プロローグ3
準備らしき準備は無かった。小枝には、いつでも妹のワルツのことを追いかける覚悟ができていたのである。その上、ワルツのように行ったきりではなく、可能な限り家に帰ってくるつもりだったので、準備すべきことは何も無かったのだ。もしも何か必要だというのなら、家まで取りに帰ってくればいいだけなのだから。
「…………」
「姉様?ほら、また無言になっていますよ?言葉で仰って下さい」
「……まずは10秒間、異空間に行って貰う。問題が無ければ1時間、1日、数日と時間を長くしていく。時間になっても戻ってこない場合は、こちらから無理矢理引き上げるつもり」カクカク
「……そうですか(どうして揺れているんですか?)」
「……飛んだ先が太陽だったり、ブラックホールだったりするかもしれない」
「確かにその可能性はありますね……。念のために重力障壁を展開していくことにします」
「……小枝。達者で……」うるっ
「ちょっと、姉様?!まだ死ぬと決まったわけではないのですけど?!」
眠そうな表情のまま、目尻に水滴を溜め始めたキラを前に、小枝は思わずツッコミを入れた。だが、100%天然(?)のキラには通用せず……。彼女は妹の指摘を前に、不思議そうな表情を浮かべていたようだ。
そして——その時が訪れる。
小枝は、キラから受け取った空間制御システムのモジュールを自身に組み込み、ステータスのチェックを行い、間もなくして完了した。妹のワルツは空間制御システムの起動に四苦八苦していたものの、小枝にとっては大した問題ではなかったようである。
というのも、ガーディアンたちは、それぞれに特殊能力とも言えるような機能が付与されており、小枝はその能力を使うことで、本来自分と互換性の無いはずのワルツのシステムを取り込む事ができたのだ。ただそれは、結果として互換性を無視できるように見えるというだけで……。本来の彼女の能力ではない。まぁ、その話は追々することにしよう。なお、キラの場合も以下同文。
「じゃぁ、姉様。後のことはお願いします」
「……達者で」
「姉様、それやめません?」
「…………?」
「はぁ……。まぁ、とにかくお願いします。まずは10秒でしたね」
「…………」こくり
空間制御システムに搭載されたワールドアンカーの制御をキラが行うことにより、もしも小枝に問題が生じたとしても、彼女の意思とは無関係に、元の世界へと戻ってくることが出来る……。そんな命綱を確認した小枝は、いよいよ、空間制御システムに対して莫大な電力の供給を始めた。
「——行きます!」
ブゥン……
次の瞬間、彼女の姿が現代日本から消える。例えるなら、数時間前に消えたばかりの妹のワルツと同じようにして……。
◇
ドゴォォォォ!!
小枝の周囲で突風が吹き荒れた。否、突風などという生易しいものではない。音速を遙かに超えた超高速の気流が、彼女の身体の表面を通過し、断熱圧縮と気流抵抗で、容赦なく彼女のことを加熱する。
しかし、その状況は、小枝の想定内。
「(……システムオールグリーン。姿勢制御開始)」
めまぐるしく変わる景色と、異常な状況の中、小枝は至極冷静に対処を始める。自分がきりもみ状態でどこかの空間を漂っている事を認識すると、ワルツほどではないにしろ強力な重力制御システムを使い、自身の減速と姿勢制御を同時に行ったのだ。
結果、彼女の目に、"世界"の姿が見えてくる。
「(……地球?)」
彼女が見た景色。それは、まるで、地球にあるどこかの地方のような光景だった。青々とした森と、透き通った空。
そして、後ろを振り返った小枝は、思わず目を丸くした。
「太陽が2つ?!」
ブゥン……
その瞬間、彼女は10秒前に味わったばかりの浮遊感に襲われた。
◇
「……死んでない……」
「いやいや、そこは普通『生きてる』とか『無事だった』とか、ポジティブなことを言うところですよ?姉様」
「…………」
「どうして黙るんですか……」
妹の指摘に返答するのが面倒になったのか、キラは口を閉ざした。まぁ、彼女の様子を見る限り、実際には面倒になったわけではなく、なにやら考え事をしている様子だったが。
というのも、小枝は現代世界に戻ってくると同時に、キラに対して自分が見た景色のデータを転送したのだ。その際、小枝の行動が早かったのは、10秒間だけ見えた景色が、彼女としてもあまりに印象的だったからだろう。
そしてそれは、キラにとっても、同じだった。
「……地球、じゃない」
「姉様もそう思います?」
「……データに無い」
「そうなんですよ。広大な森が広がっていたので、中南米や東南アジアかと思ったのですが、遠目から見た植生は、亜寒帯から亜熱帯付近のもののようです。それにあの2つの太陽……。間違いなく地球ではありません。一瞬、眼が壊れたのかと思いました」
「……興味深い」
キラはあらぬ方向を向きながら、その眼を細めた。恐らく今、彼女の目には、小枝が見た10秒間だけの景色が何度も繰り返し再生され続けていることだろう。