3日目-3
「あ、あの……」
「か、帰ります!」
顔を見られてしまった小枝は、その場から急いで逃げ出そうとした。なにしろ彼女がいた場所は領主の館。顔を見られずに行動するならともかくとして、顔を見られてしまった今、彼女は犯罪者として扱われても不思議ではなかったのだ。たとえ小枝が、少女のことを助けに来た、と主張したところで、おそらくは誰も信じないはずなのだから……。
結果、小枝は、地面に沈み込む男たちのことを華麗なステップで飛び越えて、その先に広がる暗闇へと姿を消そうとする。そして、彼女の姿が暗闇に溶けるか否かでのタイミングでの出来事だった。
「ま、待って……ケホッ、ケホッ!」
白い髪の少女が、苦しそうに咳き込み始める。彼女は膝を折り、床にしゃがみ込んで、そこで苦しげに顔をしかめた。
対する小枝は、暗闇で足を止めると、少女の方を振り返って、彼女に対し視線を向けた。
「……そんな演技をしたところで、引っかかるわけがないではないですか」
と、実際に引っかかりながら、そう口にする小枝。どうやら自覚は無いらしい。
しかし、彼女が振り返った先にいた少女は、しゃがみ込んだまま咳き込み続けていて……。
「……演技ではなさそうですね」
小枝は仕方なく、少女のところへと戻り、彼女を抱きかかえると——、
ひょいっ
「ケ、ケホッ?!」
——驚く少女の反応を気にすること無く、そのまま少女の部屋の中へと入った。
「大人しく横になっていてください。立ち上がって身体に負担が掛かると、また咳が止まらなくなってしまうかも知れませんから」
軽々と少女のことを抱きかかえた小枝は、彼女のことをゆっくりとベッドへ下ろす。
一方、抱きかかえられていた少女からすると、小柄な小枝が自分のことを軽々と持ち上げたことが信じられなかったらしく……。彼女は、咳き込みつつも、何かあり得ないものを見たかような視線を小枝に向けた。
「ケホッ、ケホッ」がくぜん
「器用ですね……」
少女に余裕がある事を確認した小枝は、今度こそ、その場を後にしようとする。
しかし、少女の方は、未だ小枝に用事があったらしく……。彼女は小枝に向かって咳き込みながら、必死な様子で声を上げた。
「ま、待って!ケホッ!」
「…………」
その様子を見て、小枝は悩んだ。少女が苦しんでいるのは演技ではなく、紛れもない事実。そんな中で、彼女のことを置いて帰っても大丈夫なのか。さすがに態度が冷たすぎるのではないか、と……。
結果、彼女は、部屋から出て行く足を止め、しばらくの間、少女に付き合うことにしたようだ。
「……分かりました。落ち着くまではここにいます。ですが、誰かが来たら逃げますからね?私、こう見えても、不審者なので……」
と、自分の事を堂々と"不審者"であると名乗る小枝。
するとそれを聞いた少女は、嬉しそうに咳き込みながら、自分の名前を口にした。
「ケホッ……アルティシア……ケホッ……です」
「ケホッさんですか……。珍しい名前ですね」
「アルティシア……ケホッ……」
「分かっています。冗談です」
小枝はそう口にすると、少女——アルティシアの方へと近付いていった。
彼女たちがいた部屋の中は、昨日の争い事が嘘だったかのように、焦げた後もなく綺麗に片付いていた。おそらくは、昨日の内に、家具が新調されたのだろう。
そんな様子を確認しながら、小枝はベッドの近くにあった水差しを取ると、ガラス製のコップに水を注いで、それをアルティシアの方へと差し出した。
「よければこれを」
「ケホッ……ありがとう……」
アルティシアは小枝からコップを受け取った。そしてそれを口の中に傾けてからしばらくすると、ようやく咳が落ち着いてきたようである。
「……はぁ。死ぬかと思いました……」
「病気なのですか?」
「咳のことですか?」
「咳というか……妙に軽くて、顔色もあまり良くはなさそうなので、そう思ったのです」
「…………」
小枝の説明を聞いたアルティシアは、少しだけ悩んでいた。領主たる自分の病を、正体不明の不審者に話して良いものか、と考えたのだ。常識的に考えるなら、医者でもない赤の他人に自身の病について話すなどあり得ない事だったのだが……。昨日、小枝に命を救われたことを知っていたためか、結局、打ち明けることにしたようである。
「……昔からこうなのです。すぐに風邪を引いてしまうくらい、体力が無くて……」
そう口にしていたアルティシアの手は、軽いコップを握りながら小さく震えていた。それは小枝の事を怖がっていたから、というわけではなく、彼女の言うとおり、体力が無いせいだったようである。
その様子に気付いて、小枝が問いかける。
「……少し手と膝に触れさせていただいてもよろしいですか?」
「えっ?」ぽっ
「……何故顔を赤くされるのかは存じませんが、確認したいことがあるのです」
「……はい」
アルティシアはそう口にすると、小さく咳き込んでから立ち上がった。そして何故か——、
サラッ……
——と、パジャマを脱ぎ始めたのである。




