第7話 議事録で戦争を削る
帰りの馬車――植物が引く骨組みだけのそれは、行きより静かだった。
国境の光剣が遠ざかったせいか、耳の奥の賛歌も大人しい。祈祷再生器の小音量が効いているのは分かる。分かるが、慣れたくない。
軍務卿グランは向かいの席で、茶を啜っていた。
この人、戦場帰りでも茶を飲む。怖い。
「で」
グランが、湯気の向こうからこちらを見る。
「見たか」
「見ました」
俺は少しだけ姿勢を正した。上司への報告の姿勢が、勝手に出る。
「話が通じない、じゃなくて……話すと痛い、って感じでした。質問の仕方で反応が変わります」
「ほう」
グランの眉がほんのわずかに上がる。興味を示した時の合図らしい。
「どんなふうに変わる」
「正面から否定すると詰まります。俺が『違う』って言った瞬間、言葉が出なくなった。こめかみを押さえて、汗をかいてました」
思い出すだけで胸が冷える。あれは根性じゃなかった。無理やり黙らされるやつだ。
「だが、『帰りたいか』って聞いた時は、叫べた。言い方を変えると負荷が変わります。……たぶん、彼の中に“物語の型”があって、そこから外れると痛い」
グランは茶を置いた。
「物語の型」
「ええ。名乗って、決闘をして、魔王を倒して凱旋する。あれが“正しい筋書き”みたいで」
言ってから、ふっと笑いが漏れそうになった。
鉄砲玉がわざわざ名乗って決闘。滑稽だ。けど、その滑稽さが本人の選択じゃないと思うと笑えない。
グランが、あえて軽く言った。
「名乗るのは大事、ということか」
「そういうことに……なりますね」
俺が頷くと、グランは穏やかに笑った。
「なら、お主の仕事は“筋書きを折らずに退かせる”ことだな」
言葉の刃が鋭い。嫌なほど的確だ。
城へ戻ると、グランは俺に小さく手を振った。
「今日はよく見た。次は言葉にしろ。魔宰会議で話せる形にして持ってこい」
「報告書ですね」
「そう。お主の剣だ」
剣が報告書。嫌いじゃない。仕事だ。
自室に戻ると、机の上に筆記具と紙のようなものが増えていた。ゾルドが手配してくれたらしい。棚の横に小さな鍵箱もある。
「仕事、早いな……」
感心しながら椅子に座り、紙に向かったところで、壁際の装置が淡々と呟く。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」
邪魔だ。でも止められない。腹立つ。
俺は紙の頭に、癖で件名を書いた。
件名:国境事案(自称勇者レオン)接触報告
……会社だ。完全に会社のテンションだ。異世界でやることじゃないのに、やることは同じだった。
書いているうちに、頭の中が整理されていく。
・相手は「暗殺」ではなく「決闘」を選ぶ
・否定すると発語困難・頭痛
・問いの形で負荷が変わる
・“帰りたい”は通る
・撤退は「逃げ」ではなく「準備」や「報告」にすると通りそう
箇条書きにしながら、ふと手が止まる。
これ、俺の感想じゃなくて、次に現場で使える手順に落とさないと意味がない。
俺は紙を一枚追加して、別の件名を書いた。
件名:勇者応対(初期案)
その瞬間、頭の奥がむずっとした。
女神様は偉大だ。女神様は素晴らしい。崇めよ。
「……女神様すばらしい」
小声で棒読みして、祈祷再生器を指で弾く。ノイズが引く。
ついでに、もう一つ。
「ヴァルはきっとロリコン」
すっと静かになる。
この世界の神は雑で、俺の悪口は業務。
俺は深く息を吐いて、書き続けた。
夜になり、呼び出しが来た。魔宰会議――というより短い打ち合わせらしい。俺は紙束を抱えて会議室へ向かった。
扉を開けると、五人とヴァルが揃っていた。全員が揃うと空気が硬い。装置の単調な声だけが、妙に日常的に聞こえる。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」
ヴァルが顎で俺を示した。
「報告を」
俺は一歩前に出て、紙束を置いた。
「国境で、自称勇者レオンと接触しました。結論から言うと、彼は“話を聞かない”というより、“話せない形”がある」
軍務卿グランが頷く。視線で続きを促す。
俺は、必要なところだけ抜く。
「否定すると詰まります。こちらが『違う』と言っただけで、発語が途切れ、痛みが出た。逆に、『帰りたいか』のような問いは通る。質問の形式で負荷が変わります」
諜報卿セラが、楽しそうに手を叩きそうな顔で言った。
「へえ……“言葉の地雷”があるってこと? いいね。作れる」
いいね、のテンションが怖い。
財務卿リリアが紙束を指先で弾いた。
「負荷が変わるのは分かった。でも、こっちのコストは? 現場対応が増えるなら人も物も要る」
「増えます。ただ、殺すより安いです」
言い切ると、リリアがわずかに口元を上げた。肯定とも否定とも取れるやつ。
研究医療卿ユーリが淡々と言った。
「痛みが出るなら、強制の干渉。脳か魂か、どっちでも厄介。次に接触したら、測定する。非侵襲で」
「非侵襲でお願いします」
即答した。侵襲は揉める。絶対揉める。
法務卿アシュが、こちらを見た。
「応対手順は作れるか」
俺は紙束の一枚を前に出した。
「初期案です。まだ粗いですが、方向性はあります」
アシュが紙を取る。読むのが速い。読む速さが怖い。
俺は続けた。
「相手の物語を正面から折らない。否定しない。撤退を“逃げ”ではなく“準備”や“報告”に置き換える。名乗りに返す。目的は、斬り合いを発生させずに帰らせることです」
グランが、ぽつりと言った。
「なるほどな。殴り合いの前に、言葉の段取りを整えるのか」
ヴァルが、静かに頷いた。
「そういう者を呼んだ」
その視線が、少しだけ柔らかい。土下座の時と同じ目だ。頼る目。
俺は気持ちを切り替える。ここで照れたら負ける。
「一つ、提案があります」
リリアが眉を上げる。
「提案は、金額も添えて」
「はい」
俺は息を吸う。
「次の一手は“交渉”じゃなくて“取引”です。小さく、確実に、揉めにくいもの。例えば、負傷者の回収路や、捕虜交換。戦争を止める前に、事故を減らす」
セラがにやりと笑った。
「人間側、そういうの好きだよ。正義の顔ができるから」
リリアが即座に返す。
「好きでも嫌いでも、数字が合えばやる。負傷者回収は長期的に得」
ユーリが淡々と言う。
「医療回廊ができるなら、助かる。死なせないのが一番」
アシュが紙束を置いた。
「条約ではない。まずは合意書だ。小さな枠で縛る。お前の仕事だな、ミキト」
俺は頷いた。
「やります。……ただ、相手は王だけじゃない。神殿が絡みますよね」
ヴァルが低く言った。
「絡む。必ずな」
その時、扉の外が騒がしくなった。足音が走る。
ゾルドが飛び込んできた。
「失礼します! 諜報卿に急報です。人間国側、国境に“使者”を立てたと!」
セラが目を輝かせる。
「来た来た。早いね」
グランが静かに笑った。
「鉄砲玉が引き金なら、使者は弾倉だ。戦争は忙しいな」
俺は立ち上がった。
小さな取引。小さな勝ち。
たぶん、ここが最初の踏みどころだ。
祈祷再生器の音量をほんの少し上げて、頭の奥を静かにする。
「……行きましょう。まずは話を聞きます」
ヴァルが頷いた。
「頼む」
鉄砲玉が名乗る世界で、次は使者が名乗る。
ようやく、こちらの得意分野だ。




