サーバー25
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「……」
一寸の塵もない無機質な廊下を、一人の青年が歩いている。
あの餓死に怯え続けていた、青年だ。
すれ違う人もまた彼を直視しない。
興味が無いのか、それとも近づきがたいのか。答えは前者。
必要以上の関わりを持たないこの場所こそ仮想空間「W2T2」を作った「ユーゴ」であった。
心なしか表情も感情に乏しい青年は何処にでもいる様な普通の容姿をしているが周囲とは異なる点がいくつかあった。
まずは服装のラフさ。シャツにジーパン。他の人間はスーツ姿だと言うのに彼だけはその辺にいる若者と大して変わらなかった。
髪の毛だってそう、ぼさぼさで手入れをしている様には見えない。整髪剤を使う柄でもなさそうだが、ユーゴにそんな人物が居る事自体違和感を持つべきなのに誰も話しかけてこない。
ただ共通する事と言えば、右手の人差し指にユーゴの人間を示す「指輪」がはめられていた位。
これだけ周囲の人間がお互い興味を持たなければ、どこかでこの指輪を手に入れてそれだけが証明だとして
ユーゴに侵入する事も不可能ではないのかもしれないが、T2W2を作っただけの事はある。
それ以外にも彼がユーゴの人間だと証明するセキュリティシステムは十分に搭載されていた。
だから彼が周囲と一味違っていても、彼をユーゴの人間だと知って疑わない。
そんな彼がエレベーターを利用し最上階まで移動して、とある一室の受付までたどり着くのに何の障害も無かった。
受付嬢も彼を一目見ただけで理解し、奥へと案内する。
「どうぞ、こちらにお待ちいただいております」
「……」
―カチャ
中へ案内されて入ったその部屋はサポートルームと呼ばれ、数人の人物が何も喋らず頭部にヘッドコンタクトと呼ばれる
T2W2へとログインする為の装置を付けている。
彼らは戦争に出かけているのではない。あくまでも中立的立場でありT2W2間の異常を修復またはサポートする立場にある存在なのだ。
それ故に彼らの殺傷はオンライン中認められない。
もし誤って彼らを傷つけた場合、ペナルティが課せられる。
そこには彼の食事を見守っていたグリオスが既に待機していた。
「やあ、心の準備は良いかい」
「……」
あれから青年は一旦自分の家に戻った。
そして貯蔵していた食料を全て食べた。
戻ってこれない、そう思っての最後の晩餐は胃が追いつかず吐き戻し、ずさんなまま部屋を後にした。
そのせいか顔色が悪い。だがグリオスはそうする事も分かっていたようで気づかいをしていたが、青年は不要だとその差しのべられた手を振り払った。
「……どうすれば良いんだ」
ようやく青年が喋った。
まるで死地を見ているかのようで、目がどんよりと濁っている。
ここはSDS本部。中立者と呼ばれるデバックテスターが各々のサーバーで不具合管理などを務めている場所だ。
カプセルのようなものがずらっと並び、数えて7つ。それぞれに名前が記されているが……青年は気にも留めない。
「……ここではコードネームを使ってもらう。君は最近ロストしてしまったSDSのメンバーの名前を引き継いで……」
「ゼロ……」
「ん?ゼロ?」
「それ位は自由にさせてくれ」
青年は自分のコードネームをゼロと決めていた。
悲嘆にくれての行動か、暫く考えて自分がもしロストしたらと言う事しか考えない。
だから0になると言う意味で、ネームをゼロと決めた。
「……分かった。まあ無理を言っているのは私の方だ、本当はgulaとつけようとしたが……」
「……」
「まあとりあえずこのログを見てくれ。話はそれからだ。ほら……ここ数か月間謎のロスト現象が起こっている」
青年はただ見ているだけだった。
その一部になるかもしれないログだけを見て。
だがどこかで期待を持っていた、それは餓死と言う恐怖から解放されると言う事。
痛みのない死は彼が今まで持っていた呪縛から解き放たれる事なのかもしれない。
ロスト。それはユーザーの死を意味し、現実世界においても最悪の場合脳死や完全な死に直結する危険な状態。
そのシステムを作ったのもこのユーゴの人間だ。だが大きく言えばそのシステムを要求したのは政府だ。いや、戦争を続けている各国だ。
生ぬるいゲーム感覚で戦争をされても今後育つ人間はろくなものじゃない。死と言うリセットの利かないシステムがあってこそ本気で人間は戦おうとする。
だが実際その思想とは裏腹に生ぬるい人間が仕上っているのも、現実だ。
「…これを調査しているけど掴めないって事か」
「ちなみに今別の人間がサーバー25の一般ユーザーをログインさせないように制限かけている」
「それは安心だな……どうなるか分からねえけど」
青年はモニターから目を離し、SDSの開いたブースのカプセルに入りヘッドコンタクトを手にした。
そしてグリオスの言われた通り器用に手続きを済ませ、彼はW2T2へとログインする。
「cord:ゼロ。W2T2のログインを開始する」
「健闘を祈る」
「生きて帰ったら……腹いっぱい食う」
―結局、彼がゼロという名前だと言う事位しか分からなかった。
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