6日目午後-17
コンコンコン……
「……グレーテル様、まだ寝ているみたいですね?」
「えぇ、そのようですね。どうも姉様が作るBBS布団は、触れるだけで強い眠気を感じてしまうようですから、なかなか自分の意思では起きられないのでしょう」
「そ、そのようですね……」かぁっ
少し前の出来事を思い出したのか、顔を真っ赤にしながら、腹部を押さえるアルティシア。そんな彼女に苦笑を向けてから、小枝はグレーテルの部屋の扉をカチャリと開けた。
そして部屋の内部を見て、アルティシアが口を開く。
「やはり……寝ています」
「…………」
「……コエダ様?」
「……えぇ、ぐっすりと寝ているようですね」
部屋の中はアルティシアの部屋と同じく、まだ私物と言えるものは殆ど置かれていなかったようである。あるのは、脱ぎっぱなしの服と、冒険者ギルドの登録証だけ……。
その様子を見て、小枝が感想を一言。
「せっかくクローゼットを用意したのですから、服は掛けた方が良いと思うのですが……」
服を脱ぎ捨てて、そのままベッドにダイブしたかのように、グレーテルは眠っていた。いや、実際、その通りなのだろう。グレーテルは掛け布団を羽織ることなく、頭からダイブした状態のまま仰向けて眠っていたのだから。
その様子を小枝やアルティシア以外の者たちが見たなら、皆、品性が無い、などと考えることだろう。しかしそこにいたのは、人生経験の少ないアルティシアと、そもそも眠ることがない小枝である。2人はあられもない姿で眠るグレーテルの姿を見ても、特に何も思わなかったのか、そのままグレーテルのことを起こそうとする。
「えっと、揺すって起こすのですか?」
「いえ。皆さん、揺すって起こしても中々起きないので、揺する以外の方法で起こそうと思います。ほら、例えば匂いを嗅がせるとか……」
「そ、そうですか……」かぁっ
「ですが、匂いを嗅がせると、アルティシアちゃんのお腹の虫さんに刺激を与えることになりかねません」
「…………」かぁっ
「なので、グレーテルさんは別の方法で起こそうと思います」
事あるごとに顔を赤らめるアルティシアを余所に、小枝はどこからともなく薬草の一種を取り出した。……ブレスウルティカ。触れると痒くなる薬草である。
「せっかく背中を丸出しで寝ているのですから、まずはこの、触れると痒くなる薬草のエキスを、背中一杯に塗りつけてみて——」
「ちょっ……ちょっと待ちなさいよ!」
小枝が異相空間から取り出したブレスウルティカを指先で弄んでいると、眠っていたはずのグレーテルが、ベッドから急いで飛び起きた。もちろん、ブレスウルティカの痒み成分はまだ塗ってはいない。
「いえ、冗談です」
「冗談って……そんな感じに聞こえなかったんだけど?」
「寝たふりをしている方をどうやって起こそうかと悩んだだけです」
「えっ?」
「……バレてたのね」
「呼吸や脈拍を見れば、一瞬で分かりますよ?」
部屋に入った直後から、小枝はグレーテルが起きていることが分かっていたようである。分かった上で、どうやって狸寝入りをするグレーテルを驚かせるか……。考えた結果が、ブレスウルティカを背中に塗る、という冗談だったらしい。
そして小枝にバレていたのは、狸寝入りのことだけではなかったようである。
「逆に、私たちが知らずに近付いたら、驚かせるつもりだったのでは?」
「ぎくっ……」
「もう、グレーテルさんったら……。まぁ、分かっていましたけれど……。でも、どうしてグレーテルさんは1人で起きられたのですか?他の皆さんは起こしても起きないくらい、グッスリと眠っていたのですが……」
アルティシアにしてもシチュー3兄妹(+α)にしても、グレーテル以外の者たちは皆、まるで魔法に掛かったかのように眠っていたのである。そんな中でグレーテルだけは、自力で起きることが出来たのだ。BBS布団に強力な睡眠作用が生じていることを薄々察していた小枝としては、なぜグレーテルが自力で目覚められたのか、不思議だったようである。
その理由はグレーテルらしい——いや、魔女らしいと言えるものだった。
「それは多分……私だからじゃないかしら?」
「「えっ?」」
「職業柄、色々な魔法や薬草を扱うことが多いから、実験に失敗しても大丈夫なように魔道具を身につけてるのよ。ほら、これ。これのおかげで、BBSの布団を触っても、深い眠りには落ちなかったんだと思うわ?
そう言いながら、グレーテルが胸元から持ち上げたのは、まるで呪いの藁人形ではないかと思えるような、無骨なデザインのキャラクターが吊り下げられたネックレスだった。サイズは2〜3cm程度と非常に小さく、一見する限りは、何を吊り下げているのか気にならない程度の大きさである。
そんなネックレスを見て、アルティシアが感想を一言。
「……かわいい」
「えっ……」
……どうやらアルティシアの感性は、一般市民よりも、どちらかというと魔女側に近いようである。
喪女まっしぐらなのじゃ!




