2.10-03 遅延03
「あぁ……美味しかったです……――はっ?!」
ヴァレンティーナは我に返った。すでに食事は終わり、片付けが始まっているところだった。ノーチェお手製のタコさんウィンナーを口にして以来、我を忘れるほど朝食に夢中になっていたらしい。
皆が引き上げていく中、ヴァレンティーナは取り残されるようにその場に残っていた。しかし、幸いにも、その出遅れが彼女には好都合だったらしい。小枝に報告しなければならないことがある彼女の前に、ちょうどその当の本人がいたからだ。
ゆえに、彼女は渾身の力を振り絞り、小枝に呼びかけた。
「コエダ様……!」
しかし、全力で呼びかけているというのに、ヴァレンティーナの声量は、ほとんど変わらない。具体的には、本のページをピラリと捲る程度の音量だ。
ゆえに、彼女の声は虚空へと溶け、誰も反応を返さない。返すはずもない。ヴァレンティーナのことをよく知るハイリゲナート王国の王室内でも、彼女の声に反応する者はいなかった。人の耳にとって、彼女の声はあまりにも小さすぎたのだ。彼女から報告を受けていた国王フューリオンですら、静かな部屋の中で耳元で話してもらわなければ聞き取れないほど。もはや、蚊の羽音の方が大きいとすら言えた。
それゆえに。あるいは、その代償に、というべきか……。彼女は声の小ささと引き換えに、遠方にいる者と会話する力を得たのだ。
彼女の力を使えば、目の前の相手に気づいてもらうことは可能である。口で話しかけるのと並行して、遠隔会話の魔法を使って話しかければいいからだ。実際、彼女は、小枝以外とは、遠隔会話の魔法を近距離でも使い、会話を実現している。……そう、小枝以外と。
話はそううまくはいかない。なにしろ、小枝は、魔法の影響をほとんど受けないからだ。しかも今、彼女はヴァレンティーナに背を向け、アルティシアと会話している最中なのである。小枝を振り向かせる手段はないといえた。
「コエダ様……!……やるしか……ありません……!」
ヴァレンティーナの声は、再び虚空へと消えた。しかし、今度は少し様子が違う。彼女のその瞳には確かな決意が宿っていたのだ。小枝に気づいてもらえないのなら、物理的に袖を引っ張ればいい……。それがヴァレンティーナの出した答えだった。
彼女は立ち上がり、小枝のもとへ歩き出そうとした──まさにその直前のこと。
「聞こえていますよ? ヴァレンティーナさん」
背を向けているはずの小枝から、ふいに声が飛んできた。
その事実に、ヴァレンティーナは目を丸くした。小枝はなぜ、自分の存在に気づけたのだろうか。嬉しさ半分、疑問半分の驚きが、彼女の中に湧き上がる。
そして彼女は、思い出した。司令部にあった巨大なモニター。その画面に何が表示されていたのかを。
「(あぁ、そうでした。昨日の件と言い、今の件と言い、コエダ様は後ろどころか、大陸の隅々まで見通すことができるのでしたね。まるで――)」
その先の言葉が意識に上がるより早く、小枝がヴァレンティーナの方を振り向いた。アルティシアとの会話が終わったらしい。
「どうかされましたか?」
「えっ、えっと……」
急に振り向かれると、それはそれで、頭が真っ白になってしまう。慌てて言葉を探そうとするが、慌てれば慌てるほど、言葉は出てこない……。ヴァレンティーナは瞬きを繰り返しながら後ずさり、後ろにあった椅子にぶつかり、そのままストンと腰を落とした。
シャイなヴァレンティーナにとっては災難だったが、幸いなことも一つだけあった。小枝が目を瞑っていたことだ。
ヴァレンティーナは、ジッと見つめられると、身体中から変な汗が出てきて、口が回らなくなる。そうなれば、もはや会話は困難。しかし、小枝は普段から目を閉じていたため、ヴァレンティーナは視線による緊張を感じずに済んだのだ。
おかげで、ヴァレンティーナの焦りは少しずつ落ち着き、拡散していた思考も次第にまとまっていく。ここまで来れば、言うべきことはただ一つ。
「……コエダ様。お知らせしたいことがございます」
考えがまとまっていなくても、とりあえず意思だけは伝える。それができなければ、何も始まらない。
それは、ヴァレンティーナにとって大切な第一歩だった。退路を断つことで、戸惑う自分の背中を押し、話を進めるための技術。そして、儀式。
その一言が、彼女の思考を再起動させた。
途中からある事に気付いたゆえ、文の書き方が変わったかも知れぬのじゃ。




