第6話 鉄砲玉が名乗るな
軍務卿グランの執務室は、戦場の匂いがした。
血の匂いじゃない。地図と記録と、乾いた判断の匂いだ。壁一面に貼られた地図に、赤い印と黒い線が無数に走っている。
グランは椅子に座ったまま、茶を淹れていた。湯気が立つのが不思議なくらい、指先の動きが丁寧だ。
「座れ。飲めるか?」
「……飲みます」
茶を受け取ると、意外に普通の香りがした。苦いけど、ちゃんと茶だ。
俺が一口飲んだところで、グランが言った。
「国境に出た。若いのだ。光る剣を持っておる」
「勇者、ですか」
「そう呼ぶ。こちらでは別名もあるがな」
グランが笑う。
「鉄砲玉、だ」
「鉄砲玉……」
「戻れぬように縛られ、前に押し出される。本人は英雄のつもりでも、扱いは弾だ。……可哀想ではある」
可哀想、の言い方が軽くない。軍務卿の軽口は、軽くない。
グランは茶を置いた。
「が、問題は別にある」
「話が通じない、でしたっけ」
「通じぬ。話を聞かぬ、というより――聞けぬ」
俺は息を吸った。
ヴァルの言っていた“選択肢がない”というやつ。なら、現場で一度見ておくべきだ。
「俺に何を」
「見てこい」
グランがあっさり言った。
「戦わんでいい。死ぬな。だが見て、覚えて、持ち帰れ。お主の仕事は戦場を減らすことだろう」
俺は頷いた。
「分かりました」
グランが立ち上がる。さっきまでの好々爺の顔が、すっと消えた。
「出るぞ」
執務室を出ると、廊下の先に兵が揃っていた。
「我が軍は数が減らない」
骨の鎧を着た兵。鎧の下がどうなっているか、見ない方がいい気がする。背丈の低い、植物みたいな兵もいる。鎧の隙間から蔦が伸びている。虫が肩に止まっている者もいた。不定形――ゼリーみたいな塊が、床を滑っているのもいた。
数が減らない、という言葉の意味が分かる。
怖いし、合理的だ。
俺が息を飲んでいると、グランが軽く咳払いした。
「驚くな。生きた兵は後ろだ。前に出せば減る」
そう言うと、グランは俺にだけ聞こえる声で付け足した。
「減らしたくない。わしは、減らすのが嫌いだ」
嫌い、という言葉が重い。
移動は早かった。
馬でもない、車でもない。骨組みだけの馬車のようなものが動く。引いているのは、四本脚の植物だった。息をしない。汗もかかない。なのに走る。
俺は揺れに耐えながら、耳の祈祷再生器を軽く触った。
小音量の賛歌が、相変わらず耳の奥で鳴っている。
これがないと会議どころか移動も怪しいの、なんなんだ。
国境に着いた。
空がやけに明るい。地面は黒い石。遠くに人間側の陣が見える。旗が立っている。
そして――いた。
ひとりで、前に出ている。
若い。十代後半から二十代前半くらいに見える。鎧は真新しく、剣は確かに光っている。剣というより、刃の形をした光だ。持ち主の手が熱そうなのに、本人は平然としている。
その背後には三人。仲間だろう。少し離れて控えている。
若い剣士が、こちらを見て大声を上げた。
「我は勇者レオン! 魔王の眷属よ、名乗れ!」
俺は、思わずグランを見た。
グランは真顔で頷いた。
「名乗るらしい」
「……暗殺者じゃないんですか、これ」
俺が小声で言うと、グランが肩を揺らして笑った。
「鉄砲玉が名乗る。面白いだろう」
面白いのは面白い。笑うと死ぬ気もする。
レオンが一歩踏み出した。
「正々堂々、決闘だ! 我が剣で悪を断ち、女神の御許へ凱旋する!」
俺は心の中で突っ込んだ。
暗殺者の言うことじゃない。
……いや、そもそも“暗殺者”という呼び方がこっちの都合か。相手は相手で、自分の物語を生きている。問題は、その物語が強制仕様っぽいことだ。
グランが前へ出る。笑顔が戻る。怖い笑顔だ。
「軍務卿グラン=モルティス。冥骸族。……勇者殿、わしが相手をしよう」
名乗った。種族まで丁寧に。
レオンは光剣を構え、目を輝かせた。
「四天王か!」
「違う。五卿だ」
「細かい!」
細かいのはお前だ、と言いかけて飲み込む。
レオンは胸を張った。
「魔王はどこだ! 出て来い! 逃げるな!」
グランは軽く首を傾げた。
「魔王は忙しい。お主の相手をするほど暇ではない」
煽りじゃない。事実として言ってるのが余計に効く。
レオンの顔が一瞬だけ歪んだ。
そして、彼はこめかみを押さえた。たった一拍。すぐに剣を構え直す。
今の、何だ?
俺が目を細めたのを、グランが横目で見て、口の端だけで言った。
「今のを見たか」
「はい」
「無理をしておる。押されておる。……たぶん、選べぬ」
俺は一歩前に出た。
戦うつもりはない。でも、ここで一言でも拾えれば大きい。
「レオンさん、でしたっけ」
レオンがこちらを見た。目はまっすぐで、怖いくらい純粋だ。
「何者だ、お前」
「ミキト。魔王の――」
言い方に迷った。
眷属と言えば話が早いが、嘘になる。特命官は説明が長い。迷っている間に、レオンが勝手に結論を出す。
「魔王の眷属だな!」
「違う」
つい即答した。
レオンの眉が動いた。次の瞬間、彼の目が一瞬だけ焦点を失った。
そして、顔が苦しそうに歪む。
「……違、う……? だが……魔王の側にいる者は……」
言葉が続かない。喉に引っかかるみたいに途切れる。
俺は確信した。
こいつ、喋れないわけじゃない。喋ると何かが刺さる。
俺は距離を詰めすぎないように、声を落として言った。
「本当に、魔王を倒さないと帰れないって、誰に言われました?」
レオンの指が震えた。
「女神が……」
言いかけたところで、レオンが歯を食いしばる。額に汗。目が赤い。
痛いんだ、これ。
俺は手を上げた。
「分かった。無理しなくていい。――じゃあ、こう言い換える。帰りたいんだよな」
「……当たり前だ!」
叫んだ瞬間、レオンの顔が少し楽になる。質問の仕方で負荷が違う。
なるほど。
グランが、俺の横で小さく息を吐いた。
「ほれ。見えたな」
俺は頷いた。見えた。仕様の匂いがする。
レオンが剣を振り上げた。
「話は終わりだ! 決闘だ! 魔王の眷属を斬り、道を開く!」
決闘。やっぱり決闘。
俺は思わず、笑いそうになった。
鉄砲玉が、わざわざ名乗って、決闘を申し込む。
馬鹿馬鹿しい。けど、その馬鹿馬鹿しさが、誰かに作られたものだと思うと笑えない。
グランが手を軽く上げた。
次の瞬間、地面の黒い石の隙間から細い蔦が伸び、レオンの足元に絡みつく。蔦の先から、粉のようなものがふわっと舞った。花粉か、胞子か。
レオンが咳き込み、目を瞬いた。
「卑怯だ!」
「卑怯で結構」
グランの声は穏やかなままだ。
「死なせぬ。眠らせる。帰って寝ろ」
レオンは怒りに顔を赤くし、光剣を振るって蔦を断つ。剣の光が蔦を焼く。強い。見た目よりずっと。
だが、蔦はまた伸びる。切っても切っても絡む。虫が飛ぶ。羽音が増える。刺さない。ただ、うるさい。視界を塞ぐ。呼吸を邪魔する。
嫌がらせ戦法。理解できる。
レオンが歯を食いしばり、剣を振り回す。
「魔王の眷属め! 逃げるのか!」
逃げてない。帰らせようとしてる。
けど、彼の物語では“逃げ=悪”なんだろう。
レオンが一歩踏み出そうとして、また顔を歪めた。足元の蔦と胞子に、体がついていかない。なのに、前へ出ようとする。
俺は、つい口を開いた。
「レオン、無理するな!」
レオンがこちらを睨む。
「黙れ! 魔王の――」
言い切る前に、またこめかみを押さえた。苦しそうだ。
……言葉が縛られている。行動も縛られている。
俺は胸の奥が冷えた。
こいつは“熱血”じゃない。強制だ。
グランが、俺にだけ聞こえる声で言った。
「今日は帰す。殺さぬ。こちらも減らさぬ」
そして、わざと大きめの声で宣言した。
「勇者殿。今日の決闘は見送りだ。お主は休め。次も来るのだろう? なら元気で来い」
挑発にも聞こえる。だが、実際は逃げ道を作っている。
レオンの仲間が後ろから叫んだ。
「レオン! 一旦戻れ! これ以上は!」
「だが……!」
レオンが足を動かそうとして、また苦しむ。
仲間のひとりが、レオンの肩を強く掴んだ。
「戻る! 戻れないなら、ここで死ぬぞ!」
その言葉は効いたらしい。レオンの顔が歪み、最後に俺を睨んだ。
「……次は、魔王を出せ!」
そう言い捨てて、仲間に引きずられるようにして下がっていく。
光剣の光が、遠ざかる。
国境に残ったのは、蔦と虫の羽音と、やたら冷えた空気だった。
俺は息を吐いた。
「……帰りましたね」
「帰した」
グランが淡々と言う。
「殺せば簡単だ。だが簡単な方へ行くと、次がもっと面倒になる」
俺は頷いた。殺したら終わり、じゃない。ここはそういう世界じゃない。
ふと、頭の奥で小さく声が鳴りかけた。
女神様は――
俺は反射で小声で呟いた。
「ヴァルの会議は長い」
スッと静かになる。
グランが横目で笑った。
「業務か」
「業務です」
笑えないのに、笑ってしまう。
鉄砲玉が決闘を申し込む世界で、悪口が業務になる。
俺は国境の向こうを見た。
あの若い勇者は、また来る。
来るなら、次はもう少しだけ“話せる形”を作りたい。
帰り道、俺の頭の中では、手順書の項目が増えていった。




