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土下座から始まる魔王軍改革 〜魔王軍初の勇者は30代!?戦争は書類で止める〜  作者: 那由多


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第4話 契約は逃げ道から


 法務卿アシュの歩き方は、音がしない。


 鎧を着た兵が歩けば金属が鳴る。重い靴なら床が鳴る。なのにこの男は、歩いている気配だけが先に来る。


 背中を見失いそうで、俺は一歩だけ距離を詰めた。


「……あの、法務卿。どこへ」


「話をする場所だ。ここでいい」


 通されたのは小さな部屋だった。机と椅子が二つ。窓はない。逃げ道もない。法務卿らしい。


 壁際の装置が、淡々と声を流している。


「メガミサマアリガトウゴザイマス……」


 この音があるだけで、部屋の空気が少しだけマシになるのが腹立つ。


「座れ」


 アシュが言う。


 俺は椅子に座った。背筋は伸ばした。こういう場で猫背になったら、なめられる。


 アシュは俺の向かいに座り、机の上に手を置いた。


 指先から、黒い膜みたいなものが広がる。紙ではない。革でもない。光を吸う“書面”が、机の上に生まれた。


 この世界の法務は、文房具まで怖い。


「口約束は信用しない」


「同意です」


 アシュの視線が、少しだけ鋭くなる。


「同意、ね。言葉は軽い。条文に落とす」


 黒い筆が置かれた。インクは見えないのに、筆先が触れるたび文字が刻まれる。


「まず、お前の望みを言え。欲しいものを先に出せ。後から足すな」


 営業の交渉で言うなら“要求の棚卸し”だ。ここを曖昧にすると、後で必ず揉める。


 俺は一息入れてから言った。


「情報です。戦況、人間国、神殿、勇者の周期。あと、俺が元の世界に戻る方法の探索。これは約束にしてほしい」


 アシュは淡々と書く。反応で損得を見せない。


「権限」


「交渉の場に出られる権限。現場の状況を確認する権限。必要なら契約を結ぶ権限……ただし、最終確認は法務卿でいい」


 言い切った瞬間、自分でも少し安心した。法務卿の顔を立てるのは処世術じゃない。秩序のためだ。


 アシュが小さく頷く。


「当然だ。締結の最終は私が持つ。条文は私が責任を負う」


 責任を負う、という言い方が意外だった。冷たいだけの男じゃない。責任の範囲が明確な男だ。


 俺は続けた。


「それから、拒否権。俺は前線に放り込まれるつもりはありません」


 アシュの筆が止まる。


「……恐れているのか」


「現実的に不適任です。剣の訓練もしてません。死んだら元も子もない。俺が死ぬのは、魔王軍にとっても損でしょう」


 アシュは一拍置いて、筆を動かした。


「前線投入は、軍務卿の要請と魔王の承認、そして私の適法判断が揃った時のみ。単独判断は禁止」


 俺は思わず息を吐いた。


 やるじゃないか。ちゃんと“勝手に使い潰されない”枠を作ってくれる。


「お前の義務」


 アシュが顔を上げた。


「命令違反、情報漏洩、越権。これは即時停止でいいな」


「はい」


「研究医療卿の検査は受けろ」


「はい」


「諜報卿の指示を無視するな」


 言い方が引っかかった。


「……無視するな、って」


「諜報は嫌いでも必要だ。嫌いなら嫌いでいい。だが独断で台無しにするな」


 嫌いなのは法務卿の方かもしれない。けど筋は通っている。


 アシュが筆を置いた。


「最後に“逃げ道”だ」


 逃げ道。ここでその言葉が出るのが怖い。


「契約に逃げ道がないと、人は破る。破られた契約は武器になる。だから先に用意する」


 俺は背中が少し冷えた。怖いのに、納得してしまう。


「どういう……」


「期限と見直し条項」


 アシュは書面を俺に向けた。


「この契約は仮。一定の成果と一定の期間で、条項を改める。お前が役に立つなら権限は増やす。役に立たないなら保護を減らす」


「……分かりやすいですね」


「分かりやすくする。誤魔化しは争いの種だ」


 書面が整った。アシュが指で書面の端を叩く。


「署名」


 俺は筆を取った。久我幹人、と書く。


 書いた瞬間、指先が少し重くなった気がした。インクの重さじゃない。もっと内側の、何かが固定される感覚。


 アシュが言う。


「同意を口にしろ」


「……同意します」


 アシュも、淡々と続ける。


「同意する」


 書面が低く鳴った。


 音というより、部屋の圧が一段変わった。胸の奥に薄い輪がはまる感じ。首輪じゃない。安全帯みたいな――逃げないための固定具。


 視界の端に、文字がちらついた気がした。


 俺は瞬きして、誤魔化した。


 そのタイミングで、頭の奥がズキンとした。


 女神様は偉大だ。女神様は素晴らしい。崇めよ。


 また来た。しかもさっきより強い。


 胃がむかつく。眠気と吐き気が混ざる。


 俺が額を押さえると、アシュが淡々と言った。


「出たか」


「……頭の中に、声が」


「こちら側に寄るほど強くなる。お前はいま、魔王直轄の契約を結んだ。女神から見れば異常だ」


 アシュが壁際の装置を顎で示す。


「まずそれ。止めるな」


「止めません……」


 アシュは続ける。


「もう一つ、簡単な手がある」


 俺は眉をひそめた。


「簡単、って言う人ほど信用できないんですが」


「信用しなくていい。やれ」


 言い切るのが法務卿だ。


「女神は雑だ。お前が敵か味方か、乱暴に判定している。こちらに寄りすぎると“寝返り”と誤判定して締め付ける。なら――敵だと示せばいい」


 嫌な予感がした。


「……どうやって」


 アシュは一切表情を変えない。


「魔王の悪口を言え」


「は?」


「今すぐ」


 俺は固まった。法務卿の冗談は笑えない。笑わないから。


「いや、でも……ヴァルに聞かれたら」


「聞かせろ」


「聞かせろって」


 アシュが短く言った。


「魔王も承知している。必要な工程だ。心は要らない。言葉だけでいい」


 頭の奥の声が、じわじわうるさくなる。吐き気が強くなる。ここで抵抗しても、俺が損するだけだ。


 俺は息を吸って、なるべく棒読みで言った。


「……ヴァルは、土下座の姿勢がきれいすぎて逆に腹立ちます」


 言った瞬間、頭の圧が少し引いた。


 ……効いた。


 俺は唖然とした。


「……効くんだ」


「だろう。もう一つ」


 俺は半分やけになって続けた。


「ヴァルは、でかいくせに会議が長いです」


 さらに引いた。


 胃のむかつきが、すっと軽くなる。


 俺は椅子にもたれかけて、深く息を吐いた。


「これ、毎回やるんですか」


「必要なだけ」


 アシュは立ち上がった。仕事が終わった人の動きだ。


「それと、毎日だ。忘れるな」


「……毎日」


「毎日」


 法務卿は扉に手をかけ、振り返った。


「ミキト。お前の武器は剣じゃない。だが剣と同じだ。手入れを怠るな」


「……手入れ?」


「言葉。条文。手順。全部だ」


 アシュが出ていく。


 部屋に残ったのは、俺と、書面と、単調な声だけだった。


「メガミサマアリガトウゴザイマス……」


 俺は契約書を見下ろした。


 俺の仕事は、ここからだ。


 そしてこの世界では、悪口すら手続きになる。


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