2.8-19 科学?17
シェリーたちが科学の力を応用して杖を作ろうとしているその同時刻。
「これが歯車……を作るための機械ですのね」
木下家の別館。そのB1Fにある工房には、真新しい機械が鎮座していた。エカテリーナの言うとおり、歯車を作るための機械である。
基本的な構造は、時計職人たちが使う歯車加工機と同じで、それが単に大きくなっただけだ。とはいえ、単に大きくなると言っても、金属から歯車を削るネジのようなホブカッターは時計用の歯車作成時に使用しているものを使えず、そのほか、材料を移動させるテーブルも、材料を掴むチャックも、既存のものを使えず……。すべてを新造することになったようだ。
そんな歯車加工機の前では、時計職人のエスカが項垂れていた。ここ数日、ずっと働き通しで、動くかどうかも分からない機械を作っていたためか、心も身体も疲れ切ってしまっていたらしい。
「もう無理。この先、半年くらいは、寝て過ごしたいわ……」
「まだスタートラインに立ってすらいないですわ?急ぎの分の特別料金はちゃんと払うのですから、頑張ってくださいまし」
「…………」
元気なエカテリーナとは裏腹に、エスカの表情はやはり暗い。お金の問題ではないようだ。
「あの、エカテリーナ様」
「はい?」
「確かに、"超"が付くほどの大金をいただきましたが、このブレスベルゲンでは使う機会が無いです。何に使えば良いんですか?」
「そうねぇ……家を買ったり、絵画や美術品を集めたり、美味しいお食事を食べるのに人を雇ったり?」
「……家やお食事に関して言えば、ここ以上に優れた場所は、ブレスベルゲンにはありませんよ。それに、絵画や美術品は、そもそもブレスベルゲンでは売っていません。商人に頼めば取り寄せられるとしても、そういった品々を集める趣味はありませんし、探す時間も勿体ないです」
「そう……。ちなみに、どんなものがあれば、お金を使おうと思いますの?」
「加工機械!」どんっ
「……あなた、変態って言われることありません?」
「ウチの業界の人間は、みんな同じような趣味を持っていますよ」
「……職人の業界では、そういったことが流行っている、と……(ある種の病、ですわね……)」
と、何やらブツブツと言いながら、エカテリーナは考え込んだ。なお、その趣味はエスカだけのものであり、ブレスベルゲン全体の職人が似たような趣味を持っているわけではない。……はずだ。
「(たしかに、生きる世界が違えば、趣味趣向だって違ってくるはずですわよね。私たち貴族の嗜みと、職人の嗜みを同じだと考えてはいけませんわね……)」
エカテリーナは、自身の思考の間違いを認めた。その上で考える。
「(エスカの言っていることが正しいとすれば、このブレスベルゲンでは、職人たちの趣味……欲求不満を満たすことができないということになりますわよね。これは町全体の問題ですわ。至急、対処しなければ!)」
そう判断したエカテリーナは、ブレスベルゲンをより良い町にするため、行動することを決める。
「……分かりましたわ」
「えっ?何がですか?」
「このブレスベルゲンをより良い町にしますわね!」すたすた
「えっ?!ちょっ?!あ、あの、話の流れが見えないn——あっ、エカテリーナ様?!」
その場にエスカを置いて、エカテリーナは工房を出て行ってしまった。エカテリーナは何やら勘違いしているようだが、エスカがエカテリーナの勘違いに気付いて指摘する事はできない。
職人という存在は、大体が口下手なのである。全員が全員当てはまる、とまでは言わないが、少なくともエスカは典型的な職人と同じ。何か違和感を感じても、それを指摘するための行動には移れないのだ。
「……ま、いっか。寝よ」
エスカは工房の隣に用意された個室に足を進めた。そこは、一切窓の無い部屋だったが、灯りは魔道具よりも遙かに明るく、キッチンやトイレ、バスルーム(温泉)まで完備されていて、下手なブレスベルゲンの一軒家よりも豪華で広かった。自費で同じ部屋を作ろうとすれば、領主の館が建つレベルの資金が必要になるに違いない。




