11日目午前-06
「ごめんなさい……ごめんなさい……」ぽたぽた
「えっと……急にどうされたのですか?」
シェムが何の前触れも無く突然泣き始めたように見えたのか、謝罪し続けながら涙を零す彼女を前に、小枝は思わず面食らった。
ゆえに、彼女は事情を聞いたわけだが……。シェムはその問いかけに対し、酷く悲しげに事情を説明し始めた。
「審問官さんのところで……私……コエダ様のことを……傷付けるようなことを……言っちゃいました……」
「私のことを傷付ける……?そのような事を言われた記憶はありませんが……」
「コエダ様を普通じゃないって……そんな感じのことを言っちゃったんです……」
「普通じゃない……?まぁ、私としては、確かに普通というものがよく分からないので、普通とは異なる言動をすることが多いかも知れませんが……そのことを指摘されたとして、私が気にすることはありませんよ?だって、普通って、人それぞれに異なるものですから」
「えっ……?」
「"普通"って何ですか?例えば、国王陛下が普通だとすれば、富や権力を持たない人たちは普通じゃないってことになりますよね?でも、逆に、富や権力を持たない国民を普通だとすれば、国王陛下が普通じゃないということになって、国王陛下を否定することになります。そんな事を言えば、打ち首間違い無しでしょう」
「あっ……」
「……"普通"という考えは、個人の中にある物差しのことです。その物差しの大きさは人によって異なりますが、心が大きな人ほど、長い物差しを持っているように思います。その物差しで測れない存在が、いわゆる"普通じゃない"存在になるわけですが……まぁ、私の事をその物差しで測れる方は、多分、この世界にはいないでしょうね」
小枝のその発言は、シェムの心に、2つの意味で突き刺さるものだった。1つは自分の物差しが小さい——つまり、心が小さいと言われたのと同義である事。そしてもう1つは、小枝自身が、誰かに正しく評価されることを諦めていることである。
その2つはお互いに相反する意味を持っていた。前者では、シェムの物差しだと小枝を測ることはできないと言っている一方で、後者では小枝を図る物差しが無いと言っているので、シェムの心が小さいと言っていることを否定していたのだ。
ようするに小枝は、自身が既に傷ついているシェムのことをこれ以上傷付けるつもりは無く、だからといって有耶無耶にしてしこりを残すようなこともせず……。泣きじゃくるシェムのことを、うまくフォローできるようにと言葉を選んだのである。
……しかし、シェムの捉え方は、小枝が期待したものとは異なっていたらしい。そういった不確定性を持っているのが人間らしさと言えるかもしれない。
「……わかりました。私、コエダ様のことも抱擁出来るような、大きな人間になります!」
「えっ……いや、別にそういう意味で言ったわけでは……」
「絶対です!2度も救われた恩義があるのですから、絶対にコエダ様を包み込めるような大きな人間になって見せます!この世界にいないのなら、この世界で初めての存在になって見せます!」
そう言って、ガッ、と小枝の手を握るシェム。そんな彼女の目には、明らかな決意のようなものが浮かんでいて……。小枝としてはダメとは言えず、ただただ受け入れるしかなかったようである。
そして、問題はここで起こる。話がここで終わって、シェムが日々の職務に精を出す、という結末を迎えていれば、何も問題にはならなかったに違いない。
しかし、世の中の事柄というものは、妙な繋がりを持っているらしい。
「……コエダ……様……?」
小枝が少しだけ開いた自宅の扉の向こう。そこにアルティシアがいて……。彼女が、なぜか、死んだ魚のような目をしながら、2人のやり取りを見ていたのだ。それも、嬉しそうに(?)手を繋いでいたシェムと小枝の姿を。
「あぁ、起きてきたのですね?おはようございますキノシタちゃん」
「…………」
「……キノシタちゃん?いえ、アルティシアちゃん?」
「…………」
スゥッ……カチャッ……
アルティシアが静かにフェードアウトする。より具体的には、開きかかっていた自宅の扉の向こう側へと……。
「あれ?今のキノシタちゃんですよね?どうかされたのでしょうか?なんだか具合が悪そうだったというか……」
「…………」
「コエダ様?」
「難しいですね……」
「えっ?」
「先ほどの定規の話ですよ。人それぞれに持っている定規は、何も大きさがだけが異なるわけではないのです」
そう言って小枝は1歩2歩と歩いて閉じたばかりの自宅の入り口前に立つと、その扉を開けて——、
「まぁ、とにかく、普通とか、普通では無いとか、そういったことを私は気にしないので、シェムさんも気になさらないでください」
——シェムに対してそんな言葉を残してから、小枝もまた扉の中へと消えたのである。それもまるで、先に消えたアルティシアのことを追いかけるようにして。




