ヴィルフリート 1
ヴィルフリートの想いです。
───『彼女』と初めて出会ったのは私が9歳の頃だった。
自分の剣の指南役が師と仰ぐ元騎士が王都の外れで道場を開いているというので連れて行ってもらったのだ。
その頃指南役より剣の腕を褒められ過剰な自信を持っていたヴィルフリート。指南役の師匠とはどの程度の腕かと興味を持ち是非手合わせをと願い出た。
もうとっくに騎士団を引退したとは思えぬ程、その師匠の腕は凄まじかった。……いや、後から思えば自分の指南役も侯爵家の子息である自分に花を持たせてくれていたのだろう。……その師匠に、ヴィルフリートは手も足も出なかった。
「……まだまだだな」
「……師匠。流石ですがもう少し考えてお相手を願います。ヴィルフリート様は侯爵家のご子息ですぞ」
「ふん。そのような事ではいつまで経っても成長など出来んわ。……見てみろ。良い目をしておられる。
ヴィルフリート様。良ければここで腕を磨いてゆかれるが良い。この道場では過剰な忖度をする者などおりませんぞ」
挑発的なのか寛容なのか分からないその師匠の元へ、私は暫く通う事にした。
ある日いつものように道場を訪れると、そこには1人の少女が居た。
「お師匠。ここには女の子も通っているのですか」
「うん? ああ。私は誰であろうとやる気のある者には教える。彼女も何か思いがあるようでな。……なかなか筋も良い」
そう言って師匠は笑ったが、やはり体格差というものはある。皆が『フィーネ』と呼ぶその少女は同年代の少年には体力的に負けていていた。しかし努力家のようで地道に素振りや体力作りをしている所をよく見かけた。
周りには貴族で美しく着飾る事に夢中の女性しか知らなかったヴィルフリートは、その少女をなにやら新鮮に思った。
ある時ペアで練習をする時、たまたま近くにいた彼女と組む事があった。
彼女はしなやかな動きだが、やはり力技には弱い。しかし私と何度か打ち合ったが、彼女が音を上げる事はなかった。
練習中はフィーネは勝てない悔しさを堪え必死に向かって来ていたが、練習が終わった帰り際に声をかけて来た。
「今日は一緒に組んでくれてありがとう!」
「……こちらこそ。君は体幹もしっかりしているし、鍛えれば更に強くなると思う」
私がそうアドバイスすると、彼女は嬉しそうに笑った。
「……ありがとう! なかなか認めてもらえない事も多いのだけれど、そう言ってもらえて嬉しいわ。これからも一緒に鍛錬しましょうね!」
花が咲き綻ぶような爽やかな笑顔。そして気持ちの良い言葉。
思わずこちらも笑顔になって、私たちは固く握手を交わした。
私は女性をエスコートする練習はしているが、このようにしっかりと握手するのは初めてだった。
彼女の手には練習で出来たのであろうマメがあったが、男性とは違って指は細く何やら柔らかくて触り心地がよかった。
───私の胸がとくりと鳴る。
彼女のような女性と切磋琢磨し共に過ごす事が出来れば、とそう思った。
屋敷に帰ってもその考えは頭から離れず、私はその気持ちが何なのか考えていた。……もしかすると、これが『恋』なのか?
本や友人達が話している意中の女性への気持ち、それに似ていると気付いた。
───そうだ。これは恋に違いない。
私はストンと腑に落ちた。
……それならば話は早い。
自分は侯爵家の子息ではあるが、幸い次男だ。兄が居るからある程度自分の意思で結婚出来るはず。そして彼女はおそらくただの平民ではない。所作や何かが平民とは違うし、師匠もそれらしい事を言って怪我をしないように気を遣っていた。
下級貴族だとしても、次男の自分ならば問題ないはずだ。意中の娘をどこかの養女にして結婚した話も聞いた事がある。
私は自分の中で計画を立てながら、道場に行ける日を心待ちにしていた。
───そんなある日、突然我が家に届いた知らせ。
それは、兄が馬車の事故に遭ったというものだった。
「ああ、ヴィルフリート……!
ツェーザレが……馬車の事故に巻き込まれて……!」
そう言って取り乱し滂沱の涙を流し崩れ落ちた母の姿を私は生涯忘れる事はないだろう。
普段侯爵夫人として凛として立つこの母が唯一普通の母のようになった瞬間だった。大粒の涙を流し続ける母を父が支える。
クレール侯爵家は、かけがえのない嫡男を亡くした───。
兄ツェーザレの葬儀を済まし、そこから我がクレール侯爵家は暫く家全体が暗く辛い日々が続いた。
そして───。クレール侯爵家唯一の子となった私は、後継として生きていかなければならなくなった。
そうなると当然の如く自由などなく道場に行けるはずもなく。……そして約3年後、やっと自由な時間が出来て訪ねた時には彼女はそこに居なかった。
私は当時彼女と仲の良かった者達や周囲を探したが、彼女は見つからない。……そうして思いつく。
彼女はおそらく貴族の令嬢だ。子供の頃ならともかく、年頃になれば学園には通うはず。令嬢がいつまでも道場に通い続けられるはずもなく、ここに居ないのも頷ける。……私はそう考えた。
勿論師匠にも彼女の行方を尋ねたが、事情があるご令嬢だからと教えてもらうことが出来なかった。
彼女になんらかの事情があるのはなんとなく察していた。しかし貴族の令嬢ならば、王立学園に行くはずだろうからそこで会えるまで待てば良いだけの話だ。
私は自分の婚約者となるのは彼女しか考えられなかった。だから両親や周囲から何度縁談を勧められても頑として受け入れなかった。
両親には学園で出会えるはずの女性と婚約するから、それまで婚約は絶対にしないと宣言した。
───王立学園に入学。しかし、彼女は居なかった。上級生でもなかった。
一年目は、一つ年下だったのかもしれないと考えた。
二年目は、何か事情があって入学が遅れたのかもしれないと思った。
三年目、自分が卒業し大学部に行っても入学した学園の生徒を確認しに行った。───それでもそこに彼女の姿はなかった。
……どうしてだ? 彼女はどう考えても同年代。何故学園に居ないんだ? まさか、彼女は貴族ではない? もしくはなんらかの事情で学園に通えないのか?
師匠にも何度も聞いたがやはり彼女の正体は教えてもらえず、私は八方塞がりだった。
その頃から段々と、両親と揉める事が増えていた。
「ヴィルフリート。お前がどうしても待てと言うから婚約者を定めなかったが、もう良いだろう? お前の言う女性は現れない。これ以上は待てない」
「お待ちください、父上!!
せめて、あと少し……」
「そう言って学園を卒業するまで待ったではないか」
そんな風に両親と言い争う日々が続いた。
そしてそんなある日、父が言った。
「───お前がそこまで言うのなら、もう少しだけ待ってやろう」
「本当ですか、父上!」
「その代わり、条件がある」
父から提示された条件は、『仮の婚約』をする事だった。
「マイザー伯爵令嬢と、仮の婚約を……? しかしそのような事、後に婚約を解消するのであれば相手のご令嬢の経歴に傷が付いてしまうだけではありませんか。それに、相手に変に執着されても困ります」
後に婚約解消するのが分かっているのに解消前提の婚約などは相手の令嬢に申し訳なく思った。そして自分で言うのはなんだが侯爵家嫡男にはやたらと女性が寄ってくる。相手の令嬢が後になって解消しないと言い出すのではないかと考えた。
「相手のご令嬢は体が弱く将来的に結婚は難しいとの話だった。それに伯爵家の領地では昨年の水害の被害が甚大でな……。資金援助との交換条件なのだ。勿論婚約を解消したからといって返金などと求めるつもりはない」
相手の伯爵家はきちんとした家柄で実直な領地経営をしていたが、天災による水害により多大な被害を被っていたそうだ。婚約は援助の口実のようなものだった。
「だから、この婚約はお互いの家に利がある。いずれ婚約を解消する事もきちんと理解されている。
……侯爵家嫡男にその年齢で婚約者が居ない状態なのは何か問題があるのではないかと周囲から変に勘ぐられかねないのだ。今の内に手を打っておかねば」
彼女を探す為時間が欲しい自分と、侯爵家嫡男にとりあえずでも婚約者を定めたい両親、水害で資金援助を必要とするマイザー伯爵家、そしてその令嬢は病弱で元々結婚する予定は無かったという。
……皆に、都合が良い話だった。
初めはこの不義理な婚約を渋った私だったが、誰も不幸にならないというこの話に乗るしか無かった。───彼女を探し出す為に。




