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土下座から始まる魔王軍改革 〜魔王軍初の勇者は30代!?戦争は書類で止める〜  作者: 那由多


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第5話 医療区画と、余計な熱



 法務卿の部屋を出た瞬間、肩の力が抜けた。


 抜けた、と思っただけで、すぐ背筋を戻す。廊下にも誰かいる。気を抜くのが癖になると、どこかで刺される。


 それでも、契約が形になったのは大きい。


 口約束のまま働くほど、俺は勇気がない。勇気がないから契約を作る。たぶんそれでいい。


 自室に戻ると、壁際の装置が相変わらず淡々と同じ言葉を繰り返していた。


「メガミサマアリガトウゴザイマス……」


 ありがたがる気持ちは一切ないのに、止めたくもない。変な関係だ。


 机に契約書を置き、椅子に座る。


 まずやるべきは整理だ。条文の要点を自分用にまとめて、明日からの動きに落とす。


 そう思って筆を取った――ところで、手が止まった。


 落ち着かない。


 頭の中が散る。集中しようとすると、逆に身体の方がうるさい。胸の奥に熱が溜まって、じっとしていられない。


 緊張とは違う。恐怖とも違う。


 ただ、妙に“余計な熱”が残っている。


 俺は椅子から立ち上がって、部屋を一周した。意味はない。意味はないのに、歩かないと気が済まない。


「……なんだこれ」


 口に出しても答えは出ない。


 装置が、一定のテンポで呟く。


「メガミサマアリガトウゴザイマス……」


 その声が、やけに癪に障る。


 次の瞬間、扉がノックされた。


「ミキト」


 返事をする前に、扉が開いた。


 研究医療卿ユーリ=クロノクリスタが、当たり前の顔で入ってきた。時晶族の男は、相変わらず無駄がない。視線だけで部屋の状態を検分し、机の上の契約書に一瞬だけ目を落とした。


「法務卿と締結したな。よし」


「よし、って……」


「次。検査」


 短い。説明する気がない。


「今からですか」


「今だ。体調は仕事に直結する。遅らせない」


 言い切る声が、命令というより規則の読み上げに近い。逆らうと面倒になるタイプのやつだ。


 俺は息を吐いて立った。


「分かりました。行きます」


 廊下を歩きながら、ユーリが横目で俺を見た。


「歩幅が落ち着かない。胸の鼓動も速い。……余計な熱が溜まってる」


 見抜かれてる。医療は怖い。


「自覚あります」


「なら早い」


 医療区画は、思ったよりまともだった。石造りなのに清潔で、薬草の匂いが強い。兵舎の汗臭さがない。


 処置室に通されると、女性が一人待っていた。


 角は小さく、目の色が艶っぽい。それだけなら怖いのに、姿勢は軍医そのものだった。背筋が伸びていて、無駄な動きがない。


 彼女は先に名乗った。


「医療官ナディア。サキュバスです」


 単語が強い。


 俺は反射で身構えかけて、慌てて止めた。相手は医療官だ。ここで変な態度を取る方が失礼だ。


「久我幹人です。ミキトで。……よろしくお願いします」


 ナディアは表情を変えずに頷いた。


「ミキト様。今のあなたは、体内の“性気”が過剰です」


 性気。初めて聞く言葉なのに、なぜか腑に落ちる。さっきの落ち着かなさに、ちょうど名前が付いた感じがした。


 ユーリが淡々と付け足す。


「勇者の付与には、判断を鈍らせる方向の副作用が混ざる。放置すると事故が増える。仕事にならない」


「身も蓋もない」


「仕事は現実だ」


 その通りで、返す言葉がない。


 ナディアが手袋をはめる。


「処置します。触れます。嫌なら言ってください」


 言い方が丁寧で、逆に逃げ場がない。


「……お願いします」


 同意した瞬間、ナディアの指が俺の手首に触れた。


 冷たい。


 それだけじゃない。身体の奥に溜まっていた熱が、吸い出されるみたいに抜けていく。焦りが薄れ、頭の中が静かになる。呼吸が深くなる。


 俺は思わず息を吐いた。


「……楽になった」


 ナディアも小さく息を吐いた。ほんの一瞬だけ、頬に血が戻ったように見えた。


「こちらもです」


 俺は気になって、確認だけする。


「……これ、ナディアさんにとっても必要なんですか」


 ナディアは視線を逸らさない。


「はい。私たちの栄養は性気です」


 ユーリが、いつもの調子で現実を刺す。


「魔族は常にこの手の熱を出さない。だから供給が少ない。医療部門の維持が難しい」


 ナディアの口元が、ほんの少しだけ苦くなる。


「医療官なのに、まず自分が干上がります。……恥ずかしい話ですが」


 俺は首を振った。


「恥じゃないです。必要なら、仕組みにすればいい」


 言った瞬間、ユーリが即座に乗ってきた。


「口約束は駄目。共生契約にする。法務卿を通す」


 また出た。手順の人。


 でも、正しい。こういうのは曖昧にすると、誰かが損をして崩れる。


「分かりました。契約、作ります」


 ナディアがわずかに目を見開いて、すぐに頭を下げた。


「ありがとうございます」


 処置が終わると、さっきまでの“余計な熱”はほぼ消えていた。静かに考えられる。これだけで価値がある。


 ユーリが記録をまとめながら言う。


「ミキト。魔王の近くにいるほど、基礎能力が上がっている。自覚は?」


「ありません」


「なら余計に危ない。慣れるまで、物を壊すな」


「壊しませんよ」


 言いながら、自分の手を見てしまう。さっき手首を掴まれた時、反射で力が入った気がする。気をつけよう、じゃ遅い。仕組みで防ぐべきだ。


 そう思ったところで、処置室の扉が勢いよく開いた。


「特命官殿!」


 息を切らした兵が飛び込んでくる。補給班のゾルドだ。顔色の悪さが増している。嫌な知らせの顔だ。


「軍務卿より伝令。国境に――光る剣を持った若い人間が現れました」


 胃が冷えた。


 ヴァルが言っていた、“周期的に来る”というやつ。


 ゾルドが続ける。


「堂々と名乗り、こちらを魔王の眷属と呼びました。決闘を要求しています」


 決闘。国境で。堂々と。


 俺は、ナディアとユーリを一瞬だけ見た。


 ユーリは淡々と頷いた。


「処置は終わった。動ける」


 ナディアも、軍医の顔に戻って言う。


「怪我をしたら戻ってきてください。……死なないで」


 余計な熱は抜けた。


 代わりに、別の熱が腹の底に落ちた。仕事の熱だ。


「……行きます」


 俺がそう言うと、ゾルドが深く頷いた。


「軍務卿が、お待ちです」


 装置の声が遠くで響いている気がした。


「メガミサマアリガトウゴザイマス……」


 ありがたくはない。


 でも、いまは止められない。


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