幼心
黙って髪の毛を梳いてくれる陸彦の優しさに、美玻璃は甘える。
何もするなと言えば、決して美玻璃の嫌がることはしない年上の従兄弟は、美玻璃を大切に慈しんでくれる。
ベッドに横たわって口元に手を遣り、大きな手の心地好さに美玻璃は微睡んでいた。
外は雨が降り出したようで、しとしとと音が聴こえてくる。
(雨………)
こんな雨の日に、美玻璃の先祖である人魚は、陸に上がったのだと聴く。
(なぜ海を離れたんだろう…。地上は怖いことも多いのに)
怖いこと、悲しいことが―――――――。
雨が降る。
美玻璃は瞼を閉じた。
意識が途切れる間際に、ノックの音を聴いた気がした。
はい、と応える陸彦の声も万智人の神経に障ったが、眠る美玻璃の髪を梳く仕草はもっと神経に障った。
ぐ、と拳を握り締める。
左拳の中の固体が皮膚に痛いが構わない。
「美玻璃は眠っているよ」
「じゃあ、僕がついてる。あなたは部屋から出てくれ」
陸彦が肩を竦めた。
「狼に羊の守りを任せろって?出来ない相談だな」
「狼はあなただろう」
「これはこれは」
その時、眠っている美玻璃の唇が動いた。
「…と…」
二人、はっとして美玻璃を見る。
「万智人……待って…」
目を覚ますと、陸彦ではなく万智人がベッド横の椅子に座っていた。
眠る前まで陸彦がベッドに腰掛けていた筈だ。
「万智人。いつからいた?」
「ニ十分くらい前かな」
「何か持ってる?」
「チェコ硝子のビー玉。昔、二人でよく遊んだだろう?」
そう言って万智人は、美玻璃の右手にビー玉を握らせた。
美玻璃の唇が綻ぶ。
「これ…。確か万智人のお父さんの舶来土産」
「うん。美玻璃が飴と間違えて飲み込みそうになった」
「ああ。憶えてる」
その頃はまだ、美玻璃の「美しいもの」への執着は薄かった。
執着が強くなったのは、美玻璃の母である新開夫人が浮気を始めてからだ。
口にこそ出さないが、美玻璃がその事実に深く傷ついたことを万智人は知っている。
美玻璃は、それまでは母のことを大好きと言って憚らなかった。
見知らぬ男と母親が睦み合う現場を、美玻璃は偶然に目撃した。
万智人も一緒だった。
衝撃を受けた横顔。
凍りついた長い睫毛。
(時を遡る魔法があるなら)
万智人は古い記憶の中の美玻璃と、そして今の美玻璃に痛ましさを感じながら望む。
(美玻璃。君に無邪気な幼心を返してやりたい)
けれど人はいつまでも子供のままではいられない。
目隠しするにも限度がある。
だが。
それにしても美玻璃が「子供」の世界から追われるのは早過ぎた、と万智人は思う。
「…どうした?万智人。泣きそうな顔をして」
「僕は泣いてないよ。泣いているのは空だ」
そして美玻璃だ、と万智人は心の内だけでつけ加えた。
雨はまだ当分、止みそうにない。