6日目午後-25
辺りは夜闇に包まれていて、小枝たちが行動しても、それを誰かに見られる心配はそれほど大きくはなかった。現代世界とは異なり、町に街灯と言えるものは殆ど無く、あっても家から漏れるランタンの明かりか、あるいは火魔法で作り出した篝火が両手で数えられる程度。町の中にはそこかしこに、姿を隠せそうな暗闇が巣くっていたのだ。
「ちょっと、お花摘みに行ってきます」
「は?」
「あれ?もしかして通じないのでしょうか……?まあ、良いですけれど、用事を思い出したのでちょっと行ってきます」
小枝はそう口にすると、唖然とするグラウベルをその場において、姉のキラと共に暗闇へと消えた。グラウベルにとしては、小枝たちがなぜ依然として健在だったスライムを放置するのか理解出来ず、途方に暮れるしか無かったようである。
しかし、スライムが小さくなって、騎士団でも対処しやすくなったことは事実だった。なので、彼は、いなくなった小枝たちの事をとりあえず棚上げにして、騎士たちだけでスライムへの対処を始めることにしたようだ。
「……仕方ない。まだ戦える者は武器を持って俺に続け!」
と、周囲にいた騎士たちに声を掛けるグラウベル。
それから彼は、スライムの方を振り返って、対処を始めようとするのだが——、
「……ん?どこだ?」
——短い時間、彼が目を離した隙に、大きなスライムの姿も、千切れ飛んだ小さなスライムたちの姿も、その場から忽然と消えていたようである。
それから彼らは、周囲をくまなく探し回って、姿を消したスライムを見つけようとするのだが、結局、どんなに探しても見つける事は出来ず……。グラウベルたちはまるで狐に化かされたかのように、途方に暮れてしまったようだ。
「いったい……」
スライムたちはどこへと消えたというのか……。原因を考えるグラウベルに確かな答えは思い付けなかった。
そんな時、小枝たちが戻ってくる。
「お待たせして申し訳ございません。さて、スライムの退治を……おや?」しれっ
そう言って白々しく周囲を見渡す小枝。キラに至っては、周囲を見渡すことすらしていなかったようである。
その様子を見て、グラウベルは怪訝そうに問いかけた。
「まさか……あのスライムの大群を、いつの間にかコエダちゃんたちだけで片付けたのか?」
それに対し、小枝は、不思議そうに首を傾げながら返答する。
「さて?いったい何のことを言っているのでしょう?お仕事が済んだようでしたら、私たちはお家に帰ってアル……キノシタちゃんにデザートを出したいのですが……」
と、グラウベルの上司(?)の名前をさらっと口にする小枝。
一方、グラウベルは、小枝が何かを隠していることを薄々感じ取ったようだが、そのことが自分たちにとって危害になるわけでもなければ、スライムの問題が依然として残っていたわけでもなかったので——、
「……分かった。また何かあったときは、コエダちゃんの家に行こうと思うが……その様子じゃ、心配は無いのだろう?」
——と、彼もまた含みのある質問を小枝に投げかけた。
それに対する小枝の返答は、否定の言葉でも肯定の言葉でもなく、ただニッコリとした笑み。そんな明確な答えとは言えない表情だけをグラウベルに返すと、彼女はキラと共に、その場を後にして、自宅へと帰っていったのである。
◇
小枝が自宅に帰った後、本当にスライムがいなくなったのか、エリアを拡大して町中を巡回していたグラウベルのところへと——、
「グラウベル。お話があります」
——代官のエカテリーナがやってきた。
「エカテリーナ様……」
やってきたエカテリーナを見て、グラウベルは思わず眉を顰める。身構えるほどではなかったものの、彼はエカテリーナのことを警戒していたのだ。
なにしろ、彼ら騎士団は、領主の館に囚われた小枝を救い出した際、領主を守る私兵たちと衝突したのである。幸い、領主であるアルティシアは、小枝側に付いていたので、グラウベルたちが王都の上層部から責任を問われる可能性は低くかったのだが、エカテリーナと領主の私兵たちは騎士団のことを目の敵にしている可能性が否定出来なかったのだ。
だが、エカテリーナ側としては、グラウベルたち騎士団と敵対関係を続けるつもりはなかったようである。彼女たちにとっては、騎士団と敵対しても何も利点が無い上、騎士団がいなければ今回のスライムの一件のように魔物が暴れても太刀打ち出来ないと考えていたからだ。……そう、彼女は、今回のスライムのことを、騎士団が討伐したと考えていたのである。
「この度は助かりました。お礼を言わせてください」
「…………」
「それと、昼間の"キノシタ"に対する一件ですが、あれも不問とします」
「キノシタ……」
今のグラウベルにとって、"キノシタ"という言葉は、2つの意味があった。1つは小枝が使っていた偽名という意味。そしてもう一つは、アルティシアが使っている偽名という意味だ。
この時、エカテリーナが口にする"キノシタ"がどちらの人物を指しているのか……。グラウベルはすぐに理解すると——、
「……あの一件は、私もやりすぎたのではないかと考えていたところです」
——とりあえず、申し訳なさを全面に出すことにしたようだ。ただし、アルティシアと小枝が味方側にいる以上、いっさい謝罪するつもりは無かったようだが。
そんなグラウベルに対し、エカテリーナは深刻そうな表情を浮かべながら、こう口にした。
「……アル……」
「…………?」
「アルティシア様のことでお話があります。実は、先ほどの巨大なスライムが現れてからというもの……アルティシア様の姿が見えないのです……」
「(それはまぁ……そうだろうな)」
「恐らくは、あのスライムに……」
そう言って俯くエカテリーナ。そんな彼女からは、どこか後悔したような雰囲気が漂っていたようである。即ち、アルティシアをスライムに飲み込ませてしまった——殺してしまったのは、自分なのではないか、と……。
このまま彼女のことを放っておくと大問題になる気がしたグラウベルは、どうにか火消しが出来ないかと考えたようである。しかし、アルティシアはエカテリーナのことを嫌っている節があり、自分がアルティシアの居場所について話すことは適切ではないとも考えて……。結果、彼は即席のシナリオをエカテリーナへと話し始めた。
「…………その話ですが」
その結果、エカテリーナは、アルティシアが生きていることを知って、一時は喜ぶものの、グラウベルの話を聞く内に段々と表情が暗くなっていって……。そして彼女は最終的に、頭を抱えることになるのである。
グラウベルがエカテリーナに対し、何と言ったのか……。後日、エカテリーナが、"キノシタ"という名の黒髪の人物を凶悪な犯罪者として指名手配した、といえば、おおよそのことは分かってもらえるのではないだろうか。
グラ「実は……アルティシア様らしき人物が、キノシタと名乗る人物に付いて、町を出ていったという報告を受けていまして……(嘘は言ってない)」




