2日目-22
人々に対処しようというこの瞬間、ガーディアンである小枝が自身に課したルールは3つ。人らしく振る舞うこと、自分からは手を出さないこと、そして——決して逃げ出さないことである。
ザンッ!
容赦の無い斬撃が小枝を襲う。グラウベルが、最小の動きで、小枝の胸に槍を突き出してきたのだ。だが、その斬撃は彼にとって、ある種の慈悲だったのかもしれない。その槍に刺されていれば、最小限の痛みだけで、命を刈られていたはずなのだから……。
ゆらり……
しかし、小枝には刺さらない。彼女もまた最小限の動きだけで、グラウベルの攻撃を躱したのだ。彼女が斬撃に対応するまでに掛かった時間で表現するなら、マイナス秒。グラウベルの視線、筋肉の緊張、息づかい、脈拍等から総合的に判断して、彼がいつどこにどういった攻撃を加えてくるのか、事前に把握して避けたのである。
その動きは、一般人から見ると、何と言うことはないただの動きだった。しかし、騎士団長たるグラウベルほどの騎士から見ると、小枝の動きは思わず笑ってしまうほどのものだったようである。何しろ小枝の動きは、自分の考えをまるごと読まない限り、不可能な動きだったのだから……。
「無理だな……」にやり
彼はそう口にすると槍を下ろして、後ろに下がった。どうやら戦意を喪失したらしい。
グラウベルのその行動に、周囲の者たちは唖然とした。一体何がどう無理なのか、皆には理解出来なかったのだ。
しかし、皆の反応に気付いていても、一旦、戦意を喪失したグラウベルに再び槍を持ち上げるつもりは無く……。彼は槍の石突きを地面に付けたまま、小枝に対して問いかけた。
「貴公に皆を害するつもりは無いのだろう?」
「えっ?えぇ、まぁ……」
「だったら、一つ、頼みたいことがある」
「「「えっ?」」」
処刑する対象に対して、一体何を頼むというのか……。その場にいた者たち全員が耳を疑った。
「貴公がどのような人物なのかは、先の一撃で理解させて貰った。これはもはや、ギルドに落ち度があるとしか言いようが無いだろう」
「「「はあ?!」」」
「先の物言い、逆の立場から考えれば合点がいく。差し詰め、この者の扱いを誤ったのだろう?これほどの手練れを大切にするどころか、邪険に扱ったのだから、争い事が起こって当然だな」
そう口にしたグラウベルは、直前まで声を上げていたギルド職員たちに向かって、ギロリと視線を向けた。するとギルド職員たちは、皆一斉に苦々しい表情を浮かべて俯いてしまう。皆、痛いところを突かれた、といった様子だ。
その様子を見たグラウベルは呆れたような表情を浮かべたようである。そして確信した。……小枝は悪くないのだろう、と。
だが現状、お祀り騒ぎになっていたその場を鎮めるには、彼の力だけではどうにもならなくなっていたようだ。結果、彼は、これ以上話が拗れないよう、力で無理矢理に騒ぎを抑え込むのではなく、円滑に事態の幕引きを図ることにしたようである。
「……しかしだ。それでは双方共に、怒りが抑えられないと思う。ゆえに、貴公に対する私からの頼みは——貴公に刃を向けたこの場の者たち全員を倒すことだ」
「えっ?」
「もちろん、うちの騎士たちも含めて全員だ。遠慮無くやって良い」
「「「はあ?」」」
「生き残れば、罪状も無かったことにしよう。その上でさらに、ギルドから賠償金を支払わせるという方向で、話を進めさせるつもりだ」
騎士団長のその言葉に、騎士たち全員が耳を疑った。自分たちの上司が、突然、嬉しそうな表情で、そんなことを口にするのである。混乱して当然だった。
一方、冒険者の方も混乱はしていたものの、自分の手で小枝に上下関係を学ばせることが出来るかも知れないと考えたのか、皆、すぐにやる気になったようである。それも、騎士団公認のリンチなのである。誰一人として、その場で武器を下ろすことは無かった。ギルド職員たちも、武器は持っていなかったものの、騎士団長たるグラウベルの決定に反論するつもりは無かったようだ。
そして、小枝本人も——
「あの、本当によろしいのですか?」
——思わず確認を取ってしまった。急に怒気が無くなったかと思ったら、次の瞬間には手のひらを返したように『無罪にする』というのである。もしかすると、この場で一番混乱していたのは、彼女だったのかも知れない。
「もちろんだ。ただし——」
「殺すな、と仰るのですね?」
「あぁ。出来れば、骨折くらいで留めて貰えると助かる。……まぁ、貴公なら、怪我一つさせずに、制圧することもできるだろうがな」
グラウベルはそう口にすると、さらに数歩下がり、手にした槍をギルドの壁に立てかけて、完全に傍観モードに入った。
……そして、それが戦い(?)の始まりの合図だった。
「うおりゃっ!」
最初に小枝へと手を出したのは、午前中、小枝に手を出そうとした3人組の内の1人だった。彼は小枝に向かって、バトルアックスを振り下ろすのだが——、
ゆらり……
ズドォォォォン!!
——小枝の身体に触れようとした瞬間、大きく体勢を崩し……。そして猛烈な勢いで冒険者ギルドの壁に向かって吹き飛んでいった。
その際、小枝が何をしたのかというと、重力制御システムを使ったわけでも、怪力で吹き飛ばしたわけでもない。男が振り下ろしたバトルアックスに少しだけ手を添えて、その力のベクトルを、ギルドの方向へとねじ曲げたのである。……ただし、彼が飛んでいく直前、その背中にそっと手を乗せて。
結果、冒険者が吹き飛んだ進路上にいた騎士や他の冒険者たち全員が巻き込まれる。……冒険者ギルドの壁で傍観を決め込んでいた騎士団長のグラウベルも例外では無い。
「……まぁ、この場の"全員"って言っていましたから、例外はありませんよね」
ギルドの壁の向こう側でピクリとも動かなくなったグラウベルや冒険者たちに視線を向けながら、淡々と感想を口にする小枝。
それから彼女は、目を見開いてガクガクと震えていた周囲の者たちを見渡して、こう言ったのである。
「さぁ、始めましょう皆さん。私に向かって敵意を向けた全員に報復します。残念ですが、記憶だけは自信がありまして、誰一人として逃がすつもりはありません——ほら、そこの人?一人だけ逃げ出そうとしないでください」
「う、うそぉぉあぁぁぁぁぁ?!」
ズズズズズ!!
ドゴォ!!
逃げ出そうとしている者に向かって石を投げつけるとさすがに死ぬと思ったのか……。小枝は重力制御システムを使い、逃げようとしていた冒険者を捕まえて腹部を指で弾いた。その結果、冒険者は、身体をくの字に折り曲げながら吹き飛び、血の泡を吹いて気絶する。
「はい、次です。貴方も逃げようとしていましたね?」
「や、やめt」
ズズズズズ!!
ドゴォ!!
「一番近くにいるので、次は貴方です」
「ちょっ?!」
ズズズズズ!!
ドゴォ!!
「……いま、逃げようとしましたね?」
「「「う、うわぁぁぁぁっ?!」」」
ドゴォ!!
ドゴォ!!
ドゴォ!!
そして、1人、また1人と、地面に沈み込んでいく冒険者と騎士たち。その後、この日あった出来事は、町で起こった悲惨な歴史として、未来永劫、語り継がれることになったのである。
ダブルバインドって、ホントどうにかならぬものかのう……。