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矛盾したことわざ

作者: TOMMY
掲載日:2026/09/06

日本には、八百万のことわざがある。


もちろん、本当に数えたわけではない。


けれど、そう言いたくなるほど、ことわざは私たちの身近なところに溢れている。


昔から、人生に迷ったとき、人はことわざを口にしてきた。


「三度目の正直」


二度失敗しても、三度目には成功する。

そういう意味のことわざだ。

ところが、それとは反対のようなことわざもある。


「二度あることは三度ある」


二度起きたことは、三度目も起こる。


三度目は成功するのか。

それとも、また同じことが起こるのか。


どちらも昔から使われてきた、有名なことわざである。

一見すると、矛盾している。


ことわざには、こうした組み合わせが意外と多い。


例えば、

「果報は寝て待て」

という言葉がある。


良い知らせは、焦らず待ったほうがいい。

そんな意味のことわざだ。


ところが、

「思い立ったが吉日」

という言葉もある。


思いついたのなら、すぐに行動したほうがいい。


待つのか。

それとも、すぐに動くのか。

これも正反対に見える。


しかし、試験を受け終わったあとなら、「果報は寝て待て」と言える。

もう自分にできることがないのなら、結果を待つしかない。


反対に、まだ何も始めていないのなら、「思い立ったが吉日」だ。

今から始めなければ、何も変わらない。


つまり、同じ人間でも、その置かれている状況によって必要な言葉は変わる。


「善は急げ」と「急がば回れ」もそうだ。

急ぐのか、回るのか。


善いことを思いついたのなら、ためらわずに行動する。


それが「善は急げ」。


けれど、目的地へ急ぐあまり危険な近道を選べば、かえって時間がかかることもある。


そんなときには、「急がば回れ」。


急いでいるからこそ、遠回りをする。

一見すると矛盾している。


けれど、目的を早く達成するためなら、遠回りが最も近い道になることもある。


そう考えると、ことわざは必ずしも「いつでも使える答え」ではない。


その人がどこにいて、何をしようとしているのか。

そこまで考えて、初めて意味を持つ言葉なのかもしれない。


では、冒頭の「三度目の正直」と「二度あることは三度ある」はどうだろう。


この二つは、もっと難しい。


どちらも、二度起きたことのあとに来る三度目について語っている。


「果報は寝て待て」と「思い立ったが吉日」のように、状況そのものが違うという説明だけでは済ませにくい。


三度目は、成功するのか。

それとも、同じことが繰り返されるのか。

その本質を読み解くにはコツがいる。


例えば、二人の受験生がいたとする。

二人とも、二度試験に落ちている。


一人目は、二度とも真面目に勉強していた。

それでも、本番になると緊張してしまい、実力を出し切れなかった。

三度目の試験を前にして、その人が言う。


「今度こそ、三度目の正直だ」


これは、なんとなく納得できる。


一方、もう一人は、二度ともろくに勉強していなかった。


試験が終わるたびに、

「次は本気を出す」

と言いながら、結局何も変わらない。


そんな人が三度目の試験を前にしていたら、


「二度あることは三度ある」

と言いたくなる。


けれど、ここで一つの疑問が残る。

二人とも二度失敗している。


それなのに、なぜ一人には「三度目の正直」で、もう一人には「二度あることは三度ある」のだろう。


単に、運が良いか悪いかの違いなのだろうか。

三度目という数字そのものに、何か特別な力があるのだろうか。


──私は、そうではないと思う。

重要なのは、二度の失敗そのものではない。


その二度の失敗を経験したあとに、何が変わったのか。

そこに違いがあるのではないだろうか。


一人目は、二度の失敗から原因を考えた。

緊張してしまうのなら、本番を想定した練習をする。

時間配分に問題があったのなら、何度も過去問を解いてみる。


二度目までと同じことを繰り返すのではなく、失敗から何かを変えようとした。


だから三度目には、

「三度目の正直」

という言葉が似合う。


一方、もう一人はどうだろう。

二度失敗しても、何も変えなかった。


失敗を振り返らず、同じように試験を受け、同じように失敗する。

それなら、三度目にも同じことが起きる可能性は高い。


だから、

「二度あることは三度ある」

という言葉が似合う。


つまり、この二つのことわざは、未来を予言しているのではない。


「三度目は必ず成功する」と言っているわけでもなければ、「三度目も必ず失敗する」と言っているわけでもない。


過去の二回をどう受け止めたのか。

そこから何を変えたのか。

それによって、同じ三度目でも意味が変わるのだ。


そう考えると、ことわざは不思議なものだ。


「待て」と言うものがあれば、「動け」と言うものもある。


「急げ」と言うものがあれば、「回れ」と言うものもある。


もし人生に一つだけ正しい生き方があるのなら、こんなに多くのことわざは必要なかったのではないだろうか。


ことわざは、答えそのものではない。

その言葉を自分の状況に当てはめたとき、何を考えるべきなのかを教えてくれる。


そういえば、最初に私はこう書いた。

日本には、八百万のことわざがある。


八百万という言葉は、昔から、数え切れないほど多くのものを表すために使われてきた。


八百万の神々。

山にも、川にも、木にも、岩にも、あらゆるところに神が宿るという考え方だ。


ことわざも、それに少し似ているのかもしれない。


人生には、あらゆる状況がある。

同じ失敗でも、そこに至るまでの過程は違う。


同じ「待つ」という行為でも、ただ何もしない人と、やるべきことをすべて終えて結果を待っている人では意味が違う。


同じ「三度目」でも、二度の失敗から何かを学んだ人と、何も変えなかった人では、その三度目に向けられる言葉が違う。


だから、「三度目の正直」と「二度あることは三度ある」は矛盾しているようで、実はどちらも人間の経験を語っている。


一つの言葉だけでは、人生のすべてを語ることはできない。


だから、たくさんの言葉が必要になる。


八百万の神が、あらゆる場所に宿るように。

八百万のことわざも、あらゆる人生の中に宿っている。


だから、ことわざに一つの答えを求める必要はない。

その言葉をきっかけに、自分だけの答えを探せばいい。


ことわざは、

八百万の答えを探すための、

八百万の入口なのだから。

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― 新着の感想 ―
自分がどちらの状況なのかを判断するのは本当に難しいですね。 頭ではわかっていてもすぐにはなかなか切り替えられなかったり、変えたと思っても元に戻ってしまったり・・何回やっても駄目だと何か方向自体が間違っ…
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