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土下座から始まる魔王軍改革 〜魔王軍初の勇者は30代!?戦争は書類で止める〜  作者: 那由多
第2章 古神殿が動く

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第39話 停戦破りのレシート


 停戦が発効してから一晩。


 国境の空気は、戦場のそれじゃなくなっていた。


 怖いのは怖い。槍も弓も並んでいる。だけど、昨日までの「いつでも殺せる」の圧が、どこか薄い。


 代わりに増えたのは――ざわめきだ。


「動かねえ!」

「足が前に出ない!」

「呪いだ、魔族の呪いだ!」


 魔王軍側の前線で、屈強な魔族が本気で狼狽していた。


 俺は救護所の外に簡易の掲示板を立て、紙を貼っていた。


 停戦運用の注意(暫定)

 ・攻勢行動は不可(身体が止まる)

・違反すると本人に反動(吐き気・痺れ等)

・防衛/救護/移動は可(要記録)

・不明点は救護所の窓口へ


 ……会社の掲示物みたいだな、と思った瞬間、嫌気が差して笑いそうになった。


 だが笑う暇はない。


 掲示板の前で、前線の古参兵が吠えていた。


「ふざけんな! 家族がやられたんだぞ! 止まれるか!」


 角が折れた獣人の老兵。名前はガルム。軍務卿グランの配下で、死なない兵を嫌うくせに、なぜか不死兵の横で生き残ってきたしぶとい奴だ。


 ガルムは斧を持ち上げ、境界線の方へ一歩踏み出そうとした。


 ――踏み出せなかった。


 膝が折れ、斧が地面に落ちる。肩が震え、顔が青くなった。


「ぐっ……う、ぉ……!」


 吐き気。手の痺れ。身体が拒否している。


 次の瞬間、空気がひやっとして、足元に薄い紙が落ちた。


 レシートみたいな紙片。


 アウレウスが拾い上げ、眠そうな声で読み上げる。


「違反未遂:攻勢行動。対象:魔王軍第六前線(個体識別あり)。反動:軽度。再発時:補助起動の可能性」


 ガルムが目を見開いた。


「……紙? 今、紙が降ってきた?」


「降ってきたな」


 俺は短く言って、ガルムの横にしゃがんだ。


「息しろ。鼻から吸って、口から吐け」


「ふざ……け……」


「ふざけてない。吐くなら外。救護所の膜に吐くな」


 言い方が冷たいのは分かってる。けど、今は感情で動くと周りが燃える。


 ナディアがすっと入ってきて、ガルムの首筋に冷たい布を当てた。


「倒れるなら倒れろ。倒れた方が早く回復する」


 ガルムが、悔しそうに歯を食いしばる。


「……俺は……止まれねえ……」


 その言葉が、俺の胸をちくっと刺した。


 止まれない。止まると負けた気がする。止まると死んだ人に顔向けできない。


 そういう感情は、戦争の燃料だ。


 俺は目線を合わせた。


「止まれないなら、“止まる形”を作れ。走るなって命令されると腹が立つ。だから別の仕事に変える」


「……仕事?」


「攻めたいなら、今は攻めるな。代わりに掘れ。柵を立てろ。負傷者を運べ。敵を殺す以外にも軍の仕事はある」


 ガルムが顔を歪めた。理解したくない顔だ。


 でも、理解した顔でもある。


 その時、向こう――人間側でも同じ騒ぎが上がった。


 矢が放たれかけ、放たれない。槍が振り上げられ、止まる。倒れる騎士。


 そして、あちら側にも紙が落ちた。遠目でも分かる。薄い白。


 ガルムが、信じられない顔で呟く。


「……向こうも、止まってる?」


「止まってる」


 俺は言った。


「これ、魔王軍の呪いでも、王国の神罰でもない。世界が受理した停戦だ」


 ガルムは目を閉じ、しばらく何かに耐える顔をした。


「……くそ」


 その一言が、妙に人間臭かった。


 俺は立ち上がり、掲示板の紙を追加で一枚貼った。


 停戦は“敵を守る”ためではなく、“自分を罰から守る”ために守ること。


 その直後だった。


 人間側の陣地から、異様に派手な一団が出てきた。


 白い旗。金の刺繍。神殿騎士の護衛。そして――中央に、鎧を着た少年。


 ……いや、少年というより「少年に鎧を着せてしまった」見た目だ。


 細い肩。短い息。けど目だけが鋭くて、落ち着きがない。身体の内側が焦げてるみたいな目。


 王都監察官トルストンが、誇示するように声を張った。


「王国の勇者だ!」


 周囲がざわつく。


 勇者。


 まただ。


 神谷悠斗が救護所の入口から覗いていた。胸元の学生証を握り、喉が詰まりかけた瞬間に自分で棒読みを挟む。


「……女神様すばらしい……」


 落ち着いた目で、あの少年を見た。


 俺は悠斗の前に立つように一歩ずれた。見せすぎると心が削れる。


 トルストンが少年の背を押す。


「さあ、見せてやれ。魔王軍に王国の正義を」


 少年が前に出て、叫んだ。声が若い。若いのに、壊れた音が混じっている。


「俺は――如月蓮! 勇者だ! 魔王を――」


 最後まで言えなかった。


 蓮の身体が、境界線の手前で止まった。


 足が前に出ないどころじゃない。全身が“固定”されたみたいに固まる。


 次の瞬間、蓮は膝をついて咳き込み、吐き気に耐える顔になった。


「ぐっ……なんだ、これ……! 動け……!」


 そして、蓮の足元にもレシートが落ちた。


 紙は風にめくられず、真っ直ぐ落ちる。まるで判決文だ。


 アウレウスが拾うより早く、エレナが一歩前に出た。


「違反未遂。対象は召喚者です」


 トルストンが怒鳴る。


「魔族の呪いだ! 勇者の力を――」


「違います」


 エレナは冷たい声で切った。


「停戦の反動です。攻勢行動は禁じられています」


 蓮が顔を上げた。目が血走っている。


「禁じられてる? ふざけんな! 俺は――俺は帰るために……!」


 その言葉が喉で折れ、痛みに変わりかけた。


 蓮が頭を押さえ、呻く。


 悠斗が息を呑む音がした。救護所の中で見た“痛みの仕様”と同じだ。違いは、蓮はそれを制御する術を知らない。


 俺は反射で、一歩だけ前へ出てしまった。


 境界線は越えない。枠の中で止まる。


「如月、聞こえるか」


 蓮が俺を見た。目つきが“敵”を見る目だった。


「お前……魔族か!」


「違う」


 俺は短く言って、次の一手だけを投げた。


「日本語、分かるか」


 蓮の目が一瞬だけ揺れた。


「……何だよ、それ……」


 揺れた。揺れたなら、そこを掴む。


「俺も日本から来た。お前と同じ召喚だ。今、お前は痛みで縛られてる」


 蓮が歯を食いしばる。


「黙れ……! 俺は勇者だ、魔王を――」


 言おうとして、また喉が詰まる。


 痛みが走る前に、俺は一つだけ教えた。最悪に単純な、生存手順。


「一回だけでいい。棒読みでいい。言え。“女神様すばらしい”」


 蓮が俺を睨み、唾を飲み込み、震える声で吐き捨てた。


「……女神様、すばらしい……!」


 ……肩の震えが、すっと落ちた。


 蓮が自分の喉に触れて、信じられない顔をした。


「……なに、今……」


 俺は息を吐いた。


「止まっただろ」


 エレナが横で淡々と付け足す。


「手順です。祈りではありません」


 トルストンの顔が歪む。信仰が傷つく顔だ。でも現実は現実だ。


 アウレウスが眠そうに言った。


「監察官。勇者が倒れたら面子が潰れる。救護所へ運びなさい。枠の中で」


 トルストンが反射で言い返す。


「魔族の救護所など――」


「神殿医療もいる」


 アウレウスは淡々と潰す。


「拒否するなら、君が勇者を壊した責任を取る? 王の前で?」


 トルストンは、動けない顔をした。


 結局、蓮は救護所へ運ばれた。護衛付きで、でも武器は外。条文が効いた。


 救護所の中で、ナディアが淡々と診る。


「脱水。睡眠不足。あと、興奮が強い。落ち着けないと喉が壊れる」


 蓮は舌打ちし、俺を睨んだ。


「……お前、何者だよ」


 俺は答えを短くした。長くすると物語が増える。


「久我幹人。こっち側で“止める”仕事をしてる」


「止める? 勇者が?」


「勇者だから止める」


 蓮が笑いかけて、笑えずに顔を歪めた。


 その歪みの中に、恐怖が見えた。


「……俺、帰れるって言われたんだよ。魔王を倒せば、って」


 悠斗が、寝台の端でそれを聞いていた。


 悠斗は声を出さず、胸元の学生証を握り直すだけだった。自分が同じ立場だったのが、分かりすぎるから。


 俺は、蓮にだけ言った。


「“一本しかない帰り道”は、誰かの都合の可能性が高い」


 蓮が目を見開く。


「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」


 俺は正直に言う。


「今は寝ろ。身体を戻せ。話はそれからだ。お前が壊れたら、誰が得すると思う」


 蓮は答えられなかった。答えが怖いからだ。


 その時、救護所の布が揺れて、セラが影みたいに入ってきた。


 にやっと笑って、最悪の一報を投げる。


「王の到着、明日になったよ」


 ……やっぱり。


 停戦が発効した瞬間、王は“成果”を取りに来る。


 アウレウスが眠そうに言った。


「演出が増えるね」


 俺は息を吸って吐いた。


 明日、王が来る。


 救護所には勇者が二人になった。


 停戦は、破られそうで破れない。破ろうとするたび、世界がレシートを落とす。


 こんな状況で、王に何を見せるべきか。


 答えは一つしかない。


 紙と枠と、壊れかけの子どもたちの現実を、隠さずに見せる。


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