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「お父様、お義母様。……お尋ねしたい事があるのです」
大学部に行った日の夕食。
家族4人が集まる美しく整えられた食堂で、両親であるマイザー伯爵夫妻にフィーネは思い切って婚約の事を詳しく尋ねる事にした。
マイザー伯爵は優しく聞き返してくれる。
「……どうしたんだい? フィーネ。学園で何かあったのかい?」
父と義母にはほぼ毎日簡単にだが学園であった事を話している。
そしてフィーネはこの日学園の先生の使いで大学部へ行った事を話した。
「───大学部ではクレール侯爵と私が全く会っていないことや不仲である事が周知されていて、ご本人もそれを否定される事はないようです。
……お父様。侯爵家はこの婚約には初めから乗り気ではない、つまりこの婚約はいずれ解消する仮初の話なのではありませんか?」
フィーネは父をしっかりと見据えて尋ねた。
父はピシリと表情が固まった。
「……どうしてそう思うんだい?」
表情を失くしたまま、伯爵はゆっくりそう言った。
「……侯爵家側から希望された婚約のはずなのに、幾らシルビアの身体が弱いからとはいえ一度も会った事がないのは不自然です。それにご本人も侯爵家も婚約者と会っていない事を世間にまるで隠そうともされてもいないようなのですもの」
フィーネは少し困ったように答えた。……そもそも体の弱いシルビアに仕事が多く責任の重い侯爵夫人となる話を持ってくること自体がおかしな話なのだが、それは言わなかった。
伯爵夫妻は始め黙っていたが、その内2人は目を合わせ頷き合ってから伯爵が口を開いた。
「……クレール侯爵から依頼されたのだ。ご子息がどうしても婚約者を作ろうとしないから仮でもいいから婚約者となってやってくれないかと。時期がくれば婚約は無くすからそれまで頼むと。……その代わり我が家には随分と有利な援助をいただいて……」
「……ッ父上!?」
父である伯爵の言葉を遮って怒りの声をあげたのは弟エドガーだった。
「そんな……シルビアを利用するような事を……! 貴族の令嬢が婚約を解消してはその経歴に傷がつくではありませんか! しかもシルビアが居なくなったのに更にそれをフィーネ姉様に強要するなんて!!」
「───エドガー」
怒るエドガーに伯爵は言った。
「貴族の結婚とは、家同士の契約だ。そして基本的には侯爵家からの縁談をこちらから断る事など出来ない。……それに2年前の水害でマイザー伯爵家の領地経営も苦しかったのだ。クレール侯爵家の援助と組み合わせての申し出は我らには有り難かった」
「ですが……!」
「それにこの話はシルビアが病弱な事を最初から分かっての話だった。時期がくれば解消する事になっていたし無理強いされた訳ではない。両家の利害が一致した」
「ッ! ではそれならば、シルビアがいなくなった時に事情を話しこの婚約は解消すれば良かったのでは? 姉上にシルビアの代わりをさせる必要などなかったではないですか!」
「エドガー」
エドガーは怒りが収まらないようだった。フィーネとしては自分を思ってくれるのはありがたいが、少しクールダウンさせる為にエドガーに声をかけた。
エドガーはフィーネの顔を見て一つ大きく息を吐いた。必死に怒りを抑えようとしているようだった。
父はその様子を見て意を決したように口を開く。
「……実は、アンネから頼まれたのだ。フィーネを我が家で貴族令嬢として預かってくれないかと」
父の口から出た意外な話にフィーネとエドガーは驚いて父の顔を見た。
「……お母様が?」
フィーネは母アンネと共に平民として2人慎ましく暮らして来た。父からの援助はあったものの、それに頼り切りにならないようにというのが母の方針だった。
……そんな母が、今更どうして私を貴族令嬢に?
「フィーネは伯爵家の娘であるのに、ずっと平民として暮らして来た。本来ならば貴族の学園へ行き婚約もしていたことだろう。アンネは結婚適齢期であるのに平民として働くお前を不憫に思い、私に相談して来たのだ」
「お母様が……」
そう言われてみれば、あの頃の母の様子は少しおかしかった。それにフィーネがシルビアの代わりとなりマイザー伯爵家に行く事をやけにすんなり認めていた。
今も手紙のやり取りはしているが、フィーネが貴族として上手くやっているか心配するだけで不満などはなさそうだった。
「そうは言っても19歳となったフィーネを改めて貴族として籍に入れるのは簡単な話ではない。……私とアンネの話を知る者はそれなりにいるしその娘を今更伯爵家に入れる事で変に勘繰る者やおかしな噂を流される可能性も高い。
……そんな時にシルビアが居なくなった。覚悟の上での失踪だった。その後私達は話し合い、これはフィーネを淀みなく貴族籍に入れる機会だと考えたのだ」
「……シルビアの手紙には貴女を自分の代わりとして欲しいと、そう書いてありました。そして私達にこれまで貴女が受けるべきだった教育や立場を与えてやってほしい、と……」
義母はそう言ってハンカチで目元を抑えた。
「シルビアが……」
だから、この家に入ってからは義母はこれほどに自分に心を砕いてくれていたのか。そして……、シルビアはフィーネが改めて伯爵家に入ることの難しさを知り、自分にその立場を与える為にも失踪を決意した。
「では、シルビアは私の為に伯爵家を出た……?」
「いいえ。あの子が主治医の先生を慕って追いかけたのは事実です。これに関しては貴女には全く責任はありません」
伯爵夫人は表情を変える事なくそう言い切った。
たった1人の自分の産んだ娘が出て行き代わりに愛人の娘が来るなんてとても辛い事だっただろう。しかし夫人は凛として前を向いている。シルビアが医療の整った地で十分な治療を受け、幸せに暮らしているのならと自分を納得させているのだろう。
「そういう訳でフィーネがシルビアとして、貴族として生きる事は皆の総意なのだ。
……しかし侯爵家には流石に入れ替わりの話は出来なくてな。この婚約はいずれ解消される話でもあるし、本人同士が会った事もない。出来れば入れ替わりを知る人間も少ない方がいい。だからこの事を隠し通す為にもお前達に話をしなかったのだが……。それは間違いであったのかもしれない。
エドガー。フィーネ。済まなかった」
父と義母は2人して頭を下げた。
「お父様? お義母様! お顔をお上げください!」
「そうですよ。事情は分かりました。まさかこの事がアンネ母様とシルビアの願いだったとは……」
フィーネとエドガーは慌てて父と義母に言った。
2人は申し訳なさそうに顔を上げ2人を見た。
「……済まないな。そしてフィーネにはこれからはシルビア マイザー伯爵令嬢として誰憚る事なく生きていって欲しい。クレール侯爵家からは程よい時期に『婚約解消』の連絡が来るはずだから、とりあえずそれまでこの事だけは我慢して欲しい」
「侯爵家からはこの婚約は長くてもシルビアが学園を卒業するまでと聞いています。そうすれば、貴女は自由です」
2人からそうお墨付きをもらったが、フィーネにはまだ気になる事がある。……今日、ヴィルフリートと会ってしまった事だ。
しかし今一つ大きな問題が解決し、婚約の解消も時間の問題だと和やかな雰囲気のこの場でフィーネはそれを言い出せなかった。
……今のところヴィルフリート様に正体はバレていないのだし、ただ本を返す約束をしただけ。それだって学園でシェンケル先生か事務部の方に返却をお願いしたら大丈夫よね……?
そうよ、そもそも私は『シルビア』とも名乗っていないのだから、これ以上会わなければあの時会ったのが自分の婚約者だったと気付かれる事もないわ。それに知られたところで本人は婚約を嫌がっているのですもの! 何も心配要らないわ!
そう自分に言い聞かせるフィーネだった。




