第34話 初代大神官も退職したい
国境の朝は、やたら空気が乾いていた。
礼拝堂の賛歌が遠くで鳴っているだけなのに、喉の奥がむずっとする。俺は反射で録音札を押した。
「女神様すばらしい」
棒読みで押し返す。生存手順。
そこへ、古神殿付のルーカスが無言で現れて、短い案内札だけを差し出した。
「地下。今日。……現大神官が動く前に」
現大神官、か。
セラの話では王が三日後に来る。神殿の上はその準備で閉じる。閉じる前に、地下へ降りろ――そういう意味だろう。
俺はうなずいて、同行者を見た。
眠そうな顔の大権官アウレウス。
顔色が今日も終わってるフェリクス。
そして護衛として、古神殿の静かな騎士が二人。
「……行くよ」
アウレウスが言う。眠そうなのに、歩く速度は迷いがない。
古神殿の裏手、石の扉の前で、待っていた男がいた。
黄金の刺繍が入った白外套。身体は太く、目は細い。偉い人特有の「自分の言葉が法律」みたいな顔。
現大神官――グレゴリウス=セルディオ。
「大権官殿」
グレゴリウスは丁寧に頭を下げた。丁寧すぎる。内心は真逆の時の丁寧さだ。
「地下は聖域です。魔族側の者を通すわけには――」
視線が俺に刺さる。
アウレウスは、眠そうに返した。
「魔族側じゃない。国境の枠の者だ」
「背教の――」
「政治的な呼称は不要だよ」
アウレウスはそれだけ言って、扉に手を置こうとした。
グレゴリウスが一歩だけ前に出る。
「大権官殿。地下を開けば、“初代”がまた――」
その言葉だけは、本気の怯えが混じっていた。
フェリクスが小さく息を呑む。彼は神殿の人間だ。あの怯えの意味が分かっている。
俺はここで、正面から殴る言葉を選んだ。
「大神官。初代大神官を起こすのは、あなたのためでもあります」
グレゴリウスが眉をひそめる。
「何?」
「王が三日後に来ます。国境救護所を“王の慈善”にする気です」
グレゴリウスの目がわずかに動いた。嫌な情報に反応した目だ。
「救護所の功績が王に持っていかれたら、神殿の取り分は減ります。あなたの権威も」
言い方は露骨だ。でも、この人には露骨が効く。
「……背教者が、神殿のためを語るな」
「語りますよ」
俺は淡々と言った。
「神殿が“召喚者の健康管理”を握れる枠を作れば、王は勝手に回収できない。神殿の面子も保てる。今、その枠を押せるのは地下の“秩序印”です」
グレゴリウスの頬がぴくりと動く。
秩序印――初代大神官が持つ、王印に準ずる印。神殿が王より強くなるやつ。
欲しい。でも怖い。だから地下に閉じ込めてる。
アウレウスが眠そうに言った。
「通すか、通さないか。通さないなら、君が王に救護所を献上したって記録に残す」
グレゴリウスの顔色が変わった。
面子と権力。そこが地雷。
彼は歯を食いしばって、道を開けた。
「……十五分だ。余計なことはするな」
「余計なことしか起きないのが国境だ」
アウレウスの返しが雑すぎて、フェリクスが胃痛の顔をさらに深めた。
地下は、冷たかった。
湿気じゃない。石の冷えだ。匂いも、香の甘さじゃなく、紙と金属と古い布の匂い。
俺はふと、魔王城の書庫を思い出した。どっちも結局、紙の墓場だ。
通路の壁に、古神殿文字がびっしり刻まれている。
ルーカスが淡々と呟く。
「ここは、世界の“失敗例”の保管庫です」
言い方が嫌すぎる。
「失敗例が多すぎません?」
「良くも悪くも歴史が長いので」
納得したくないのに納得してしまう。
最奥の扉の前で、アウレウスが立ち止まった。
「ここから先は、静かに」
扉が開く。
中は小さな広間だった。書棚。石の机。灯りは弱いのに、影が濃い。
そして、椅子に座る男が一人。
若く見える。肌が白く、髪は銀。なのに、目だけが古い。古すぎて、世界に興味がない目。
初代大神官――カシウス=ヴェルト。
カシウスは俺たちを見て、眠そうに言った。
「……また仕事か」
第一声がそれ。
フェリクスが反射で跪きそうになり、止めた。ここで跪くと“儀礼”が始まって長くなる。
アウレウスが淡々と報告する。
「二件。召喚者が二人。ひとつは魔王領側。ひとつは王都が回収しようとしてる」
「ふうん」
カシウスは机の上の紙束を一枚めくった。見てもいないのに、全部分かってる顔をする。
「王は戦争で民を黙らせたい。神殿は利権を守りたい。魔王は……まだ生きてるのか」
「生きてます」
俺が言うと、カシウスの目が俺に向いた。
「君が魔王領側の召喚者?」
「はい。久我幹人。異界から」
「成人だね」
淡々と言われるだけで、十代の鉄砲玉との差が痛い。
カシウスは少しだけ首を傾げた。
「帰りたい?」
「帰りたいです」
「じゃあ、なぜここにいる」
アウレウスと同じ質問。でも、重さが違う。これは“試験”だ。
俺は正直に言った。
「魔王からは帰還方法が誰かの殺害と言われませんでした。
しかし、王国側の召喚者は魔王を殺しにくる。それをなんとかしたくてきました。」
カシウスの目が一瞬だけ細くなる。笑いではない。評価だ。
「……疑えるのは良い。疑えないと、壊れる」
それからカシウスは机の上を指先で叩いた。
「要件を言え。短く」
俺は準備してきた言葉だけを出した。長くしない。
「目的再設定申請の秩序印が欲しい。猶予は七日。王は三日後に国境へ来る。王印は神殿地下金庫。大神官が握ってる」
カシウスは、眠そうに息を吐いた。
「つまり、また“印章の政治”か」
「はい」
俺は即答した。
「この世界、ハンコが強いですね」
カシウスの口角が、ほんの少しだけ動いた。
「君、結構いい性格してるね。僕の前でそんなこと言うのか」
「本当のことですから。」
カシウスが手を伸ばした。
「申請書」
俺は、魔王印が焼き付いた薄紙を差し出した。
カシウスはそれを見て、少しだけ目を覚ました。
「……魔王は本気だな」
その言い方が、妙に人間臭かった。
「魔王印が押されてるのに、王が押さない。神殿が握る。いつも通りだ」
カシウスは紙を机に置き、俺を見る。
「君は“救世主”になりたい?」
「なりたくないです」
「よい」
即答。速い。嫌なほど速い。
「救世主は、誰かの免罪符になる。君も彼も、燃える」
カシウスは、机の引き出しから小さな石片を出した。
白い。骨みたいな色。そこに極細の刻印。
「秩序委任札。僕の代理印だ。これを持ってる間、君は“秩序の案件”として扱われる」
俺の胃がきゅっと縮む。
案件。登録。猶予。全部同じ匂い。
カシウスは淡々と続けた。
「ただし、有効期限は三日。王が来るまで。延長はしない。延長すると補助が強くなる」
……王の来訪と同じ期限。
計算し尽くした嫌な優しさだ。
「条件がある」
カシウスが言う。
「王を説得するな。王は説得で動かない」
俺は思わず聞き返した。
「じゃあ、どうやって印を」
「恐怖と損で動かす」
カシウスは眠そうに言った。眠そうなのに言葉は鋭い。
「古い安全装置を思い出させろ。天使が出てきた時の記録。王が国境を燃やせば“世界の監視”が来る、と」
アウレウスが小さく頷いた。
「上手くやれば、王は“安全保障”として署名できる。面子も保てる」
面子。ここでも面子。
カシウスは最後に、俺を見た。
「久我幹人。君は優等生だ。断れない。だから約束しろ」
「何を」
「彼を殺さない。殺させない。君も燃えない」
俺は一拍置いて、頷いた。
「……約束します。手順で」
カシウスが、ようやく机に肘をついた。
「よし。僕はもう寝たい。この世界の始まりから生きている。もう疲れたよ。」
その一言が、魔王ヴァルの「退職したい」と同じ匂いをしていた。
長生きの地獄は、陣営を問わないらしい。
俺は秩序委任札を受け取り、胸の内側にしまった。受付番号の紙片と、同じ場所。
猶予の証拠が、二枚になった。
地下を出る直前、フェリクスが小声で呟いた。
「……初代は、決して優しい人ではありません。でも……世界を壊したくない人です」
俺は頷いた。
「俺たちも同じです」
地上へ戻ると、現大神官グレゴリウスが腕組みで待っていた。
俺の胸元を見て、何かを察した顔になる。
「……何を持ち出した」
アウレウスが眠そうに返す。
「仕事を減らす鍵だ」
グレゴリウスの顔が歪む。彼は“自分の鍵”を奪われるのが嫌だ。だが同時に、王に功績を取られるのも嫌だ。
その揺れが、権力者の正体だった。
俺は深く息を吸った。
三日。
王の来訪まで三日。
秩序委任札の期限も三日。
次の戦いは剣じゃない。
王と神殿と古神殿の、ハンコの綱引きだ。




