをしていないと口々に報告していたことも、フューリオンに疑念を持たせる要因になっていたようである。
というのも、フューリオン自身が、王城の人々の歪み、ひいては町の人々の歪みを良く自覚していたからである。彼は市井に紛れて、町の人々の生活をその目で直接見てきたのだ。その経験を元に、アルティシアと自分の立場を入れ替えて考えると、アルティシアの怒りは尤もではないかと思えてならなかったのである。それほどまでに、彼が見てきた人々の光と影のコントラストは、酷く醜いものだった。
しかし、政府の重鎮たちは、人々の影の部分を完全に無視して、明るい面だけ——見たい面だけを取り上げて、ブレスベルゲンに侵攻すべきだと主張していたのである。そんな彼ら自身が、多かれ少なかれ、利権に関係する賄賂を受け取っていたり、犯罪を権力でねじ伏せて好き勝手やっていたり、あるいは王都の人々の食生活に影響が出ることを分かっていて、不等に食料品の価格をつり上げ、私腹を肥やしていたり……。汚職など日常茶飯事。そういった点では、彼らこそ、国や民から見た裏切り者だと言えたが、民草が軽視されるこの世界では当然のこと。彼らを取り締まる事が出来る者は、最早、フューリオンを含めて、誰もない状況だった。
「……彼奴らを野放しにする余こそ、真の悪役ではないだろうか……」
考えれば考えるほど、フューリオンの口からは溜息が零れた。
いったい、どれだけの時間、考えに耽っていたのか……。ふと我に返ったフューリオンがベランダを離れて執務室に戻ろうとした時。執務室の中にあった応接用の椅子に、とある人物たちが座っている様子が、彼の目に入ってくる。
その人物の顔を彼は忘れていなかった。当然である。昨日会ったばかりで、しかも、つい今し方まで考えていた人物が、揃って2人とも座っていたのだ。そのあまりの展開に、フューリオンは思わず息を吞んだ。
今度こそ、2人は自分の事を殺害しに来たのではないか……。そう考えて身構えるフューリオンだったものの、今、この瞬間まで、自分の事をいくらでも暗殺出来たというのに、2人に攻撃する素振りは見せず、そして何より——、
「(暗殺されて当然か……)」
——自分は殺害されても当然と考えていたこともあって、彼に冷静さが戻ってくる。
それからフューリオンは、大きく深呼吸をして、表情を引き締めると……。まるで、これから国の未来を変える大会議にでも参加するかのような覚悟をもって、彼は執務室の中へと向かって歩みを進めたのである。




