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「……フィーネ。すぐでなくてもいい。私の気持ちを分かって欲しい。そして……私と共に生きて欲しい」
「クレール様……」
……彼と共に。
フィーネは思わず彼に歩み寄りそうになる自分を抑えるように俯くと、自分の学園の制服が目に入る。
……ああ。私は今フィーネではなく『シルビア』だ。そして彼は今はヴィルでなく『ヴィルフリート』。
お互い、違う道を歩んでいる。……もう今更、その道は重なる事はない。
そしてマイザー伯爵家に迷惑をかけるべきではない。そして何かあれば実家の母が悲しんでしまう。
「……私は婚約者のいる方とはお付き合いは出来ませんわ」
「ッ! ああ、分かっている。実はもう両親には話をしてあるんだ。近い内に婚約は解消されるはずだ。フィーネ、そうしたら私と……」
「……お約束は出来ませんわ。私は、貴方の事をまだ何も知りませんもの」
「分かっている。……これからゆっくりと分かり合えると嬉しい。私には貴女だけだ」
チクリ……
……フィーネの胸が痛む。
……御免なさい。私は貴方から離れる為に嘘をついている。
どうか貴方も昔の事は忘れて、貴方に似合う素敵な方と一緒になってください……。
フィーネはそう思って儚く微笑んだ。
そこに、マイザー伯爵家の迎えの馬車がやって来た。
「申し訳ございません。……迎えが来たようですわ。これで失礼致します」
「ッああ。……また図書室に来て欲しい。難しければ連絡をくれれば私はどこへでも行くよ」
「……ありがとうございます」
フィーネは礼を言ってヴィルフリートから離れ馬車へと乗り込む。
すると馬車にはエドガーが乗っていた。
「お帰り! 実は僕も遅くなったんでこの時間にしたんだ……、あれ?」
エドガーは公園からこちらを見ている青年に気付く。
「エドガー……! 良いから早く出発させて」
「え? ……うん、分かったよ」
御者に声をかけ扉を閉めて馬車は走り出す。
「───姉様? 今の方って……、まさかクレール侯爵令息?」
エドガーはフィーネと一緒にいた人物に驚いた余りに、外ではフィーネを『シルビア』と呼ぶと約束した事もすっかり抜けて問いかけた。
「エドガー。……『シルビア』でしょ」
「っあ! ……今は馬車だしもういいでしょ、ねえそれよりどういうことなの?」
せっかく一昨日両親からシルビアの婚約が『初めから婚約解消が前提』だった事を聞き安心していたところだったというのに、何故当の本人がその婚約者と会っていたのか?
……エドガーが疑問に思うのも当然だった。
「…………これには、深い訳があって……」
……確かに婚約を解消したがっていたはずのフィーネがその婚約者とまるでデートのような事をしていたのだから、事情の説明は必要だろう。
エドガーの追求に、フィーネはシェンケル先生との会話から始まった今回の経緯を報告する事になったのだった……。
「───で、よくそれで姉様の正体がバレなかったね」
ヴィルフリートに愛を告白された日の帰りの馬車で、衝撃的な話を聞いた弟エドガーは呆れにも似たため息を吐きながら言った。
「もちろん、特に一昨日は私の家名も何度も聞かれたわよ。でも私は関わるつもりはないから絶対に言わないって突っぱねたわ。……このままクレール侯爵家から婚約解消されれば逃げ切れるのだもの」
「……逃げ切れるのかな?」
「ええ。だって婚約解消した後に事実を知ったところで、もう一度同じ方と婚約なんて恥知らずな事をしたら世間の笑い者になるでしょう?
……けれど教授達は私達が婚約者だって事を知っている。だから教授や周りからクレール様が真実を知る前に、婚約を解消してもらわないと……」
「……そんなに上手くいくかな?」
「その為に『婚約者のいる人とは考えられない』って強調しておいたもの。……もうクレール様は近い内に婚約を解消しようとされているようよ」
「……そうかなぁ」
フィーネはそう主張したのだが、エドガーは懐疑的だ。
「……なによ、エドガー。やっと『侯爵家の婚約者』役から解放されるのよ。これで私がシルビアのフリをしていることの被害者は居なくなるの。エドガーだってこれからこの事に気を揉まなくて済むようになるでしょ?」
シルフィがシルビアとして生きる事で迷惑を被るのは今の所クレール侯爵家だけのはずだ。他の皆は影響は無いし、何より当事者達は納得している。
「『被害者』ねぇ。……いや、僕は姉様さえ良ければそれでいいんだよ。けれども本当にそれで良いの? クレール様は『フィーネ』の事が好きって言ってるんでしょ? 昔から姉様を知っていてずっと好きだったって。それなら別にこのまま婚約を続けても問題なくない?」
「好きッ……!? な、何言ってるの違うわよエドガー! 今のクレール様は昔の思い出が美化されてるだけなの。早く目を覚まして相応しい方と一緒になられた方がいいのよ」
『好き』という言葉に反応して真っ赤になって早口でそう言い張ったフィーネにエドガーは生温い目を向けた。
「今まで長い間一途に姉様を思って探し続けてたクレール様が、そう簡単に諦めると思えないけどね。……さっきもすごい目で見られてたし。ああ明日が楽しみ……いや憂鬱だなぁ」
ポツリと言った呟きを気にしていられない程熱くほてった頬を抑えて冷静になろうと必死な姉フィーネをエドガーは眺めた。
そしてさっき馬車でフィーネと合流した時に感じた刺すような視線。そこには昏い目でこちらを見るクレール侯爵令息。
「……ふふ。面白くなりそうだよね」
エドガーは必死に自分に言い訳をしている姉を優しく見つめた。




