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2.10-05 遅延05

 ヴァレンティーナの目が、まるで死んだ魚のように沈んでいたその頃。ブレスベルゲンの入り口には、とある一団の影が現れていた。


 見慣れない紋章。見慣れない国旗。そんな得体の知れない象徴を身にまとった、二十名ほどの集団である。


 彼らからは、いきなりトラブルを起こしそうな危うい緊張感は感じられない。筋骨隆々とした武人の姿は見られず、細身で学者然とした者たちばかりだ。馬車から降りた彼らは、無言のまま周囲の景観を見渡し、その瞳に、怪しげな輝きを灯す。


 その目には、確かに知への渇きが宿っていた。だが、その色は観光客のものではない。冷静に物事を見定めようとする、学者らしい熱く冷たい――鋭利な視線。


 この地では、明確に異質である。しかし、彼らが周囲の者たちの視線を集めているかというと、そういうわけではない。世の中にはもっと目立つ集団が山のように存在するのだから。


「ほほう?ここがブレスベルゲンという人間の町か!」

「ま、魔王様!アルティシア様に目を付けられぬよう、目立つ行動はどうぞお控えくださいませ……!」

「馬鹿者!我は魔王ではない!塔の自治を認められておる"いち領主"だ!」


 たとえば、そんな会話をしている角の生えた者たちだ。人よりも大きな体躯をもち、人ならざる角や肌の色をした彼らの姿は、どう見ても目立っていた。――だが、誰も気にしない。


 しかし、彼らなど序の口に過ぎなかった。


『腹減ったな……』

『山に魔物狩りにでも行くか。今日はキングボアの気分だ』

『山の魔物か……あれ、硬ぇんだよな……。牧場の、あのやわらかくてジューシーなやつを食べた今じゃ、他のボアは食えたもんじゃねぇ……』


 全長八メートルほどのドラゴンたちが、元の姿のまま、道草を食うように、街道沿いでのんびりと会話を交わしていた。


 だが、それもブレスベルゲンでは“普通の光景”。やはり――気に留める者など、ひとりとしていない。


 むしろ、ここまで来ると、普通の人間の方が目立っているとすら言えた。


「……森で冒険者として活動できるとは思えない……」げっそり

「……野原で活動できるとも思えない……」げっそり

「……町の中にも居場所はない……」げっそり


 巨人や巨獣が歩き回る中、暗い顔をしながら通りを進んでいるのは、ブレスベルゲンの冒険者たちだ。


 彼らの大半は疲れ切った表情を浮かべ、生気がない。とはいえ、ゾンビのようにアンデッド化しているわけでもない。身なりが悪く、痩せこけている様子でもない。


「ま、ダメならダメで、その時に考えるか!」

「今日の昼飯もローラちゃんのところだな!」

「またか? お前も飽きねぇやつだな。ま、俺もだけどなっ!」

「「「はっはっは!」」」


 少々肩身の狭い思いはしていたが、それでも、彼らも普通に生活できる程度には、活動の場は残されていたらしい。


 そんな彼らもまた、ブレスベルゲンの日常の一風景。多少は浮いてはいたものの、極端に目立つほどではなかった。


 つまり、今のブレスベルゲンは、ある意味で他者に無関心な町になっていた。密偵がいたとしても、誰も気づかないに違いない。実際、周辺諸国の間者たちが、ブレスベルゲンの中で生活しているらしい。……もっとも、スパイとして活動をしているかどうかは、また別の話ではあるが。


 このように、謎の学者集団の姿は、ブレスベルゲンの中において、さほど目立つ存在ではなかった。それゆえに、彼ら一行は、難なく町の中へと入り込むことに成功する。


 一時は、ほとんど無表情だった彼らも、町の中に入ってからは、少し様子が異なっていた。反応に明確な変化があるわけではない。小さな変化だ。町の中に入って以来、彼らの眼がキョロキョロと忙しなく動いていたのだ。


「ふむ……実に興味深い」

「異種族で溢れておるというのに、衝突する気配がまるで無い」

「しかも、これほどの活気。他の町では見受けられないほどの生気に満ちている」


「……嫉妬すら覚えそうですね」


 一行には、学者風の老人だけでなく、若者の姿もいくらか混ざっていた。とはいえ、その若者たちも皆落ち着いており、はしゃいでいる者はいない。


 しかし、老齢の学者らしき人物の目には、その若い女性がはしゃいでいるように映ったらしい。


「嫉妬?……セルマよ。言葉は正しく使わねばならん。ただの言葉とはいえ、一言一言には、見えぬ力が込められておるのだからな」


「承知しております、師匠。ですが、私は悔しいのです。醜き魔物たちや亜人たちが溢れるこの町の方が、私たちの町よりも発達しているというこの事実……これでは、まるで――」


「……やめよ、セルマ。その話は宿に入ってからだ。下手なところで会話をすれば、町の者たちの耳にも入るゆえな」


 "師匠"と呼ばれた老齢の男の指摘に、セルマはすぐさま口を閉じた。だが、苦言を受けたからといって、しょんぼりしているわけでもなければ、不満を漏らしているわけでもない。ただ静かに、何かを考え込んでいるようだった。


 しかし、それも長くは続かない。


「ほれ、行くぞ?セルマ。ぼやぼやしておると、お前だけ取り残されるぞい?」


「は、はい!」


 師に突かれたセルマは、慌てて歩き出す。その刹那、彼女の表情に憂いの色が浮かんでいるように見えたのは、初夏の日差しが作り出した陽炎の影響か。


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