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「───色々とありがとうございました。……母上」
マイザー伯爵家の一室でエドガーはマイザー伯爵夫人とお茶を飲んでいた。
この日マイザー伯爵とフィーネは婚約の話をする為にクレール侯爵家に行っていて不在だった。休日で昼食をとった後の母と子のひととき。
「───私は貴方を実の母から引き離したし、フィーネにも辛い思いをさせて来た。……礼など言われる筋合いはないわ」
夫人はそう言って紅茶に口を付けた。
「───実母が最期に話してくれました。私がこちらに預けられたのはこの家を継ぐ為だったのでしょうが、姉が残されたのは実母を1人にしない為だったのだろうと。そして沢山の援助も受けて来たと。母上に、とても感謝していました」
「───援助はあの人が勝手にしていた事よ。そして私は急に2人の子の親になれるほど器用ではなかっただけ」
「……───父上の事を、憎んでおいでですか」
夫人は視線を窓の向こうにやった。
「───私は、学生時代あの2人と同じ学園にいたの。学年は私が一つ下だったけれど。だから当時から2人が付き合っていたのを知っていたわ」
……ぽつり、と夫人がゆっくりと話し出した。
「……父上達と?」
「ええ。……当時からお父様は素敵な方で、私はずっと憧れていたわ。けれども彼らは誰もが羨むカップルで……。あの頃は憧れだけで終わったの。
……だから私が卒業する寸前に突然彼との縁談が来た時は驚いたわ」
「父上達の学生時代の恋は反対されて実らなかった……?」
「……そのようね。私も貴族の家同士が決めた縁談を断る事も出来なかった……、いえ嘘ね。私は本当は嬉しかったの。彼を本当に手に入れるのは私だとあの時は勝ち誇ったような気持ちだったわ」
「───ずっと、父上の事がお好きだったのですね」
夫人はフッと自嘲するように笑った。
「……けれどそれは間違いだった。婚約しても、……結婚までしても、あの人の心はずっと……。
私達は心を通じ合わせる事が出来なかった。でも……後から思えば私はあの頃何としてでもあの人に寄り添い振り向かせなければならなかった。それなのにあの当時は意地を張って……。
そんな時にあの人は貴方の母親と再会したの。本当に、あの頃あの人にきちんと向き合わなかった自分を悔やんでも悔やみ切れないわ」
「母上……」
「───そこからは、私の心は死んだも同然だった。彼らを恨んで恨んで……。
そんな私を救ってくれたのはエドガー、貴方よ。愛する貴方のお陰で私は私を取り戻せたの」
それを聞いたエドガーは驚く。
「僕は、父上の裏切りの証なのでは……」
恐る恐るといった風にエドガーは問いかける。
「私も貴方をこの腕に抱くまではそう思っていたわ。育てる自信も無かった。
でも貴方を見た瞬間に愛しい気持ちが湧き上がってきたの。私を『母』にしてくれた。エドガーは私の宝物よ」
夫人は愛しげにエドガーを見つめてそう言った。
「───母上……」
「そして貴方を可愛がる私にあの人は心を開いてくれた。……あの時にやっと気付いたの。2人の関係が上手くいかなかったのはあの人だけのせいじゃなかった。私も心を開けていなかったんだってね。
───全ては、貴方のお陰よ」
そう言ってから夫人はハッと気付いた。
「……まあ、貴方にとっての私は両親の仲を割き母と姉から引き離した酷い人間なのでしょうけれど」
そう言って夫人は切なげに笑った。
「……私は物心ついた頃から貴女を本当の母と思い育ちました。父と実母達の所に行くことで我が家の事情は分かって来ましたが、母上にそれを咎められる事など無かったし、私自身深い愛情を受けて育ちました。
……私にとっては貴女が母です。貴女が私を愛情を持って育て守ってくれた」
エドガーにとっての家族は生まれ育ったマイザー伯爵家。時々父に連れて行かれた先にいる実母と姉とは、いつもどこか少し距離があるように感じていた。……生まれ育った環境が違うのだから、それは仕方のない事なのだろう。
「シルビアは隣国へ、姉様もいずれ嫁がれますが、私はこの家に……貴女の息子としてずっとここにいます」
「───そう。……そうね……」
夫人は立ち上がり窓の前に立つ。窓から見える伯爵家の庭を眺めながら、静かに涙を流していた。
エドガーは座ったまま、ただその風景を見ていた。




