第37話 停戦協定ドラフト、回覧します
救護所の外で、俺は紙を広げた。
紙の上に書いたのは、でかい字で一行。
フェーズ2:停戦(3日で)
……自分を落ち着かせるためのメモだ。仕事の癖は、異世界に連れて来られても抜けない。
遮音膜の外から、礼拝堂の賛歌が薄く届く。喉がむずっとしたので、録音札を押す。
「女神様すばらしい」
棒読みで押し返して、深呼吸。
そこへ、法務卿アシュが来た。紙束を一つ、机に置く。
「停戦協定の骨子。余計な感情は抜いた」
余計な感情。つまり「和解」とか「友好」とかの甘い単語はない。助かる。
続いて財務卿リリアの声が、通信札から飛んでくる。
「数字も付けたよ。停戦で減る戦費、救護所維持費、国境封鎖が解けた場合の税収見込み。王が好きそうな桁で」
怖い。だが必要。
諜報卿セラも、影の隅からにゅっと顔を出す。
「神殿側の出方、だいたい読めた。大神官は王に功績を取られるのが嫌。だから“自分が停戦を主導した”って形なら署名する可能性が上がる」
「主導、ね」
軍務卿グランが穏やかに頷いた。
「主導の看板を渡して、兵を止める。悪くない」
俺は紙を見下ろした。骨子はこうだ。
国境全域の攻勢停止。期間は7日。自動更新。救護所周辺は完全非武装。違反時は共同調査と、24時間の猶予後に停止。召喚者の強制運用禁止。次回会談の期限も明記。
短い。穴もある。だが、穴があるから署名される。
「これを“停戦合意”として出します」
俺が言うと、アシュが目だけ動かす。
「人間側の印が要る。王印か、秩序代表印二つ」
「秩序代表印の一つは確保してる。初代大神官の代理」
胸の内側の封袋を軽く叩く。冷たい感触が返ってくる。
「もう一つは現大神官。グレゴリウス」
セラが笑う。
「行こう。交渉の時間だよ」
笑うな。
大権官アウレウスが、眠そうな顔で現れた。相変わらず目だけは起きている。
「大神官のところへ行く?」
「はい。今日のうちに印をもらう。王が来る前に」
「いいね。王が来ると、余計な演出が増える」
その言い方が嫌なほど現実的だ。
――
神殿の本陣は、香が濃かった。
香の匂いは落ち着くはずなのに、ここでは逆だ。権威の匂いがする。
現大神官グレゴリウスは、机に向かっていた。紙。紙。紙。神殿も結局、紙で死ぬ。
俺たちを見るなり、先に釘を刺してきた。
「時間がない。王の視察準備で忙しい」
俺は一拍置いてから、最初の一手を出した。
「だから、今ここで停戦です」
グレゴリウスの手が止まる。
「停戦?」
「救護停戦。国境全域、7日。救護所の恒久化の足場になります」
グレゴリウスが鼻で笑った。
「背教者が、神殿に停戦を求めるか。笑わせる」
「笑っていいです」
俺は淡々と言った。
「笑ってる間に、王が救護所を“王の慈善”として持っていきますけど」
空気が変わる。
グレゴリウスの眉がぴくりと動いた。面子が揺れた反応だ。
アウレウスが、眠そうに追撃する。
「大神官。停戦を神殿主導にすれば、王は“慈善の成果”として乗れる。神殿の取り分も守れる。拒否すると、王が単独で成果を作る」
グレゴリウスの目が細くなる。
「大権官殿。あなたは、王国の政治に口を出す立場ではない」
「政治じゃないよ。事故防止だ」
アウレウスは平然と言った。
「国境が燃えたら、古い監視が動く。君も嫌だろ」
グレゴリウスの喉が鳴った。怯えが混じる音だ。
……この人、知ってる。天使が出てくる類の“世界の過敏反応”を。
俺は畳みかけない。畳みかけると反発が強くなる。代わりに、逃げ道を置く。
「大神官。あなたは“止めた”側になれます。王が来る前に、神殿が停戦を主導した。救護所を守った。勇者を壊さずに運用できる枠を作った」
「勇者……」
グレゴリウスの視線が俺に刺さる。
「背教の勇者を?」
「違います」
俺は首を振った。
「召喚者を“壊さない”枠です。壊れたら、神殿の運用が崩れます」
マリナが小さく頷く。医療側の本音がそこにある。
グレゴリウスは紙をひったくるように取り、速読した。読んで、眉を寄せる。
「……期限が7日? 自動更新? 逃げ道があるようで、ないな」
「ないと署名できません」
俺は正直に言った。
「署名したあなたが困らないように作ってあります。破棄したいなら、手順で破棄できます。面子が保てる形で」
グレゴリウスが黙る。
権力者は、自分の面子を守れる“撤退路”が見えると動く。
だが、彼は一つ条件を出してきた。
「魔王印だけでは足りん。魔王軍が守る保証は?」
アシュが即答する。
「違反すれば、魔王軍法務が処罰する条文を付ける。違反調査は共同。記録は同文署名」
グレゴリウスが鼻で笑った。
「魔族が自分たちを罰する?」
「罰する」
アシュの声は冷たい。
「秩序がないと軍は腐る。腐った軍は、魔王の退職を遠ざける」
横でアウレウスが小さく笑った。ヴァルの本音が漏れてるのが妙に効く。
グレゴリウスはしばらく黙ってから、低い声で言った。
「……よし。署名はする」
俺の胸が一瞬だけ軽くなる。
だが次の言葉が重かった。
「ただし条件がある。久我幹人。お前は王の前に出ろ。視察の場で、神殿の監督下にあることを示せ」
来た。象徴にされる。
俺はすぐに断らない。断ると“拒否=後ろ暗い”にされる。だから枠を作って断る。
「可能です」
俺は淡々と言った。
「ただし、国境の枠の中だけ。拘束なし。聖具の“確認”は可。ただし即時執行なし。立会人署名。違反があれば、その時点で会談は中止」
グレゴリウスが目を細める。
「ずいぶん条件が多いな」
「多い方が、あなたが安全です」
俺は真顔で言った。
「王の前で事故が起きたら、神殿が燃えます」
グレゴリウスの口元が歪んだ。理解した顔だ。嫌な理解だ。
「……分かった。手順は紙にしろ」
「はい」
アシュが即座に黒い紙を出す。もう反射だ。
そして、停戦協定に大神官の印が落ちた。
神殿の最上位印。
瞬間、空気が一段落ちる。重いけど、通った。
グレゴリウスは最後に、アウレウスを見た。
「大権官殿。初代は……黙らせておいてくれ」
アウレウスが眠そうに言う。
「黙ってるよ。寝てるから」
グレゴリウスの顔がさらに歪む。寝てる、が一番怖い。
――
神殿本陣を出たところで、セラが紙をひったくった。
「よし。これで秩序代表印が二つ揃う。提出できる」
「提出は今日中。夜、鏡で」
俺が言うと、アウレウスが頷いた。
「そうだね。王都は必ず邪魔する。君たち、今やってるのは“提出競争”だ」
提出競争。嫌すぎる。
その時、ルーカスが静かに言った。
「王の予定が前倒しになりました」
俺の胃がきゅっと縮む。
「どれくらい」
「二日後。護衛隊がすでに動いています」
……二日。
猶予はある。でも秩序委任札の期限は三日。ギリギリを攻められる。
俺は深く息を吸って、紙の束を抱え直した。
次は、提出。
停戦合意を“女神窓口”に提出して、目的の達成条件を一つ満たす。
そして、二日後に来る王の前で――この紙を燃やされないように守る。




