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2.10-08 遅延08

……執筆を休んでいたわけではないのじゃ?

毎日書いておったのじゃ。

どうすれば、面白い物語を書けるのか……整理するためにの?

 セルマには現状が理解出来ない。気付けば、女性の胸の中にいたのだ。途中、急に意識が薄れたことは覚えている。でも、行動と結果が、どうにも結びつかない。


 今もなお、頭がぼんやりしていて、まるで熱に浮かされているかのようだった。視界は揺らいでいないが落ち着かない。目の前にベッドがあれば、そのまま倒れ込みたいほどだ。


 だが、それは許されないこと。何しろ、彼女は今、"ミッション中"。自分たちの"話"を聞いたかも知れない女性のことを、排除しなければならないのだ。いったん引き受けた以上、途中で投げ出すなど、あり得ない。……彼女はそう"インプリンティング"を受けたのだから。


 ところが話はうまく進まない。セルマの身体が動かないからだ。女性がセルマをぎゅっと抱きしめ、セルマの行動を奪っていたのである。


 それは異常な事だった。セルマが女性から離れようとしても、なぜか身じろぎ一つできないのだ。まるで、磁石のように見えない力でくっついてしまったかのよう。不可解な感覚がセルマを襲う。


 セルマは抵抗できないまま、女性に脇を抱えらた。そして、師と仰ぐ者たちが待つ部屋の中へと戻る事になる。


「お客様?お連れの方が、体調の不良を訴えられているようです」


 女性は扉の隙間から、部屋の内部にいた者たちに声を掛けた。すると、一部の若い者たちが、目をぎらつかせながら、何かの行動に出ようとするが――、


「……待ちなさい」


――しわがれ声の老齢の学者らしき人物に声を掛けられて、一斉に足踏みをした。


 若者たちが立ち止まったことを確認した後。その学者らしき人物は、人の()さそうな笑みを顔に張り付けた。


「これは、ウチの者が、粗相を働いたようで、すまなんだ。……これ、ジェシカ。セルマをベッドに寝かせてあげなさい。セルマも無理はしないように」


「……はい」

「承知いたしました」


 ジェシカと呼ばれた少女の反応は、まるで出来の悪い機械のような返答だった。それでも彼女は、女性に近付くと、そのままセルマを抱えて、部屋にあったベッドへと運んでいく。


 そんな2人のことを目で追いながら、老齢の学者が、女性に向かって話しかけた。


「して……ここへは何用かの?なにゆえここに参られた?そなたのことを招待した記憶はないのだが……」


 静かな問いかけだ。言葉にトゲは無い。しかし、それは、トゲが透明なだけ。老齢の学者から吹き出す雰囲気が、見えない剣山となって、一気に女性へと襲い掛かる。言葉や行動によらない気配の"暴力"といったところだろうか。


 それでも女性に気にした様子はない。ただの営業スマイルにしては、あまりに慈悲深すぎる笑みを顔に張り付けながら、彼女は学者に対して、こう、返答する。


「本日は当館をご利用頂きまして、まことにありがとうございます。現在、当ホテルでは、キャンペーンを実施しておりまして、3食のお食事を無料にてご提供させて頂いております。この度は、昼食のサービスのため、お伺いさせて頂いた次第ですが――」


 この時、初めて、女性の顔から笑みが薄れた。彼女は周囲を見渡し、その場の全員が自身に対して異様な気配を向けていることに、あたかもいま初めて気付いた、と言わんばかりに目を見開いた。尤も、彼女はそれでも、落ち着きを失わなかったようだが。


「これは飽くまでサービスです。ですから、ご必要ではないとおっしゃるのでしたら、すぐに片付けさせて頂きます」


「ふむ……賢明な判断だ」


 老齢の学者が目尻に皺を寄せる。しかし、笑った訳ではない。単に目を細めただけだ。値踏みする視線か、女性の無神経さを軽蔑する視線か……。そのどちらかだろう。


 それでも、やはり、女性の反応は希薄だった。彼女は何も無かったかのようにそのまま身を引いて、部屋から外へと出ようとする。


 そんな時のこと。


   ガシャンッ!


「っ!……申し訳ございません」


 女性が扉を開いた際、その後ろにあったワゴンに扉がぶつかって大きな音を上げたのだ。。ここまで完璧な"従業員"を演じてきた女性にとってはあるまじき失態だ。それ故か、女性は少し慌てた様子を見せるが、すぐさま深々と頭を下げて謝罪し、どうにか完璧な"従業員"を演じ続けようとする。


「……よい。今後、このようなことが二度と起きぬように」


「寛大なお言葉、痛み入ります」


 女性は言うと、そのまま部屋から出て行こうとするが……。


   フワァ……


 何か香ばしい香りが、扉の隙間から、部屋の中に流れ込んできた。別の部屋で、誰かが換気でもしているのだろうか。廊下を漂っていた香りが、部屋の中に充満する。


 それは最早、"毒だ"。鼻から入り、神経を通って、脳を蕩けさせる魅惑の毒――料理の匂い。一般的な旅人は、ブレスベルゲンに来たその日から、"毒"に逆らえず、まるでゾンビのように夜な夜な木下家の周辺を徘徊するのである。慣れるまでに約1週間。それほどに長い時間、"代謝"が必要な毒だ。当然、つい数時間前にブレスベルゲンへとやってきたばかりの旅人が抗えるはずもない。


「?!」ぐぅ……


 入り口から一番近い場所にいた学者の腹部で、盛大に音が上がる。それを皮切りに――、


「んふっ?!」ぐぅ……

「くっ?!」ぐぅ……

「…………じゅるっ」ぐぅ……


――部屋の中がオーケストラと化した。"腹の()狂騒曲"の開演だ。


「では、しつr——」


「……待て」


 女性が部屋を出ようとした、その直前。学者の一人が、呼び止めた。


「はい?いかがされましたか?」


「その昼食とやら……無料なのだな?」


「はい!キャンペーン中ですので!」


「……では、少し……置いていってはくれまいか?」


 その学者は、自分の興味を満たすために、食事を観察しようと考えていた。他の者たちは、きっと見向きもしない……。そう考えていたからこそ、"少し"といったのだ。


 だが、"少し"、と言う単語に、学者たちが一斉に目を見開く。一人だけ抜け駆けしたことに、皆、一斉に気付いたらしい。


「い、いや、待て!私にも置いていけ!」

「わ、我もだ!我の分も、置いていくが良い!」

「き、貴様ら……!吾の分もだ!我の分も置いていけ!」


 こうして結局、宿泊者全員の食事が提供されることになった。ただし、食事の匂いに屈した訳ではない。……これは研究。ブレスベルゲンの食文化について、詳しく調べる必要があるのだから。


  ◇


 そして、女性がいなくなった数分後。


「「「…………」」」


 部屋の中を、奇妙な沈黙が支配していた。美味しそうな匂いがしているというのに、誰も手を付けようとしない。お互いが監視するかのように、皆、相手の動向に睨みを利かせていたのだ。


 ちなみに、食事は、銀色の蓋(クロッシュ)の中にあって、何が入っているのか、直接見ることはできない。ただただ、香ばしい匂いだけが、クロッシュの隙間から漏れ出てくるだけだ。


 そのせいで、学者たちの想像が加速する。もはや、誰の頭の中にも、女性の記憶など残ってはいない。


 ところが——、


「(……誰か手を付けぬか?)」ちらっ

「(……最初に言いだしたやつは誰だ?)」ちらっ

「(……早く手を付けろ!)」ちらっ


——誰も料理に手を付けようとはしない。内心では、色々と考えていても、皆、平静を装って、本音は見せなかった。研究者として興味はあるが、プライドもまた無視できないのだろう。


 そんな妙な空気が30秒ほど続いた頃。


「ほわ〜ぁ?良い匂い……」ふら〜


 セルマがベッドから起きてくる。


 そして彼女は徐に、近くにあったクロッシュに手を掛ける。躊躇いはない。


   カパッ


「…………すんごい……」ごくり


 セルマの語彙力が崩壊する。言葉が出てこないのだ。


 クロッシュの下にあったものは、彼女たちの国にもなければ、旅の途中見かけた料理でもなかった。すべてが、見たことのない料理ばかり。しかも、その一つ一つが、芸術のように飾り付けられていて、ただの料理以上の"何か"を目に訴えかけていたのだ。


「これ、食べても良いんですか?」


 セルマは顔を上げた。彼女の目は、キラッキラだ。この分だと、なぜ自分がベッドの上に寝ていたのかすら、忘れているにちがいない。


 だが、彼女は、不意に現実に引き戻された。その場にいた皆たちの視線が、例外なくすべて、自分に向けられていたからだ。


「……えっ……?」


 いったい何が起こっているのか……。セルマには状況が把握できなかった。


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