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土下座から始まる魔王軍改革 〜魔王軍初の勇者は30代!?戦争は書類で止める〜  作者: 那由多
第2章 古神殿が動く

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第38話 停戦、発効しました

 日が落ちる前に、紙の束を三回数えた。


 数えるのは安心のためじゃない。差し替え対策だ。紙の世界では、差し替えが一番よく刺さる。


 停戦協定(救護停戦)。

 添付:救護所運用規程、同意取得手順、共同調査手順。

 印:魔王印、大神官印、秩序委任札の代理印。

 立会署名:国境枠の立会人。


「……ほんとに紙なんだな」


 神谷悠斗が、毛布の端を握ったまま言った。


 体調は昨日よりいい。歩ける。ただし長くは無理。喋るのも短く。


「ほんとに紙」


 俺は短く返した。


「紙が通ると、剣が鈍る」


 悠斗は一拍おいて、ぽつり。


「……それ、ちょっと、かっこいい」


 言った直後に、喉がひゅっと鳴りそうになって、慌てて自分で棒読みを入れた。


「……女神様すばらしい……」


 落ち着く。


 この“自分で立て直せる”のが、今の悠斗の強さだ。皮肉な強さだけど。


 入口でナディアが腕を組んで待っていた。


「行くなら今。戻って寝かせる。滞在は短く」


「了解」


 ユーリが時計を見て、いつもの調子で釘を刺す。


「十五分」


 俺はうなずいて、最後にアシュを見る。


 法務卿は黒い封袋を持っていた。封緘、署名、二重管理。今日も過剰なほど面倒で、だから生き残る。


「差し替えは?」


「できない」


 アシュが短く言う。


「差し替えるなら、署名と封が破れる。破れた瞬間に“違反”だ。違反は、こちらの武器になる」


 諜報卿セラが、影の端でにやっとした。


「そして王都は“違反”って言葉が嫌い。嫌いだから隠す。隠すから、こっちが握れる」


 笑うな。仕事として正しいのが悔しい。


 眠そうな大権官アウレウスが、通路の先で待っていた。


「鏡は使わない」


 開口一番、それだった。


「また白いのが出るから?」


「出る可能性がある」


 アウレウスは眠そうに言う。


「提出だけなら、投函口でいい。片道。安全。地味。君たち向き」


 俺は思わず言った。


「地味って言うな」


「地味でいいじゃないか」


 そういうことを平然と言う人が一番怖い。


 ――


 古神殿の脇の小部屋。


 鏡の部屋より狭い。豪華でもない。かわりに、壁の一角に“口”がある。


 石の投函口。縁に細い刻印。


 見た目は奉納箱だ。だが雰囲気が役所の窓口に近い。嫌な奉納箱。


 アウレウスが淡々と説明する。


「ここに入れる。向こうで受理される。返ってくるのは受領票だけ。出入口にならない。だから安全」


 エレナが無表情のまま頷いた。


「妥当です。鏡より安全」


 フェリクスが胃痛の顔で補足する。


「……鏡は、時々“こちら側”に手が伸びます。投函口は伸びません……たぶん……」


 たぶん、やめろ。


 悠斗が投函口を見て、喉が鳴りかけた。緊張だ。


 俺は小声で言う。


「棒読み、いつでも」


 悠斗はうなずいて、一回だけ言った。


「……女神様すばらしい……」


 よし。


 アシュが封袋を開け、停戦協定を取り出した。封の痕はきれい。差し替えなし。


 紙の端に、黒い魔王印。

 白い大神官印。

 薄い、骨みたいな代理印。


 この世界の“合意”ってやつが、そこに揃っている。


 俺は一拍おいて、投函口の前に立った。


「提出する」


 悠斗が小さく言う。


「……うん」


 ナディアが背中を支える位置に手を置いた。倒れたら終わるからだ。


 俺は棒読みで言った。心を込めると逆に危ない。


「女神様ありがとうございます。受付番号A-07の案件、達成条件の停戦合意を提出します。受領をお願いします」


 そして紙を、投函口へ滑り込ませた。


 石の中に吸い込まれるみたいに、紙が消える。


 空気が一瞬だけ、ひやっとした。


 次の瞬間、投函口の下から薄い紙が出てきた。


 レシート。やっぱりレシート。


 アウレウスが拾って、読み上げた。


「受領。停戦合意、確認。印章、確認。条件達成。目的再設定、確定。……停戦、発効」


 息が抜けそうになって、俺は一度だけ深呼吸した。


 悠斗の肩が、すとんと落ちた。


「……発効……」


 悠斗が呟いた瞬間、喉が詰まりかけて、反射で棒読みが入る。


「……女神様すばらしい……」


 ……でも、今日は違った。


 詰まりが“止まる”のが早い。痛みに変わる前に引く。


 悠斗が、目を丸くした。


「……静かだ……」


 俺も気づく。


 あの“殺せ”の圧が、ない。


 かわりに、背中を押すような、せかすような圧がある。


 進め。守れ。止めろ。


 命令じゃない。リマインドみたいに、しつこい。


 アウレウスが眠そうに言った。


「誘導が更新された。君たちの脳内に、新しい付箋が貼られた」


 付箋。言い方が嫌に現代的だ。


 悠斗が小さく笑った。泣きそうなのに笑う、変な顔。


「……殺さなくていい……」


 その一言が、震えてるのに真っ直ぐだった。


 ナディアが淡々と毛布を整える。


「よし。帰って寝る。感情が出たら喉が壊れる」


 エレナがレシートの末尾を指で押さえた。


「警告がある」


 アウレウスが読み上げる。


「違反検知時、補助が起動します。対象は“停戦破り”の当事者。……つまり、どっちが破っても来る」


 フェリクスが顔色を失った。


「……誰かがわざと破ったら……」


「地獄になる」


 俺が短く言った。


 ワクワクが、一瞬で悪い種類に変わる。


 ――


 救護所へ戻る途中で、境界線の近くが騒がしくなっていた。


 伝令兵が走ってくる。魔王軍の兵。息が切れている。


「渉外卿候補殿! 前線の斥候が……攻勢に出ようとしたところ、身体が動かないと!」


「動かない?」


「腕が重い、と。足が前に出ない、と……呪いかと」


 呪いじゃない。


 停戦が、発効した。


 紙が、世界の筋肉に触った。


 反対側、人間側の陣地でも同じ騒ぎが起きていた。あっちの伝令が神殿騎士に引きずられるように走っている。


 そして案の定――王都監察官トルストンが、顔を真っ赤にして救護所へ押し寄せた。


「魔族の呪術だ! 軍が動かん! 国境を縛ったな!」


 俺は動かずに、アウレウスの手元を指した。


「受領票があります。停戦が発効しました。あなたの署名は要りません。もう世界が受理してる」


 トルストンが怒鳴る。


「誰が受理した!」


 アウレウスが眠そうに返した。


「世界」


 短すぎて、トルストンが黙った。


 黙るしかない。相手が“世界”は、さすがに殴れない。


 トルストンは歯を食いしばって俺を睨む。


「王が来る。お前は終わりだ」


「王が来るなら、なおさら手順が要ります」


 俺は淡々と言った。


「停戦破りは、補助が起動する。あなたも知った。なら“勝手に燃やす”のはやめた方がいい」


 トルストンの顔が、嫌な形で歪む。


 理解した顔だ。


 こいつは“燃やせない”と分かると、別の燃やし方を探す。


 セラが影の端で、楽しそうに言った。


「ね。ここからがワクワクだよ。停戦って、破りたい人が必ず出るから」


 笑うな。


 でも、そうなんだ。


 停戦が発効した瞬間から、次の戦いが始まる。


 守る戦いだ。破らせない戦いだ。


 救護所に戻ると、悠斗が寝台に腰を下ろして、胸元の学生証に触れた。


「……ミキトさん」


「ん」


「……これで、帰れるの?」


 俺は嘘をつかない。


「帰り道は、近づいた。でもまだ遠い。王が来る。そこで燃えないように乗り切って、その次だ」


 悠斗は一拍おいて、うなずいた。


「……やる」


 それは勇ましさじゃない。


 自分の意思だった。


 ナディアが毛布をかぶせる。


「寝る。やるなら寝る。寝ないと負ける」


 悠斗が小さく笑って、目を閉じた。


 救護所の外では、停戦で動けなくなった兵が混乱している。誰かが“呪い”と叫ぶ。誰かが“神の裁き”と言い出す。


 その噂の火種は、二日後に来る王の足元へ全部集まる。


 俺はレシートの文面をもう一度読み返した。


 停戦、発効。


 その一行が、今日一番怖い。今日一番頼もしい。


 紙が世界を止めたなら、次は人間の口を止めないといけない。


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