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桜花潮流  作者: 菅 承太郎
6/6

麗人の警告

現在文字校正、文体校正中…

 大学からおよそ三十分走ると、住宅街の外れに古いが大きな一軒家が見えた。歴史のある旧家のようだ。良子の案内で愛車フェラーリを家の敷地内に駐車して玄関に入る。出迎えたのはお手伝いの中年女性だ。

「お嬢様、お帰りなさい。今日は早いんですね」

「ただいま。おじいちゃんは?」

「奥にいらっしゃいます。田中さんと一緒です。お客様です…か」

良子が連れて帰った人影を見て、お手伝いの女性は一瞬で魂を持っていかれた。

「弁護士さんで、大学の臨時講師の本郷先生よ。上がってもらうから」

「お邪魔します」「失礼します」法司と白兎はそれぞれ挨拶し、家に上がった。「こちらです」と直接良子が案内する。お手伝いさんはぼう然のまま放置だ。

 祖父と孫の二人暮らしをするには広すぎる家だった。小渕登の私室へは到着するのに四十秒は掛かった。

「おじいちゃん、ちょっといい?」良子が障子戸越しに声を掛けて、開けた。

「良子や、早かったな。午後の授業はどうした?」

「早退してきちゃった。おじいちゃん、私のせいで…。ごめんなさい」

「なーに。悪気があったわけじゃない。おじいちゃんのためを思ってやってくれたんだ。気にするな」

 良子は頷くも顔は暗いままだ。そして秘書の田中を向き直った。

「田中さん、今日は弁護士さんを連れてきました。話を聞かせてあげてください」

「弁護士?」田中がそう言うと、障子の影から法司が現れた。

「失礼する」軽く会釈をした法司は部屋に入って小渕と田中に挨拶した。

「本郷法司と申します。この度はお孫さんの依頼で、大学の教授の更迭を阻止するお手伝いをいたします。そちらの事件と連動していますので参考情報としてお話を伺いたい」

 突然の美しい訪問者に小渕も田中も声が出ず、しばらく返事が返ってこなかった。良子が声を掛けてようやく反応があった。ただし二人の反応は絶世の美しさを目の当たりにしたこと以外にも理由があった。

「ほ、本郷…さん。紫水神宮舞師代行の…。直接お会いできて光栄です。しかし何故うちの孫とご縁が…」小渕は立ち上がって深々と頭を下げた。田中もそれに倣う。

「え!どういうこと?」良子は祖父と秘書の反応に戸惑った。

「良子や、このお方はさる神宮の神事奉納舞の舞師で、我々政治家にとっては神にも等しいお人だ。世の中の政治家、いや政治家だけではない。経済界の大物や大企業の重役らは大事の前には必ずこの方の神宮を参拝して、必勝祈願をするという。私も以前参拝して、あなたの奉納舞を拝見いたしました。あの神々しさと美しさは今でも忘れることはできません」

 小渕は言い終わりには目を閉じて、本郷法司の舞う姿を瞼の裏に描いていた。

「うそ。ただのイケメン弁護士さんじゃないのね」良子は法司を改めてまじまじと見て二度驚いた。

「どうぞ、お座りください」田中が座布団を差し出して、法司と白兎は落ち着いた。

「ところで、孫の大学の教授が更迭されると仰いましたが、どういうことでしょうか」

「実は、良子さんが学内の掲示板に貼り出したポスターですが、その掲示の許可を出したのは法学部教授の小泉氏でした。彼には大学側から公職選挙法違反の咎を誘発した責任が問われています」

「何と…。本当か良子?」

「うん…」

「それで、そちら側が検察に立件される前に、今のあなたの状況を聞いておこうと思いましてお伺いしました」

 法司がここまで言うと障子が開き、お手伝いさんがお茶を運んできた。

「こちらはこれから警察が来て先生に任意出頭を求めるそうです。しかしこちら側は過失を認めて起訴となったとしても、大学内の処分についてはどうしようもありません」

「その通りです。ところで小渕さんの弁護士は何と言っているのです」法司は「頂きます」と言って湯飲みのお茶を口に運んで訊いた。

「お嬢さんの行為は結果的に法令違反となったとしても、善意で行なったものですから情状酌量になるのではないかと言っています」田中が答えた。

 法律の世界では、罪になることを知らなかった、またはある契約について当事者の間で契約に瑕疵があった場合に、それを知りえずに第三者として当事者に加わって契約する事を善意と称し、逆を悪意と称する。

「であればそちらはひとまず安心です。ですが不起訴となってもマスコミが嗅ぎつければそれは大変なスキャンダルになるでしょう」

「まだ、マスコミは動いていないようです。何とか秘密裏に検察の取調べを受けたいところです」田中が朝刊を確認しながら言った。

「ところで小渕良子さん。そのポスターの原稿を見せてもらってもいいだろうか」法司が願った。

「はい、ちょっと待って下さい」そう言うと良子は席を立ち、程無く片手に筒状のものを持って帰ってきて、法司に手渡した。

 法司は筒を広げ、ポスターの原稿を見た。

「確かに原稿には小渕さんの名前は無い。出来上がったポスターはあるかな」

「ここにはありません。大学が全部回収しましたから」

「名前を紹介のコピーとして掲載するのは、そのポスターの作成を頼んだ友人が考案したそうだが、その人に話を聞けるだろうか」

「はい、連絡を取ってみます」良子がそう答えたとき、再びお手伝いさんがやってきた。

「旦那様、警察の方がお見えです」

「来たか」田中がそう言って席を立ち、対応しようとした。

「田中、私も一緒に出よう」

小渕がそう言って田中に同行し玄関で警察を出迎えた。玄関先には十人ほどのスーツを着た捜査員が訪れていた。政治家の犯罪は特捜部の管轄だ。一般の刑事も応援として数人混ざっているがおそらく殆どが地検特捜部の捜査員だろう。

「ご苦労様です」と殊勝な態度で小渕は挨拶した。

「小渕登さん、あなたには公職選挙法違反の罪で任意同行を求めます。応じていただけますか」捜査員の一人が前に出て小渕に告げた。彼は狼のような目をしている。その目が玄関の奥に見える麗人の人影を認め、不意に驚きを見せた。

「法司、お前何故ここにいる」

「やあ伊達君、しばらく…。元気そうだ。この街に配属になったんだね」

 法司は伊達を懐かしい友人を見る目ではなく、恋慕のそれで見た。

「その目を止めろ。ところで本当に何故いる」

「ちょっとそっちの件と絡んでこっちに依頼があった。今日は検察の動きを確認する意味もあってお邪魔している」

「まさか、この件の弁護に就く気か」

「小渕氏には顧問の弁護士がいる。私は別件だ」

「そうか。もし法廷で会うようならやりにくくて適わん」伊達はそう言うと小渕を覆面パトカーに誘導した。

「伊達君、どうかお手柔らかに」

「…分かっている」

 小渕を乗せた車両はサイレンを鳴らさずに走り去り、その後に他の車両も続いてすぐに見えなくなった。

「本郷さん、あの刑事さんとお知り合いですか?」田中が法司に訊いた。

「田中さん、彼は刑事ではなく検察官です。彼と私は柊塾という法律家を育てる私塾の卒業生で同期です。本件は彼に任せておけば心配ありません。皆さんがこの街で暮らすに当ってまた一人心強い法曹の徒がやってきてくれました」

「法司様、本当にそれだけですかぁ?」と白兎が目を細めて疑った。

「今の法司様の台詞、少し感情が入ってましたよ。そんな法司様は初めて見ました」

「…白兎。余計なことは言わなくてよろしい。しかしこの件どうも何かがおかしい。検察の動きが早すぎる。おそらく誰かがリークしたな。一見容易く決着しそうな事件だが…」

 法司は改めて良子と田中を向き直った。

「良子君。私は大学の臨時講師だ。これから君の事をこう呼ばせてもらおう。そしてこれからそのポスターを作製した人物に会う。田中さんはこれから小渕さんの後を追って警察へ行かれるのでしょう。何かあればこちらにも情報を共有いただけたら助かります」

「分かりました」

 良子と田中は返事をして、それぞれの行動に移った。法司と良子と白兎は再び愛車フェラーリに乗って小渕家を後にしたのだった。



 良子は、法司のフェラーリに乗って大学方面へと走りながら、野中流星の携帯に電話をかけていた。

「本郷先生、やっぱり駄目です。繋がりません」

「その野中流星という彼は大学の生徒か。であれば今は大学にいるのでは?」

「彼は夜学の生徒です。昼間は広告代理店でアルバイトとして働いています」

「なるほど。ではその広告代理店へ直接行ってみよう。広告代理店の名前が分かるかな」

「えっと確かポスターの納品書が…」良子は財布の中身を探って四つ折にした紙を取り出し、広告代理店の名前を確認した。

「福博堂株式会社。住所は天満中央五丁目です」

「電話番号も記載があるな。よし今からかけて彼が在籍しているか確かめよう」

 法司はそう言うと携帯を使って、福博堂に電話をかけた。

「はい、福博堂でございます」事務らしき女性が応対した。

「本郷と申します。そちらでアルバイトをしている野中流星君は本日出社しておりますでしょうか」

「確認いたします。簡単にどのようなご用件か教えていただけますか」

「私は彼の債権について相談を受けている弁護士です。お仕事中申し訳ありませんが、至急の用件です」

「少々お待ちください」通話は保留にされ、約二分で回答があった。

「申し訳ありません。野中は本日付で会社を退職しております。もしよろしければ野中の個人の連絡先へおかけください」

「…そうですか。分かりました、そうしてみます」

 法司はそれだけ話すと簡単に引き下がって電話を終わり、何かを思考した。

「良子君、彼は今日付けで会社を退職していた」

「え?彼からは何も聞いていませんでした」

「そうか」

「どういうことでしょうか」

「確信した。何かあるな。白兎、大学へ向かって欲しい」

「分かりました」

 福博大へ到着した法司は、大学の事務室へ行き学長への面会を求めた。弁護士を名乗り公職選挙法に絡んでの用件として伝えたからか、すぐに面会に応じる旨の返事があった。

 学長室ではなく、大学の一般応接室へ通された三人は、それぞれソファーに腰掛けて待っていた。窓から見えるキャンパスではサークルの活動が盛んに行なわれているのが見えた。

「懐かしい光景だ」法司は自分の大学時代を思い出して…いるかどうかは分からない。その口調は淡々としている。

 五分程でドアが開き、学長の谷垣と顧問弁護士の藪田が入ってきた。

「初めまして。弁護士の本郷法司です。ご存知でしょうがこの大学の生徒でここにいる小渕良子さんの依頼でやってきました」

「これは本郷先生。理事長の願いで本校の臨時講師をやっていただいていると聞いております。こちらこそお世話になります。こちらは本校の顧問弁護士をしていただいている藪田弁護士です」

「どうも藪田です」そう言うと名刺を出し挨拶した。

「それで、具体的にどのようなお話でしょう」谷垣が笑顔を保って法司に切り出した。

「はい。実は例の事件で法学部の教授が更迭される可能性があると伺いました。現在までその可能性はどの程度のものかを伺いたい」

「それは何とも言えません。処分は理事会が決めます。何せ学内の問題だけでなく、社会的に影響が大きいですからな」

「しかし、今回の違反においては良子君たちの行為は善意であって、小渕登氏は不起訴になる可能性が高い。であれば世の中には逆に美談として受け止められ、社会的影響は無いと思われるのではないでしょうか」

「個人的には私もそう思います。しかし理事会がどのように判断するかは不明です」

「…なるほど。ところで査問はいつです」

「本郷先生、それは学内の情報ですから学長に答える義務はありません」藪田が横から口を出した。

「あなたも弁護士なら大学内の処分等については、それらが一般社会通念上の罰則規定の例外にある事をご存知でしょう。いわゆる大学の自治の問題です」

 わが国の最高法規日本国憲法では第二十三条に学問の自由は、これを保障するとされている。有名な判例ではポポロ劇団事件があり、これを例として学内の自治は学内の運営にこれをゆだね、外部勢力の干渉はしないというのが司法の通説だ。外部勢力の干渉を許せば大学の研修の自由が阻害され、将来的な優秀な人材が育ちにくく結果として国力が削がれる事になる。

 藪田はいやらしい笑みを浮かべて法司を見ると、勝ち誇った様子でふんぞり返った。

「では、くだんの回収したポスターを拝見できますか」藪田を無視して法司は谷垣に願った。

「…その位はいいでしょう」内線電話で事務の者に指示して、ポスターを持って来させた。

 法司はポスターを確認した。

「どうやら小渕良子君のあなたへの依頼は、小泉教授の更迭の阻止にあるようですが、弁護士の先生が間に入ったとしてもどうにもならんでしょう。残念ですが理事会の判断をお待ちになってください」

「…ところで、このポスターを作った夜学の生徒野中流星に連絡がつかなくなっています。アルバイト先も退職しているようです。彼の自宅の住所を開示していただくわけにはいきませんか」

「申し訳ない。守秘義務があるのでお断りします」

「そうですか。分かりました。それでは我々はこれで失礼します」

 法司はそう言うと席を立ち、一礼して部屋を後にしようとした。その足が不意に止まった。

「薮田先生」法司は藪田を向き直って歩み寄り、顔を近づけ静かに告げた。

「菅承太郎に裁判で敗れ、その上でまだ悪徳の道を行く。法律家の本来の目的を見失ってまでこの世に何を望む…。この事件の裏にお前たちの企みが潜み、その犠牲になる者がいるのならば、この柊塾一期生の本郷法司が決して許しはしない。その事を忘れるな…」

 谷垣には聞き取れないほどの小さな声だったが、藪田の耳にはしっかりと聞こえる芯の通った警告だった。藪田はたちまち目を見開き、驚きの表情をして一筋の汗をかいた。

 法司たちが応接室を去った後、ドサっとソファーに座り込んだ藪田を見て、谷垣が訊いた。

「藪田先生、大丈夫ですか。それにしてもあの弁護士の美しさは…、本当に人だろうか。それで彼はあなたに何を言ったのです」

「ヤツは…。柊塾の出身だったのか…。学長、この先彼の動きには十分注意してください。彼を侮ることは命取りになります」

 藪田の脳裏には、とあるデパートの事件の裁判で、敗北した記憶がはっきりと甦っていた。

 谷垣には藪田の反応の理由が今ひとつよく理解できなかったが、今後の策謀の障害になる予感がしたのは間違いなかった。

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