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銀化

金の櫛、髪を梳きつつ

歌うたうその乙女、

聞ゆるは、くすしく強き

力もつその歌のふし―――――――――


           (ハインリヒ・ハイネ『ローレライ』片山敏彦訳より)



「うん。悪くない」


 ほっそりした親指と人差し指で雫型の、銀化した極彩色のローマングラスビーズを摘まみ上げ、ウィンクするように右目を閉じて新開(しんかい)美玻璃(みはり)は言った。

「お眼鏡に適ったかい?」

 至極、満足そうな少女に確認するまでもないことを如月(きさらぎ)()智人(ちひと)は訊く。

 庭の四阿(あずまや)のテーブルには二人分の紅茶とクッキー。

 クッキーには菫の花の砂糖漬けが乗っている。美玻璃の好物だ。

 緑と金が入り交じった、両耳を越す長さの髪を風に靡かせ、髪と同じ色の少女の瞳に悪戯っぽい光が宿るのは、肯定の証。

「ああ。紀元前20年の世界からようこそ初めまして、だ。この、直径二センチの中に宇宙が凝縮している」

 糊のきいた麻のシャツの(ぼたん)をきっちり留めた、理知的な風貌の万智人は苦笑した。

 似たような恰好の、こちらは紺色のシャツの、少女の好事家振りはよく承知しているが。

「どうして紀元前20年の物と限定して特定出来るんだい。ローマングラスを産んだローマ帝国時代は紀元前27年から紀元後395年までと幅があるんだろう?」

 美玻璃が軽やかに笑った。

「この子がそう言っているからね」

「買い取るの?」

「勿論」

 少女の言動の不思議は今に始まったことではないので、万智人は受け流した。

「私は美しいものが好きだ。美しさは、裏切らない」

 美玻璃のこの台詞には、万智人はやや眉根を寄せた。

 完璧な青空が翳るように。

 だが何も言わず、両手を膝の上で組んだだけだった。

 四阿の大理石の柱には藤の枝が絡まり、芳香漂わす花々に蜂を含めた虫が飛び交うのを危ぶむように眺めて、自分の内心を隠した。


 旧華族である新開家の令嬢は奇人変人、と町では有名だ。

 そして風変りな髪と目の色、ある特技から人魚―――――セイレーンの末裔とも呼ばれている。

 親同士の交流もあり、万智人は物心ついてよりこのセイレーンの従者のような存在だ。


 今年で万智人と同年・十七になるが学校にも通わず家庭教師に勉学を習い、父親から骨董の手解きを受けた美玻璃は、自らの好む美品・珍品を蒐集するようになった。この道では目利きであるとも評判だ。

 特に彼女は、蜻蛉(とんぼ)(だま)の蒐集に熱心だった。


「美しいものは私を裏切らない」


 それが美玻璃の口癖だった。

 だが彼女は蒐集品を人に誤って破損させられても、怒ることはない。

 悲しげな面持ちでその「死」を悼むだけだ。

 自分を裏切らない美が、例え刹那でも傍に在ってくれたならそれで良い。

 美に傾ける情熱に反して、少女の内にある諦観と孤独を、万智人は早くから悟っていた。


「銀化という状態はね。万智人。安易に人工的に生み出せるものじゃない。ただ、長い長い時と、硝子成分と鉄・銅・マグネシウムとの化学変化。いくつもの条件が重なった風化現象によって生じる光の乱反射だ。見なよ、この虹にも似た輝きを。………歳経た尊さを教えてくれるじゃないか」


 星の煌めきにも似た硝子が、美玻璃の掌できらきら光っている。

 青を基調として、碧に金にピンク紫に。


「三輪山の伯父様が亡くなった」


 美玻璃が立ち上がり、不意にそう告げた。


「…そうか。葬儀はいつ?」


「先々週。春霞がまだ滞留していたようで、昼間なのに空気が朧だった。伯父様は永の年月に洗われた、巌のような魂の持ち主でいらっしゃったが…。私はまた一人、理解者を亡くしたよ。万智人」


「………」


「同じ歳月に洗われても、銀化する人間は少ないな」


「美玻璃。余所では慎むべき発言だよ。角が立つ」


「解っているさ。万智人相手だから言うんだ」


「君自身がいつか、銀化すれば良い。なれるよ。君なら…」


 万智人の促す声に、美玻璃の表情が制止した。


「―――――そうだね。私がそのくらい、長生きすれば」


「…するよ」


 万智人の静かな、願望が籠められた断言には答えず、美玻璃は深く息を吸い込むと、外国の鎮魂歌(レクイエム)を歌った。


 細く高く澄んで、大きくはないのに聴く者の心を蕩かせ、溺れさせるような歌声があたり一帯に響き渡った。

 深海に招くような声。




挿絵(By みてみん)










画像は実際の銀化ローマングラスです。

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