10日目午後-20
ガイアス殿の名前を一部修正したのじゃ。
もう、大事故が生じての?
木下家の前に居座るブレスベルゲンの代官エカテリーナ。金色の長い髪と衣服を乱れさせたまま、地面にへたり込んでいた彼女の姿は、夜の闇の中にボンヤリと浮かび上がっていたことと相まって"異様"としか表現出来ない様子だった。例えるなら——今日も木下家の前で味のしないパンを握りしめてゾンビ化していた(?)町の人々すら、彼女の半径10m以内には近付かないほどに……。
そんな、一歩間違えなくても亡霊にしか見えないエカテリーナが、領主の館に帰らずに家の前にいる事に気付いた小枝は、彼女を追い返そうかどうかを悩んだようである。小枝にとって、エカテリーナとは、招かれざる客人であると同時に、必要不可欠な人物。アルティシアはエカテリーナがいなければ、領主の館に戻らなければならず、冒険者でいられないのである。つまり、エカテリーナをこのまま放置して、心を折ったままでいさせるというのは、誰の得にもならなかったのだ。
「(どうすれば穏便にお帰りいただけるでしょうか?それとも、もう少し放置して、様子を見るべきでしょうか?)」
小枝は少し悩んだ後で、何か決めたことでもあったのか……。エカテリーナに向かって問いかけた。
「……エカテリーナ様。なぜ、お帰りにならないのですか?」
小枝がそう口にした瞬間、ピクリと動いたエカテリーナは、そのまま、すぅっ、と幽霊のごとく顔を上げた後で、ぶわっ、と大粒の涙を零し始めた。
そして彼女は小枝に向かって、泣きじゃくりながらこう言ったのである。
「アルだけズルい……です……」
「(ズルい?……まぁ、否定はできませんね……)」
アルティシアは、小枝にとって、人生で初めて出来た人間の友人なのである。ゆえに、大切な人物であるというのは当然のことで、特別に贔屓してしてしまうというのもある意味で仕方のないことだった。
それを他の者——特に、アルティシアと密接な関係にあるエカテリーナからすればどう見えるのか。料理がとても上手く、冒険者としても凄まじく強く、それでいて町の人々に多大な影響力(?)を持っていた小枝のことを、アルティシアが独占している……。エカテリーナにはそう見えていたようである。まぁ、アルティシアはこの町の領主なので、なにもおかしな事ではないのだが、今の状況を違う言葉で言い換えればこうも言えた。すなわち——まるでエカテリーナだけを除け者にしているかのように見えていた、と。
アルティシアとしては、変なところで妙な特殊能力(?)を発揮するエカテリーナとは、可能な限り距離を取りたかったようである。しかし、小枝にはそういった忌避感は無く……。敵意を向けられたとはいえ、エカテリーナのことを除け者にするつもりは無かった。その辺りの心情としては、冒険者ギルドのカトリーヌに近いと言えるかも知れない。
それらのことを総合的に判断した結果、小枝は、エカテリーナに対処する方法として、最適と思しきプランを見つけ出し……。それを実行に移すことにしたようだ。
「とりあえずはお帰りください。ここにおられますと、町の方々の間で良からぬ噂が立ちます。……ですが、おいそれとは帰れないので、居座っているのでしょうから、交換条件を出しましょう」
「交換……条件……?」
「今まではチョコスティックやお食事をそっと届けていましたが、それを止めるというのは無しにします」
「!」
「冒険者としての活動は、やらなければいけないことですから、こちらも止めずに継続します。ガベスタンに対する圧力も同じです。……つまりは、貴女がここに来て、私に敵意を向ける前と同じ状態を維持するので、お帰りください、ということです」
と、現状維持を提案する小枝。そんな彼女の副音声は、この条件を飲まなければすべて無かったことにする、という厳しいもので……。追い詰められたエカテリーナに選べる選択肢は残されていなかった。
結果——、
「……ご迷惑をおかけしまして、誠に申し訳ございませんでした……」
——エカテリーナはへたり込んだ状態から、土下座の状態に移行して、そのまま深々と頭を下げ——、
「……って、確かに今回の件は申し訳なく思っているのですが、私がここにいるのは謝罪が主目的ではありません!」
——頭を下げていたのだが、何かを思い出したらしく、彼女はかなりの勢いで顔を上げた。それもずいぶんと必死な様子で。
◇
それから、エカテリーナの勢いに押されるまま、小枝たちは家の中へと入ることになった。小枝が誰かの勢いに負けるという出来事が非常に珍しかったためか、皆、帰ろうとはせず、事の成り行きを離れた場所で観察していたようだ。
エカテリーナを家の中に招き入れた小枝は、彼女にタオルを渡して、顔や髪に付いた埃を取るよう促した後、彼女の事を食卓テーブルへと誘った。そんな彼女に対し、アルティシアが、これ見よがしにチョコスティックと茶を出して、エカテリーナが得も言われぬ表情を浮かべた様子に苦笑してから……。小枝はエカテリーナに対し、事情を問いかけた。
「それで何でしょう?用件というのは」
「……アルやグラウベルは良いとして、他の方々には聞かれるととても困る内容なのですが……」
「大丈夫です。皆さん、ここで聞いたことをうっかり誰かに話してしまうなどということは決してしません。そのような事をすればどうなるのか、誰よりもエカテリーナ様がよくご存じなのでは?」
「「「「!」」」」こくこくこく
「……そうですね。分かりました。では、今から話すことは誰にも口外しないようお願いします」
そしてエカテリーナは、アルティシアを一瞥してから、こう言ったのである。
「……ブレスベルゲンにおける軍務大臣ガイアス卿、及び、国教会に属する司教の失踪について、領主アルティシア・ヘンリクセンの見解を期日までに報告されたし……そんな早文が王都から届いたのです。それも、国王名義で」
その瞬間——、
「「え゛っ……」」
——アルティシアとグラウベルが、魔法に掛かったかのように固まった。なにしろその通告書は——、
「……いきなり最後通告、ということですか……」
——アルティシアが王宮に対して期日までに状況の説明をしない限り、謀反と見なす、という最後通告と同義の連絡だったからだ。
14日までに終わるかのう……。




