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「失礼いたします。ガスト教授……、あら? いらっしゃらないのかしら……」
学園のシェンケル先生からはガスト教授は大体この時間帯は図書準備室に居るからと聞いて来たのだけれど。
……居ないなら仕方ないわよね。
フィーネは預かった書類を奥の教授の机と思われる場所に置く。
そして振り向くとその部屋には学園の図書室よりも重厚な様々な本が収められていた。
……すごい本……!!
ああもしも自分が初めから本当に貴族の令嬢でこんな中途半端な立場でなかったら! 大学へ来て色んな事をたくさん学びたかったわ。
だけども今こうやって王立学園に通わせてもらえるようになっただけでも有り難い事よね。シルビアも体さえ弱くなければ学園に通わせてあげたかったな……。
そう考えながら書棚から以前から気になっていた天文学の本を見つけてパラパラとめくる。そして美しい星々の挿絵に目を奪われ、目で文字を追っているうちについつい読み込んでしまっていた。
時間も忘れ読み耽っていると不意に後ろから声がかかる。
「───誰だ?」
───ビクリッ。
その低い声に驚いたフィーネは恐る恐る声のした扉の方を向く。
そこに立って居たのは金の巻き毛を後ろで縛り鋭い目で睨むようにこちらを見る同年代の青年。
背は高く騎士かと思うほどの体格の青年に威圧され、子供の頃剣を習った経験があり平民育ちで飲み屋で暴れるような男性を見慣れていても一瞬ドキリとした。
しかし相手はきちんとした身なりで明らかに高位貴族。フィーネは素早く淑女の礼をする。コレは厳しく躾けてくれた義母に感謝だ。
「───失礼いたしました。ガスト教授にお会いしたく参りましたがご不在のようでしたので……勝手に申し訳ございません」
青年はフィーネを見て少し驚いたように固まったが、少し考えた後大きく息を吐いた。
「───ガスト教授は昨日から出張だ。この大学の者なら知ってるはずだが。掲示板を見ていないのか」
「───申し訳ございません。きちんと確認しておらず存じ上げておりませんでした」
フィーネは学園のシェンケル先生の不手際と思われるのもどうかと思い、自分が悪いと謝罪した。
……初めて大学に来たけれど、女子生徒に絡まれて制服を汚されるし教授は休みだし今は怖い男性に睨まれているし……良い事なかったな……。フィーネは少しばかり泣きたい気分になった。
出来ればもう少し本を読みたかったなと考えチラリと本を見てから扉の前に立つ男性を見た。
男性はおそらく本来のフィーネと同年代だろう。恐ろしく整った顔立ちに均整の取れた身体。本で見た神話の彫刻のよう……。でも美形に睨まれるとこんなにも迫力があるのねと少し現実逃避のように考えていた。
「───分かったならば良い。ここはガスト教授の私室のような部屋。普段教授がいない時は私が頼まれて管理している。……所用で席を外している間に貴女が入り込んでいたのだ」
「ッ! ……それは失礼をいたしました」
この制服を貸してくれた事務の方にこの部屋まで案内されて来たのだが、彼女も教授が不在とは知らなかったのだろう。
素直に謝って早くこの場を去ろう、と礼をして出て行こうとしたのだが。
「待ちなさい。───ここの本を読みたかったのだろう? 次からはきちんと連絡さえしてくれれば入っても構わない」
───え?
「あの……、ここはガスト教授のお部屋なのでは……」
「ここはガスト教授の趣味に近い物が集められてはいるが、許可さえ取れば貸出ししても良いと言われている。
───君は今随分興味深そうにここの本を読んでいたではないか。教授はこの分野の裾野を広げる事を歓迎している」
「まあ、本当ですか!?」
何を言われるかと身構えていたフィーネだったが、ここの本を読んでも良いとの話に思わず顔を綻ばせた。
青年はフィーネをジッと見つめてから頷いた。
「……ああ。大学は勉強をする場だ。自らの見識を広げようとする者を私も歓迎する」
『私も』と言われたフィーネは、思わず目の前の人物を見る。
至極真面目に答えてくれるこの整った顔の青年は、しっかりとこちらの顔を見ていた。
……これはこちらの本や勉学への本気度を試されているのではないかしら。
出来ればシルビアの婚約者のいる大学部には出入りしない方が良いのだろうが……、出来ることならば本は読みたい。
フィーネがどうしたものかと悩んでいると再び声がかけられる。
「───ところで、貴女はどこの学部だ? 名は?」
……ん?
学部? ……私を大学部生と勘違いしてる? あ、もしかして私が今着ているこの大学部の制服!?
さっき借りて着替えた大学部の制服だからなのかそれとも実年齢の年齢からか、この男性はフィーネを大学部生と思っているらしい。
……勘違いを訂正しないと、どこからシルビアがフィーネだと世間にバレるか分からないわ!
フィーネはすぐに学園部のシルビアと名を告げようとしたのだが───。
「───ああ。名を尋ねるならこちらも名乗らなければ失礼だな。私はヴィルフリート。……貴女の名を、教えて欲しい」
───は。
ヴィ、ヴィルフリート……?
まさか……。いやいやいや。そんなまさかだわよ。
そうそう、きっと同じ名前の人だわ。ヴィルフリートってそんなに珍しい名前でもないし。
フィーネはそう結論を出し彼を見た。
するとヴィルフリートは鋭くフィーネを睨んでいた。
「───名は?」
ヒィーッ!!
「フィーネですッ!」
「フィーネ……」
ヴィルフリートはそうフィーネの名を復唱した。
……ッしまった!!
『ヴィルフリート』の名前に動揺して……、つい本名を言っちゃったわ!
いやでもこの方はシルビアの婚約者じゃない……わよね!?
これは絶対に確認しておかなければならない。
「あの……もしかして貴方様は……クレール様、でいらっしゃいますか?」
……違うわよねッ!?
婚約者だったならばそれはもう逃げの一択。そうでなければちょっと通う位は許されるかしらと希望を持って聞いたフィーネだったが。
「───ああ。私を知っていたのか」
……違うって言って欲しかったーーーッ!!
本の事は残念だけれど、もうここには二度と来れないわ……! シェンケル先生にもそうお願いしよう。
それに、どうしよう! よりにもよってシルビアの婚約者に本名を名乗っちゃった!
これはもう、このまま知らないふりして彼と一生会わないでいるしかないわ! というか、今ここを出たら彼はもう私の事なんて忘れるだろうし、きっと婚約者であるシルビアともこれからも会わないだろうから大丈夫! ……の、はずよ!
「……お名前はお聞きした事はあったのですが、その、大変失礼をいたしました。……あの、それでは私はこれで……」
よし、『逃げの一択』!!
「待ってくれ」
そそくさと離れていこうと扉に向かいかけたフィーネにヴィルフリートから声がかかる。
「───今読んでいたこの本と……、あとこれはその続きだ。借りていくがいい。……そうだな、3日後にこの部屋に誰かいるようにしておくから返しに来ればいい。また次の良さそうな本を探して用意しておこう」
そう言ったヴィルフリートにポンと本を2冊手渡された。
思わず受け取ってしまったフィーネはそのままヴィルフリートの顔を見る。……が、意外にも彼の顔が近くてその瞳を覗き込む形になった。
───それは不思議な美しいブルーグレー。人の瞳をこんな近くで見る事なんてそうはないな、と変に冷静な気持ちになった。
「───3日後のこの時間に、ここで待っている」
それはまるで彼と次の約束をしているようで。
ヴィルフリートは『誰か』と言ったが2日後にいるのはきっと彼なんだろうと、何故かそう思った。
シルビアの婚約者との、初対面でした。




