2.9-82 国82
「コエダちゃん……?コエダちゃん……コエダちゃん……!」
「はい、私はここに——」
「コエダぢゃぁぁぁぁん……」
まばゆい光がすべてを覆い、滲んだ視界の先には何も映らない。だが、アルティシアは確信していた。――その向こう側に、小枝の息遣いがあることを。
彼女の眼に、小枝の姿は映らない。それでも、目の前に小枝がいると信じ、アルティシアは必死に腕を伸ばそうとする。
だが、アルティシアの腕には力が入らない。感覚も無い。ボロボロになっていた腕も、満身創痍を越えて酷使した足も、とうに限界を迎えていたのだ。鼓動も乱れていた。脈は不規則に跳ね、まるで壊れかけた歯車のように不揃いだ。落ち着こうとすればするほど、その鼓動はトクンと大きく乱れる。
ゆえに、アルティシアの腕は、小枝の背中には伸ばせない。その顔は、無限の距離のように遠く、ギュッと抱きしめたいという気持ちも、空の星をつかむがごとく叶わない。
しかし、それでもアルティシアは、幸せだった。胸の灯が明滅していたこの瞬間、彼女は小枝の声や温もりを間近に感じ取る事が出来たのだ。何より、小枝の腕が、アルティシアをギュッと抱きしめている。
「ははっ……さいごに……コエダちゃんにあえて……よかっt——」
この瞬間のアルティシアには、何一つ思い残すことはなかった。頑なに保ち続けてきた意識は次第に遠のき、砂塵が風に舞うようにして、彼女のすべてが薄れていく。触覚、視覚、聴覚……。生きている感覚が、薄れていく意識と共に、虚無の彼方へと消えていく。
しかし、小枝にとって、アルティシアを失うことなど、決して許されることではない。周囲を渦巻く凶光の輝きを、物の理ごと捻じ伏せながら、彼女はアルティシアの身体を宙に解き放つ。
「……生体データ解析開始――完了。回復薬による治療は危険と判断し、ナノマシンによる強制治癒を選択。生命活動維持を最優先。再構築プロセスの検証――成功。アルちゃんの状態を1時間前の状態にフォールバック。修復開始」
もはや、アルティシアには、小枝が何を言っているのか理解できなかった。ただ、小枝のぬくもりが身体を包んでいる――そんな朧げな感覚がわずかに残るだけ……。その記憶を最後に、アルティシアの意識は、穏やかに霧散していった。
◇
地上にいた魔族たちは、状況を呑み込むことができなかった。
エンシェントドラゴンの口が眩く輝いた瞬間、その頭部全体が光に包まれる――そこまでは理解できた。ドラゴンブレスの発射過程で事故が発生したのだろう、と推測することは可能だったからだ。直前に、巨獣の中へと魔族の少女(?)が飛び込んだのだ。体内で何かしらの干渉を行ったのだろうと考えるのは、自然なことである。
しかし、エンシェントドラゴンの身体全体が光に包まれたことは、さすがの魔族たちでも理解不可能だった。その光の正体は魔力。それは疑いようのない事実。しかし、暴走しているはずの魔力が霧散せず、巨獣の身体を覆うように広がっていた事象は、誰ひとりとして予想していない展開だったのだ。
その現象は、魔法現象も物理現象も、あらゆる理を無視していた。ゆえに、魔族たちは事態を呑み込めずに混乱していたのだ。ましてや、エンシェントドラゴンの身体が光の粒となって消えていくなど、到底理解できるはずもなかった。
しかも、その光の中から、巨獣の中へと飛び込んだ白髪の少女と、彼女を腕に抱えた見知らぬ黒髪の少女が現れたのである。予想外、想定外、常識外、そんな言葉では彼女のことを表現しきれない。
魔法を使っている様子もないのに、黒髪の少女がゆっくりと地面に舞い降りる。鳥のようであり、天使のようでもあり、そして悪魔のようでもある……。その異様な気配に、魔族たちの思考は追いつかない。
そんな彼らの常識に、追い打ちをかけるかのように――、
「アルちゃんを、このような姿に変わり果てるまで戦わせたのは——」ブゥン『貴方たちですか?』
――目の前にいた黒髪の少女が、"化け物"へと変貌する。
少女の顔にひび割れが生じ、その隙間から、真っ赤な瞳がギョロリと覗く。1つ、2つ、3つ……。怒りに狂う瞳は、もはや業火そのもの。実際に熱を帯びているわけではないというのに、魔族たちの精神を、焦がしながら侵食する。
その瞳に睨まれた魔族は動けなくなる。巨大なエンシェントドラゴンに立ち向かえるほど勇敢なはずの彼らの身体は、まるで金縛りにあったかのように微動だにしない。いや、一部には、動いている部分もあった。ガタガタとけたたましい音を立てる彼らの下顎と、生まれたての小鹿のように小刻みに震える下肢の2箇所。本能が恐怖した結果だ。
魔族たちの間に戦意の欠片すらないのは明白。だというのに、その"化け物"が放つ気配に容赦は無い。さらなる殺意を無差別にまき散らす。
口から泡を吹きだし、地に崩れる者。恐怖のあまり、音にならぬ悲鳴を上げながら、失禁する者。嘔吐と嗚咽で窒息し、命の灯を消しかける者などなど……。"化け物"がその場にいるだけで、怒りが、終焉が、音もなく侵食する。
せっかくエンシェントドラゴンによる破滅の危機が去ったというのに、"化け物"によって自分たちは滅んでしまうのか……。魔族たち間から、わずかに残っていた希望の欠片すら消え去った――そんな時。
ギュッ……
その場に渦巻いていた終焉の気配が、急に薄らいだ。アルティシアの小さな手が、"化け物"の袖を握った瞬間のことだった。
魔神「…………」ごごごごご
魔族たち「「「お、お助けーっ!!」」」
魔神「(……私が迷宮に侵入するときに蹴散らしたドラゴンが、アルちゃんを攻撃していたとか……口が裂けても言えません……)」ごごごごご
古龍(土)「住処を追われました!」†




