インクルージョン
今日は邸の裏庭の洞窟に行こう、と美玻璃が言った。
新開家の邸の裏手には森が広がり、その中にはとある洞窟があった。
その洞窟の不思議なるところは、どんな鉱物、宝玉でも大抵の物は採れるところだ。
藍晶石、黄玉、金剛石も紅柱石も。
金の粒などは珍しくもない。
「見なよ、万智人。月長石だ。ここでは久し振りに見たな」
ぴう、と美玻璃が口笛を吹く。
「しかもブルーレインボウだ。こいつは良い。この、結晶軸に放つ青白くも虹のような輝きが私は好きだ」
「インドとスリランカが主要産地の石が、どうしてこの洞窟で採れるのか、僕は不思議だけどね」
「万智人は理屈が好きだな。石には石の気分があったって良いじゃないか。この子たちは気紛れなのさ」
万智人は肩を竦めた。
月長石の隣、足元に落ちていたつるんとしたトルコ石は、まるで淡い青の可憐な勿忘草のようだ。
今日の美玻璃は丁度、トルコ石のような色のシャツを着ている。
万智人は黒いシャツ。
花を摘むようにトルコ石を拾い上げながら、美玻璃が笑みを含んだ声で尋ねる。
「今日も母さんに秋波を送られたかい?」
「………」
「彼女は万智人がお気に入りだからな。まあ、万智人だけじゃないが」
美玻璃は母親を他人行儀に呼ぶ。そして皮肉な内容の台詞をとても朗らかに言ってのける。
「―――――けれどおじさんを愛しているだろう?」
「どうなんだろうな。父さんは仕事で忙しいから。人の心に何があるかなんて、どだい外からは解らないのさ。石が持つ内包物―――――インクルージョンのようにはね。…おや、珍しい。万智人。琥珀があるよ。しかも羽虫入りだ。インクルージョンと言えば普通は結晶や液体のことだが、虫だって含んで良いと思わないか。…ああ、広義では含むんだっけ」
鉱物と違って、樹脂である琥珀は温かみがあって軽い。
「この洞窟をずっと行くと竹林のある古寺に出るんだ。そのあたりまで行けば、琥珀も珍しくはないんだが」
美玻璃が洞窟の奥に目を向けた。
万智人も洞窟の奥を見て、口を開いた。
「…そう言えば何時だったかの園遊会で、美玻璃が穿いた琥珀織りの袴は綺麗だったね」
琥珀織りは絹織物の一種で、縦糸が密に並び、平織りで横畝(小高い連なり)を表した物だ。帯地などにも使用される。
美玻璃が穿いていた袴の、結晶化したような光沢を帯びた精緻な紋様を、万智人は今でも記憶している。
「そんなことがあったっけか」
「あったよ。よく憶えている。美玻璃の全ては」
「思い出した。袴が琥珀織りなら、琥珀の根付も下げれば良かったと思ったんだ。…記憶力の良いことだな、万智人。その執心は万智人のインクルージョンとでも言えそうだな」
「そう言っても過言じゃないね」
「へえ、そう。私の目には残念ながら見えないけどね」
「見せてあげようか?」
万智人が美玻璃に一歩迫り、ざり、と地面が鳴った。
美玻璃は逃げようと臆する自分の心を堪えて、琥珀をぎゅう、と握るとその場に留まる。
万智人の黒いシャツに琥珀の色はよく映える、と思いながら。
控えめだが端整な顔が近づく。少年ということも手伝ってか肌の肌理が細かい。
そして少年にしては色づいた唇。
「私は母さんとは違う」
どん、と美玻璃は万智人の胸を押した。
弾みで琥珀が落ち、ことり、と音を立てる。
「冗談だよ」
「嘘吐き」
「なぜそう断じられる?」
「だって」
「僕は不透明の琥珀。美玻璃に僕の心は見えない」