5日目-20
「コエダ……様?」
比較的薄暗い教会の中で、恐怖のあまり床にへたり込んでいたシスターシェムは、入り口から入ってきた小枝の姿を見て、ぽつりと小さく彼女の名前を口にした。シェムから見た小枝の姿は逆光に包まれていて……。まるで人ならざる何かがやってきたかのように見えていたようだ。例えるなら——、
「……女神様……だったのですか……?」
——のように。
そんな彼女の言葉が聞こえているのか、いないのか……。小枝はシェムたちから向けられた言葉も視線も仕草も祈りも、一切合切を無視して、伝えたい事だけを口にし始めた。
「……一言だけ言いに来ました。私のことで無理はしないで下さい。私は無力ではありませんから、シェムさん方が心配しなくても——」
……しなくても良い。小枝がそう口にしようとすると、何を思ったのか、シェムが床で正座をして頭を下げ始めた。いわゆる土下座スタイルである。
小枝は、シェムのその様子を見た途端、言葉を途中で無理矢理切り上げて、表情を引きつらせながら短くこう言った。
「じゃぁ、帰ります!」
「あ、あの待って——」
シェムがそう言って頭を上げた時点で、小枝の姿はその場から忽然と消えていたようである。まるで最初からそこにいなかったかのように、だ。シェムは幻を見たのではないかと思いながらも、再びゆっくりと頭を下げた。彼女には、小枝が自分たちの事を救ってくれたのだという確信があったのだろう。
そしてそれは、彼女の隣にいた神父ハザや他の者たちも同じだった。皆、消えた小枝に向かって頭を下げたり、祈りを捧げたり……。思い思いに感謝の気持ちを示していたようだ。
こうしてブレスベルゲンの町における魔女審問官の一件は、一旦の終息を見せ、教会にはしばらくの間、平穏な日常が訪れるのである。そう、しばらくの間は……。
◇
「(あの審問官、根性だけは超一流でした……。全身、蕁麻疹だらけなのに、私に敵意を向け続けるなんて……。まぁ、女神様の絵を見せたら、最終的には撃沈していたみたいですけど)」
審問官のことを重力制御システムで操り、ホログラムで強制的に魔法を放っているように見せかけて、それを女神の絵画が弾いたことにする……。場当たり的ではあったものの、審問官を沈黙させる材料が運良く揃っており、無事に目的を達成出来たこともあって、小枝は今回の一件の結果に満足していたようだ。
ただし——、
「(ですが、姿を見せたのは失敗でしたね。もう少し時間をおいてから訪問すれば良かったように思います)」
——シェムたちに頭を下げられたのは、さすがに想定外だったようだが。
そんな彼女は、意気揚々と、冒険者ギルドへと足を向けていた。300万ゴールドの報酬を貰い、家を借りる気でいたのだ。そう、彼女の目的は、教会関係者を黙らせることではなく、家を借りることなのだ。
「(まったく、世の中おかしいと思うのです。本来の目的を達成するために、余計な課題を乗り越えなければならないというのは、いったいどういうことなのでしょうか?1回ならまだしも、5日連続ですよ?これが運の悪さというものなのでしょうか?)」
小枝は頭の中で、そんな煮え切らない鬱憤に苛まれながらも、冒険者ギルドの扉を潜った。
その瞬間、ブンッ!と何やら老人のゲンコツのようなものが飛んでくるが、最小限の動きで交わしながら、小枝はカウンターへと向かう。
「カトリーヌさん。報酬の換金をお願いします」
小枝がそう口にすると、カトリーヌの返答と同時に——、
「あなた、無事だったの?!」
「ちょっ!クソ娘!ワシのことを無視するでないわ!お前のせいで酷い目に遭ったのだぞ?!」
——今さっき小枝にゲンコツを放ったその持ち主から、威勢の良い声が飛んでくる。
しかし、今の小枝に重要だったのは、カトリーヌのから飛んでくる声の方だったので……。小枝は、後ろにいた老人のことを——、
ズドォォォォン!!
「ぐはっ?!」
——とりあえず、Fランクの掲示板の横に貼り付けておくことにしたようだ。なお、その額に"Gランク"と一瞬で文字を書いたその意図は定かでない。
「……相変わらず容赦ないわね……。でも、あれ、一応前のギルマスで、私のお爺ちゃんなんだから、優しく扱って貰えると助かるんだけど?」
「そうだったのですか?分かりました。善処します」
メキメキッ……
「……なんか、ヤバい音が聞こえた気がするんだけど……」
「そんなことは良いのです、カトリーヌさん。さきほどの薬草の報酬を受け取りにk——」
「あ、そうよ!あなた、大丈夫だったの?あの審問官、コエダ様のことを探して、ギルドの中まで入ってきたのよ?」
「あー、あの方ですか?あの方なら、今頃、騎士団の詰め所にある牢獄の中で、騎士の方々と仲良くやっていると思いますよ?」
「……ホント、一体何やったのよ……」
急転直下という言葉すら生易しく思えるほどに、急激に変化する小枝の状況。それを改めて感じ取ったカトリーヌは、激しい脱力感を感じざるを得なかったようだ。
注:この話は、審問官をどうにかするという話ではなく、ブレスベルゲンで家を借りるという話なのじゃ。




