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桜花潮流  作者: 菅 承太郎
3/6

良子の恋

ただいま文字校正中、文体校正中…

 良子は深呼吸を一度して、ゆっくりと息を吐き出し勇気を出して教授室のドアをノックした。

「入りなさい」とすぐに返事があった。

「失礼します」と一声掛けて良子は中に入った。法学部教授の小泉の部屋だ。

 部屋へ入ると古い本棚が左右に並び、その棚には六法全書の他に判例全集などがびっしり納められ、ちょっとした図書館を思わせる部屋だった。

奥の木製の机には小泉が椅子に腰掛け、何か調べ物をしているらしい様子が覗えた。

「あの、先生。実はお願いがあって来ました」

 良子の顔を見た小泉は開いていた本に栞を挟んで閉じ、机の袖机に仕舞った。

「何だろうか…」問いかけた小泉の眼差しは優しかった。

「私、政治のことに興味があって、それで今の世の中に憂いを感じています。若い人たちは選挙権があっても投票に行かない、それでいいのでしょうか」

 良子は表面的な理由を説明し出した。

「君、私の専門は法律だ。政治学ではないよ」

「分かっています。でも聞いてください。私が大学に入って法律を学ぼうとしているのは、世の中を少しでも知って何が正しいかを判断するためですが、一方で若い人たちが自分たちの力で将来を選んでいけるように警鐘を鳴らす役割を担えたらいいなとも思って、まず法律を勉強しようと考えました」

「それで君は、将来どんな職業に就こうとしているのかね?」

「それはまだ分かりません。でも選挙権の無い私にも出来ることはあると思うんです」

「話がよく見えないな…。結局私に頼みたい事とは?」

「はい。これを見てください」

 良子は手に持った紙の筒を開き小泉に手渡した。そこには『みんな選挙へ行こう』と表題されていた。つまりは選挙参加啓蒙のポスターだ。まだ下書きの段階である。

「これを学内の掲示板に貼り出させて欲しいんです。それも出来るだけたくさんの場所に…」

「市議会議員選のポスターだね。どうして市議会議員なのか…」

「それは、あの…」良子は痛いところを突かれて口ごもった。

 その様子を見て、小泉はふっと笑った。

「小渕良子君、君が弁護士になるとしたらもう少し弁論の練習が必要だ。君のおじいさまが市議会議員の小渕登さんであることは知っていたよ。これは君なりのおじいさん孝行という奴かな?」

 小泉の指摘に驚いた良子は、自分の事を知っていてくれたこと半分、口先だけのこじ付けを見破られたこと半分で顔が真っ赤になった。

「…実はそうなんです」観念した良子は素直に白状した。

「私のおじちゃんは、最近若い人たちの投票率が下がっていることに落胆してます。小渕登という政治家は、私が言うのも何ですが立派な仕事をしています。ですからもっと若い人たちにもおじいちゃんを知ってほしいし、他の候補の人たちに対してもその目でしっかりと見極めて自分の意思で選んで欲しいんです。そうしないとみんなの代表としてがんばってる人たちが報われないような気がして…」

 良子の言葉は次第に熱を帯び、真摯な訴えに変わっていた。

「君は法律家よりも、政治家に向いているような気がするよ。血は争えないと言ったところかな」

 小泉は頷きながら、ほほえましい目で良子に応じた。そしてポスターの下書きを改めて確認して言った。

「…この内容ならば問題無いだろう。大学の事務の者には連絡しておくから、キャンパスの掲示板で空いているところに貼りなさい」

 立候補者の名前はどこにも記載が無い。有れば公職選挙法に抵触して問題になるところだ。

「本当ですか!やった。うれしい」良子は素直に喜びを表現して飛び上がった。

「ただし、選挙が終わったら撤去する事を忘れないようにしなさい」

「分かってます!」そう言って良子は小泉を向き直った。

「先生ありがとうございます。先生は亡くなった父によく似てるんです。見た目も雰囲気も…。時々遊びに来てもいいですか?」

「授業の質問ならいつでも歓迎しよう。でも留守にしていることも多いので、その時は後藤田先生のところへ行くといい」

 小泉は乙女心の分からない朴念仁の台詞を良子に言い、故に良子がすねても理由は分からない。

「もう…。まあいいや。とにかくありがとうございました」

 良子は再び礼を言ってお辞儀をし、教授室を後にしたのだった。

 そのドアの影で、一連の話を聞いていた後藤田の姿があったが、良子も小泉もその存在には気がつかなかった。



 大学の廊下で良子に声を掛けてきたのは、夜間部の野中流星だった。

「よ、小渕。何か良いことあった?やけに嬉しそうじゃん」

「あ、野中君。ちょっとねー。ところで今日はアルバイト休みなの?」

 さっき小泉からポスター掲示の許可をもらえた良子は、とても機嫌が良かった。

「そう、今日は休み」

「すみれと待ち合わせ?」流星と、元ミス晴欄校の駒鳥すみれは幼馴染で恋人同士だ。

「ああ、そんなとこ」

「いいなあ。私もカレシがいたら」

「……」流星は何か考えている風だ。

「でも私の恋は叶わないな…」良子が上機嫌から一転、寂しげな目になった。

「誰か好きなヤツでもいるの?」流星が訊いた。

「…実は小泉先生」

「え!嘘?マジ?」

「亡くなったお父さんに似てて、それにとっても優しいんだ」

 短い時間の中で小泉は良子の思慕の相手となっていた。青春はいつでもジェットコースターだ。

「相手は大学教授で、地位も名誉も家庭もある。止めときなって」

 流星は正論を言ったが、良子の目はすでにハートである。

「でもいいんだ。それでもいい。私が勝手に思ってれば」

「ところで、その手に持ってるの何?」

 流星は良子の持ったポスターを指差した。

「あ、そうだ。丁度良かった。野中君のバイト先って印刷関係だったよね。このポスター作ってもらうこと出来ないかな?お金はちゃんと払います。自分で作ろうにも私パソコンが苦手で…。どうせならちゃんとしたものがいいなと思ってね」

 流星は、ポスターを広げてしばらく内容をしげしげと見つめていたが、二、三度首を立てに振って良子に言った。

「いいよ。この程度のものならすぐに出来ると思う。いつまでに欲しい?」

「出来るだけ早く」

「分かった。じゃあ、今日入稿して明後日には出来ると思う」

「助かる。枚数は二十枚くらい」

 流星はポスターを丸めてそのまま受け取った。

「…小渕、よかったら俺と付き合わないか」

「え?」流星からの唐突な告白だった。良子は驚いて目をぱちくりさせた。

「でも野中君には、すみれがいるじゃない」

「すみれとは幼馴染から始まったからな。いまいちときめきってものが薄いような…」

 流星は、将来政治家になる野望に燃え、そのためには政治家の孫である良子に近づくことが早道だと思っていたが、そのことは胸に秘めて良子には告げなかったのである。

「残念。私カノジョのいる人とは付き合わない。他を当って」

 正義感の強い良子は、流星の告白が何か良くないもののように感じて、流星を袖にした。

「…そうか。でも俺は諦めないぜ」

 流星の言葉に良子が戸惑ったとき、すみれが現れた。

「ちょっと!流星。良子と何を話してるの」

 良子と流星の様子を少し前から見ていたすみれは、二人のただならぬ雰囲気を察知して般若の形相で割って入る。そして流星の腕を掴んでどこかへ連れて行こうとした足がぴたりと止まってすみれの目が良子を見た。

「今後流星には近づかないで!」

「私は別に…」すみれの理不尽な言い方に、反論しようとした良子だったが、すみれの気迫に気おされてその後は何も言えなかった。三人はその場で別れて若干の修羅場は終わりを告げたが、建物の影から様子を覗う人影があった。

「いいネタが向こうから転がり込んできたな」

 後藤田は呟き、そのままどこかに電話をかけた。神聖な学問の学び舎に、何か黒い陰謀がひたひたと足音を立てて近づいて来る気配があった。

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