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ヴィルフリートは探るような視線をフィーネに向けつつ言った。
「───昔、街にあるダミアン師匠の所に通っていただろう?」
フィーネは驚きで言葉も発せられずに彼を見続けた。
───確かにフィーネは子供の頃、隣町のダミアン先生の剣道場に習いに行っていた事がある。
それは、弟エドガーだけが父と暮らしている事に疑問を抱いた頃だった。
……同じ母の子でありながら、男子だから家を継ぐ者として弟エドガーだけが父の家に迎え入れられたと知った時。
それならば自分も男の子だったなら父の元に行けたのではないかと、そう考えて男の子のようになろうとまだ子供だったフィーネは考えた。
母との暮らしに不満があった訳ではない。……しかし当然のように父と一緒に仕立ての良い服を着てやって来て帰って行く、弟のそんな姿をほんの少しだけ羨ましく感じた。
……自分がダメな子だから、お父様は連れて行ってくれないの? 女の子は要らないの?
そう感じた幼い日のフィーネは近所の男の子達が通う剣道場に無理を言って通わせてもらった。確か8歳の頃から2年間くらいだったと思う。
そしてそのダミアン師匠はかなり高名な方だったらしく、中には貴族の子弟も通っていたようだった。
……もしかして、クレール様もあの中にいらしたのかしら!? だって剣を習っていたのはあの約2年だけだもの。
フィーネは顔を青褪めさせて不安そうにヴィルフリートを見た。
「……ごめん、そうじゃない。貴族令嬢なのにこんな事知られたくはないよね。そうじゃなくて……、私はあの時から君の事……」
ヴィルフリートはフィーネの顔色が悪いのは剣を習っていた事を知られて令嬢として恥ずかしく思っているのだと思ったようだった。
そして彼は顔を赤くして俯き、次の瞬間思い切ったように顔を上げしっかりとフィーネを見据えて言った。
「───あの時から、ずっと私は君を想っていた。けれど突然私の兄が亡くなり道場に行けなくなってしまった。その後落ち着いてからすぐに君を探したけれど見つからなくて……」
この展開はどういうことかとフィーネは頭が追いつかなかった。……ただ、ヴィルフリートを見つめる。
「……フィーネ。私はあの時から貴女をずっと想っていた。そして前回再会してやはり君を好きだと確信した。……どうか私と婚約、して欲しい」
「……ッ!」
『婚約』
その言葉でフィーネはやっと冷静になった。
婚約して欲しいも何も、現在彼と自分は婚約者同士なのだ。
侯爵家側が婚約の継続を願うならば、それはそのまま成立してしまうのだろう。
しかしフィーネはヴィルフリートの事を殆ど知らない。彼の言う当時の事も覚えていないし、まだ友人にもなっていない。今の彼に悪い印象はある訳ではないけれど。
そもそもフィーネはこの婚約が解消され自由になることを望んでいたのだ。
そしてハッと気付く。
彼は、子供の頃の『フィーネ』を本当に知っている? あの頃はまだ幼児だったはずの『シルビア』ではなく。
それでは自分が今『シルビア』だと名乗れば、それは即座に別人だとバレてしまうではないか。
今、自分が昔彼と出会った『フィーネ』だとバレる=マイザー伯爵家が嘘をついていたとバレる。何せ道場に通っていたのはフィーネが8~9歳、その頃のシルビアは4~5歳。……誤魔化しようがない。
「……済まない。急ぎ過ぎた。ただ、私の想いを分かって欲しかったんだ」
違う意味で混乱しているフィーネに気付かないヴィルフリートは愛しげに見つめながら言った。
熱く強い視線を感じたフィーネは思わず彼を見る。
……ブルーグレーの美しい瞳が、フィーネをしっかりと捉えていた。
思わず大きく心臓が鳴って、顔を逸らした。なんとか冷静になろうと深呼吸してから口を開く。
「……クレール様には、婚約者がいるとお聞きしています」
それはシルビア、つまりは今の自分だけれど。
「……それは……。私は兄が亡くなり後継となってから、両親や周りから婚約者を作るように何度も言われて来た。そしてその度に断っていたのだが……。ある時痺れを切らした両親から仮でもいいから婚約者を作るように言われたのだ。相手の家もいずれ婚約を解消する事を了承しているからと」
それが、侯爵家からのこの婚約の経緯。やはり最初から解消を前提としたものだった。
昨夜父から聞いていたとはいえ、なんだか少し胸がモヤモヤした。
「だから相手には変に期待をされたり情が沸かないよう、出来るだけ接触を避けてきた。
父の話では先日婚約者の父親からは相手の令嬢が学園に入学したのでそろそろ解放してやって欲しいと話をして来たそうだ。だからその事は問題ない」
……解消する事に、『問題ない』?
その部分にちょっと引っかかりを覚えるが、父がちゃんと婚約解消に向けて動いてくれていた事を少し嬉しく感じた。
しかしフィーネはヴィルフリートに対して急に胸がスッと冷めて冷静になれた気がした。
「───婚約者に対して、随分と冷たいんですね」
……知らず、口調が冷たくなっていた。
「……冷たいというか、相手のご令嬢には迷惑な話だったと申し訳なく思っている。私や我が家の都合に巻き込ませた。だからこそ極力本人同士が関わる事を避けて来た。どうする事が最善だったかは人によるだろうが、進める気のない婚約に情をかけてはいけないと私は思っている」
……それで、全くシルビアと関わらなかったのね。
なんだか一瞬感じたモヤモヤは抜けて、妙に納得してしまった。それがこの青年の考え方なのだろうと。
「……クレール様のお考えは理解しました。ですが私は婚約解消の片棒を担ぐ気はありません。
───それに貴方が昔会ったという方は私ではありませんわ」
そこはしっかりと否定しておかなければ。もしもヴィルフリートにフィーネが『シルビア』だと気付かれたら、幼い頃の年齢差はどうにも誤魔化しようがない。マイザー伯爵家が嘘をついた事がバレるのは困る。……今だって20歳と16歳を誤魔化すのは相当苦しいというのに。
「フィーネ嬢……。貴女がそういうのならばそれでもいい。だが私は貴女を見つけた。決して諦める事は出来ない。貴女を妻としたい」
「クレール様……」
ブルーグレーの真剣な瞳でロックオンされたように見つめられて言われた言葉は完全なる愛の言葉で。フィーネは戸惑いながら見つめ返し、……そして思う。
……だから、今貴方が愛を囁く相手は婚約解消しようとしている貴方の婚約者なんですって!!
フィーネは喉まで出かけたその台詞をなんとか呑み込んだ。




