2.8-36 科学?34
そのあとアルティシアは、ユーリカと小枝とは一緒にリビングへは戻らず、2人の事を見送った。なぜ小枝の部屋の前にいたのか、アルティシアは説明できなかったからだ。小枝とユーリカの距離が近すぎる気がして、様子を見に来た、などとは間違っても言えないのである。
故に、アルティシアは、部屋に忘れ物を取りに行く体で、一旦自室に入ると、タイミングを見計らって、リビングへと向かった。ほんの数十歩ほどの距離だ。私室の前にある短い廊下を進めば、リビング内に設置された階段へとすぐに辿り着く。
短い廊下を歩いている間、アルティシアの口許は少し緩んでいて、嬉しそうな様子だった。何だかんだといいながらも、ユーリカが内心を偽らずに、会話をしてくれたことが嬉しかったのだ。
アルティシアは廊下の先にあった扉を開けると、階段に出たところで立ち止まり、下を眺めた。特に理由は無い。そこからは、ちょうどユーリカの姿が見えていて、ノーチェと会話をしている様子が目に入ってきただけだ。
「ユーリカお姉ちゃんが知ってる話で、商人の話、無い?」
「商人ですか?えぇ、ありますよ?欲に目が眩むと、最後には自滅するから注意してね、という内容の話です。ノーチェちゃんは商人に興味があるのですか?」
「商人が主人公の話なら、子ども向けの絵本になると思った。ブレスベルゲンじゃ、ゆーしゃの話は受け入れられない」
「勇者の話は……まぁ、確かにそうかも知れませんね。しかし、商人が主人公なら受け入れられるのでしょうか?ブレスベルゲンって、それほど商人は多くないですよね?」
と、普段通りに話しているユーリカの姿を見て、アルティシアは思う。
「(まぁ、相手はノーチェちゃんですから、話し方を選んでいるのかも知れませんね……)」
相手は子ども。変な喋り方を教えると、教育に悪い影響を及ぶ可能性があるので、聖女の仮面を被って話しているのだろう……。
アルティシアがそんな事を考えていると、ユーリカの所に、今度はエカテリーナが近寄ってきた。
「ブレスベルゲンの人口の1/4は、商人か、その関係者ですわよ?」
「へぇ?そうなのですか?」
「職人がどんなに良いものを作っても、冒険者がどんなに良い素材を採ってきても、あるいは農家がどんなに良い野菜を作ったとしても、品物に価値を見いだして、仕入れ、そして売る者たちがいなければ、誰も売買ができなくなりますもの」
「だとしても、人口の1/4というのは、流石に多くありませんか?」
「例えば、ひとつの商会を考えましょう。外から見れば、商会で働く人は、皆、商人のように見えますわよね?分類上も、皆、商人ですわ?でも、商会の中での仕事はバラバラですの。いわゆる商人らしい営業活動を行う人もいれば、会計のようにお金を数える事を専門にする人もいますし、仕入れに特化した業務に従事する人や、輸送を専門とする人もいるでしょう?」
「なるほど」
とやり取りをしているユーリカを眺めながら、アルティシアは再び考える。
「(……まぁ、近くにノーチェちゃんがいますからね。普段通りの口調で会話するのも無理はありません)」
そう考えている内に、ノーチェはその場を離れていく。友人兼助手のシェリーがやってきたらしい。
そんなノーチェの代わりにユーリカのところに近付いてきたのはグレーテルだ。
「じゃぁ、私も、分類上は商人ってことね?」
「いえ、グレーテル様の場合は、薬屋ですわ?」
「えっ?なんで?」
「商人と、そうでない人たちには、分類するための明確な違いがあるのですわ?」
「違いねぇ……。ユーリカちゃん、分かる?」
「いえ……。今日初めて、商人がたくさんいるというお話を伺ったので、まったく見当も付きません」
「難しい話ではありませんわ?あるお店を考えた時、売るものと、仕入れたものとが同じなら、その店の従業員は商人と分類されますわ?」
「……ということは、私の場合、仕入れが自前で、出ていくものは薬だから、商人じゃなくて薬屋、と?」
「えぇ、その通りです」
「ふーん」
「中々に奥が深いですね……」
というユーリカたちの会話を見て、アルティシアは眉を顰めた。
「(別に、カーチャやグレーテル様の前なら、話し方に気を配る必要はないと思うのですけれど……)」
アルティシアがそんな事を考えていると、彼女の存在に気付いたのか、ユーリカが不意に上を見上げてきた。
「あぁ、アルちゃん」ちーっす
「 」
と、明確に自分と話すときだけ態度が軽くなるユーリカを前に、アルティシアは得も言われぬ気分になる。ちなみに、エカテリーナもグレーテルも、ユーリカの態度には気付いていない。
唯一気付いたことがあるとすれば、ユーリカがアルティシアに掛けた呼びかけが、アルティシア様からアルちゃんに変わっていたことくらいだ。とはいえ、大した事ではなかったためか、2人ともスルーしたようだが。




