第3話 魔宰五卿
魔王城の廊下は広い。広いのに息が詰まる。
さっきまでの会話が嘘みたいに、扉の前は静かだった。空気が重い。圧、というより格だ。会議室の前だけ、社会の温度が違う。
ヴァルが扉に手をかけた。
「入れ。今日決めるのは、お主の席だ」
「……はい」
返事の声が自分でも硬い。こういう時、呼吸を整えるのが一番効く。頭が白くなると、契約も交渉も全部終わる。
扉が開いた。
長い机。正面の席はひとつ。左右に五つ。すでに五人が座っている。
壁際の装置が、淡々と同じ音を流し続けていた。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」
耳障りなのに、止めたくない。止めたら、もっと嫌なことが起きる。ここ二日で学んだ。
ヴァルが席に着き、俺を見た。
「立っていい。まずは名乗れ」
名刺がない名刺交換。なら、言葉でやるしかない。
俺は一歩前に出て、頭を下げた。
「久我幹人です。ミキトでお願いします」
場違いなくらい丁寧な自己紹介をしたら、少し笑われるかと思った。誰も笑わない。
笑わないのが、逆に怖い。
ヴァルが机を指先で叩く。
「魔宰五卿。ミキトは異界から召喚された。我が軍初の“勇者”だ。だが剣の話ではない。今日は、運用の話をする」
“勇者”。
その単語が部屋の空気を一段だけ変えた。敵意でも好意でもない。分類が確定した、という匂い。
最初に口を開いたのは、穏やかな笑顔の老人だった。声も柔らかい。
「軍務卿、グラン=モルティス。冥骸族だ。……ミキト殿、よろしくな」
冥骸族。死の気配はあるのに、所作が妙に上品だ。戦場を机の上で見てきた人の落ち着きがある。
次に、ペンを指先で回していた女性が言った。
「財務卿、リリア=グレイコイン。灰角族。呼び方は好きに。だけど、お金の話は誤魔化さないで」
声は静か。なのに“誤魔化した瞬間に殺す”みたいな温度がある。
その隣、天使みたいな見た目の女性がにこっと笑った。
「諜報卿、セラ=リボン。縫影族だよ。ミキトくん、ようこそ。……楽しみ」
楽しみ、の言い方が軽すぎて背筋が冷える。
さらに隣、几帳面そうな男が机の端に置いた小さな時計を見てから、短く言った。
「研究医療卿、ユーリ=クロノクリスタ。時晶族。健康管理は私の管轄。手順は守って」
“守って”が命令なのに、声が淡々としているのが逆に怖い。
最後の席。影が人の形をして座っているみたいな男が、こちらを見た。
「法務卿、アシュ=ブラックレター」
種族は名乗らない。名前だけで十分だと言わんばかりだ。
アシュは俺を見て、すぐにヴァルへ視線を移す。
「魔王。確認する。召喚は事実か」
「事実だ」
「外法だ」
即断。即断すぎる。
ヴァルは眉ひとつ動かさない。
「だから、手続きを踏んだ。今も踏んでいる」
壁際の装置が、相変わらず呟く。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」
アシュが俺に視線を戻した。
「異界人。目的を言え。短く」
短く。ここで長い説明は負ける。
俺は背筋を伸ばした。
「魔王軍の立て直しと、人間国との交渉です。戦争を減らす。そのために、契約と運用をやります」
グランが口元だけで笑った。
「戦場を知らぬ顔ではないな。……続けてみろ」
リリアがペンを止めた。
「契約と運用。いい。でも、それで何を削るの? 戦費? 死者? 勇者?」
数字の人だ。答えも数字で返すべきだが、まだ情報が足りない。
「まずは、死者と事故です。次に戦費。その順にしたい」
セラが楽しそうに頷く。
「いいね。まずは失点を減らす。地味だけど効く」
ユーリが口を挟む。
「地味でいい。死なないのが最優先」
アシュが冷たく言った。
「言葉は分かった。では立場だ。お前に権限を渡す理由は?」
理由。ここで“便利だから”は地雷だ。
俺はヴァルを一瞬だけ見て、すぐ視線を戻した。
「魔王直属で動けないと、横断調整ができません。軍、金、情報、医療、法――全部またぐ話をするのが役目です。誰かの部下だと、必ず止まります」
リリアが鼻で笑った。
「止まるのは悪いことじゃないけどね。暴走を止めるのも制度」
グランが穏やかに言う。
「止める役はおる。――法務卿がな」
アシュは表情を変えない。
「当然だ」
その瞬間だった。
頭の奥で、ぞわっと何かが立ち上がる。
女神様は偉大だ。女神様は素晴らしい。崇めよ。
言葉じゃない。圧でもない。耳の内側に直接流し込まれる、鬱陶しい広告だ。
胃がきゅっと縮む。
俺は反射で口を開いていた。
「……女神様すばらしい」
自分でも驚くほど棒読みだった。
一拍。
セラが吹き出した。
「出た! それ、ほんとに勝手に出るんだ」
グランが顎に手をやる。
「ほう……勇者は、頭の中まで戦場か」
リリアが机を指で叩く。
「会議中はやめて。集中が削れる」
ユーリが淡々と言った。
「音で抑えられる。今のは軽い。途切れると増える」
アシュが俺を見て、低く言う。
「その現象も契約に入れる。業務妨害だ」
この世界の法務は、神すら“業務”に落とす。
ヴァルが話を戻した。
「結論を出す。ミキトは魔王直轄。魔宰五卿の上ではない。外だ。横断のために置く」
リリアが即座に言う。
「予算枠を決める。最初から無限は許さない」
グランが頷く。
「現場に口を出すなら、責任も取れ。逃げるなよ」
セラがにこにこする。
「護衛も要るね。勇者ってだけで刺しに来るの、いるから」
ユーリが時計を見て言った。
「隔離と検査は継続。睡眠は確保。徹夜は禁止」
最後にアシュが、黒い札のようなものを机に置いた。
そこには、すでに文字が浮かんでいる。
魔王直轄 異界勇者特命官
「署名は今日中」
アシュの声は淡々としているのに、拒否の余地がない。
「権限も義務も条文で縛る。口約束は無効だ。……来い」
そう言って、アシュは立ち上がった。
会議が終わった、というより、次の会議が始まった感じだった。
俺は黒い札を見下ろした。
剣より先に肩書きが来た。
そして、この世界では肩書きが刃になる。
俺は息を吸って、アシュの後を追った。




